探検隊集合の日はすぐにやってきた。シンシアとエッジの準備は万全に整っている。事前に騎士団との打ち合わせも済ませ、精鋭部隊との顔合わせもした。もちろん騎士団を同行すると大っぴらにするわけにもいかず、仮の身分も携えてのこととなった。一部にはバレているだろうが事情を知らずに探検隊に参加する者も大勢いるはずだ。無用な混乱は避けたかった。


 当日、シンシアとエッジ、アンバー少佐ら騎士団の精鋭部隊は同時に探検隊の説明会場に入った。そこは港にほど近い、劇場を併設している大型のホテルで、秩序側のスポンサーになっている海運会社の関連施設だった。貴族も使うような由緒正しい格式あるホテルだが、探検隊に選ばれるような荒事を生業にする者が多く来ていて、少々混乱した状況にあった。


 エッジや少数の騎士を除いて、シンシアらは格式高いホテルになれているので、問題なく受付を済ませ、説明会場になっている劇場へ向かった。


 劇場の中はガス管が通っており、密閉された室内なのにガス灯の明かりで白昼のように明るかった。一行は指定されたシートに座り、開始時間になるまで、受付で渡された資料を読み込む。


 島の名前は仮に『第12火山島』とされていた。オンポリッジの東の海域で発生した島の中でも火山性とおぼしき12番目の島という意味だ。なので探検隊の名称も『第一二火山島第1回探索部隊』となっていた。


 オンポリッジ港からわずか17海里(約30キロ)、島の周囲は15キロ強。推定標高300メートル。自動飛行機械による事前の上空からの調査では造山活動はこの1ヶ月あまり追いついているとのことだった。ここまでは普通の、新しくできた島の探検概要っぽい。しかし上空調査で得られたはずの自動筆記で出力されたスケッチ情報には、島の一番標高が高い部分に空白部分が生じていた。


 資料の同じページを見ていたエッジとシンシアは顔を見合わせる。


「これは……」


「いやいや、あることだから」


 エッジはそう言う。確かにダンジョンの事前調査で自動機械が送り込まれるとき、スケッチ情報が抜け落ちてしまうことはままある。


 しばらくして劇場の席は埋まった。マスコミも呼ばれており、壇上に探検隊の責任者が現れると一斉に画像撮影機のフラッシュが炊かれた。


 責任者の話によればこの場に集まった探検隊の応募に応じた誰もが、説明会の内容如何では契約を断れるとのことで、その点は良心的といえた。マスコミも呼んでの探検説明会である。成功させれば領有に向けての大きな一歩となる。アピールは必須だし、対外的には透明性を強調する必要もある。


 続いて探検隊の隊長の登壇があった。これは誰もが知っている著名な冒険家で、極北海探検を成功させたことで知られるジェイミス・M・ハイランダー卿だった。経済的・戦略的に重要なところにできた島とは言え、行き過ぎた人選の感があった。わずか17海里先の島である。その100倍の距離の探索を成功させたハイランダー卿を起用する意味が分からなかった。マスコミ向けなのかと思われたが、万が一外神信者ということもありえる。注意が必要だった。


 他に2隻の鉄甲蒸気艦の艦長の紹介があり、こちらも外洋探検で有名な艦長を揃えていた。また、招かれた著名な特殊技能習得者スペシャルが10名も名前が呼ばれ、シンシアとエッジも名前を呼ばれると席から立ち上がって挨拶をした。シンシアが立ち上がると会場がどよめいたが、もう彼女は無視を決め込んだ。そして最後に契約のサインをしていただければありがたいです、ときちんとアナウンスされた。


 探検隊の名に箔をつけ、もし探検中に混沌が生じるようなら正攻法で島を安定させる、というごくまっとうな意図を披露する場になったわけだが、この特殊技能習得者スペシャルの中には混沌側の工作要員も入っているに違いなかった。


 混沌側の目的が同志を犠牲に沸騰海ボイリングシーを活性化させての島の消滅であれば物騒なことこの上ないが、単に測量を邪魔して探検を失敗させ、実効支配を遅らせるだけの可能性もある。


 秩序側の人間にしても、正攻法の探検にとどまらず、わざと混沌を刺激し、大災害を引き起こした上で、土地を安定させるという昔ながらの邪法を行う可能性もある。


 その上、外神信者もいるわけで、誰がどう出るのか、さっぱり分からない状況だった。


 シンシアは会場で呼ばれた特殊技能習得者スペシャル、自分たちを除いた8名の顔と名前を一致させ、会場を出ようとしたところでエッジと一緒にマスコミに捕まった。マスコミといっても大衆向けのスキャンダル専門みたいな新聞とセレブ好き向けの大衆週刊誌だった。ろくなことがないので無視して立ち去り、用意された部屋に入ったが、ここで大きな問題があった。エッジと同室だったのである。


「スイートルームなのはありがたいけど、同じ部屋とは思わなかった……」


 シンシアは人差し指同士をつんつんする仕草を自然としてしまった。主催者としては婚約者と調べがついていて、気を遣ったのだと思われた。


「ダブルベッドもあるけど、大丈夫、僕が居間のロングソファで寝るから」


「そういう問題じゃない~ まだキスもしていないのに」


 シンシアは真っ赤になってエッジを見上げる。


「探検隊だと多分、船の多段ベッドだよ。今日はしっかり休もう」


 『第12火山島』までは2時間も航海すれば到達する距離だが、直接接岸はできないのでボートの類いで人員と荷物を運び、キャンプ地を設営するはずだ。野営地が近い間は船に戻って休むことになるだろうが、快適とはほど遠い。


「あなたは私と同室でどうしてそんなに冷静なの? やっぱり女としての魅力はないから?」


「そんなことあるはずないよ」


 エッジにポンポンと頭を優しく叩かれ、シンシアは上手く丸め込まれたなあと思いつつも、喜ぶ。


 ボーイが契約書を持ってきて、書き終えたらお呼びくださいと言って去って行った。


 シンシアとエッジはすぐにサインを済ませ、シンシアは少々考える。


 この後は契約を済ませた関係者を集めたレセプションパーティがあり、編成を確定させた後、明後日の出航となる予定だった。シンシアはマスコミも来ているであろうことを想定し、レセプションパーティの出席は見合わせ、騎士団精鋭に情報収集を任せようとエッジに言い、エッジは同意した。エッジの場合、あまり顔を知られたくないのもその理由の1つだろうと思われた。


 夕食はルームサービスにして、シンシアは久しぶりの2人だけの食事を楽しむ。そして大きなバスルームでのお風呂を堪能した。ボイラーがある建物はまだ多くない。領地外屋敷にもないのだ。ちょっと得した気分だった。


 髪をよく拭いてバスローブ姿で居間に戻るとエッジが新聞を読んでいた。


「すごいよ、もう記事に……」


 そしてシンシアと目が合ってエッジは固まってしまった。バスローブ姿が原因と思い至り、シンシアは小さく頭を下げた。


「すみません、不用意でした」


「姫が、いいなら、それで、いいです」


 エッジはドギマギしている様子だった。


「露出度が大きいわけじゃないし、万一見えても男の人が見て嬉しい身体でもないでしょう」


「そのうち慣れないといけないと思えば」


 エッジはギクシャクしながらシンシアに向き直る。


「夕刊?」


「うん」


 エッジはシンシアに夕刊を手渡し、バスルームに入っていった。


 シンシアは記事になっているというエッジの言葉を思い出し、夕刊を見てみると裏面全てが探検隊の記事だった。エッジとシンシアが歩いて劇場から退出する画像が掲載されており、画像の下には『婚約したともっぱらの噂の、幸せいっぱいの2人』と注が記されていた。


 確かに画像の中の自分の顔は幸せそうだった。こけていた頬はふっくらと紅潮し、不幸そうだった自分はもうどこにもいない。会場がどよめいたのも婚約が知れ渡っていたからで、悪い評判からではなかったのだろう。服装も先日のデートのときに着用した軽装の魔道士服だ。見栄えも悪くない。画像になっても服は可愛く見えた。


「ちょっとくらい取材に応じてもよかったかな」


 などと甘いことを言う。実際に立ち止まったら食い物にされていただけに違いない。


 えへへ、と生きてきて18年、今まで発したことのないだらしがない笑い声を上げ、シンシアは悦に浸る。


 カチャリとバスルームのドアが開く音がしてエッジが出てきたのだとわかり、振り返り、今度はシンシアが絶句する。


「記事読んだ?」


 エッジは腰にバスタオルを巻いただけの姿で、髪の毛もろくに拭かず、髪から水滴を滴らせながらシンシアの側に寄ってきた。鍛えられた厚い胸板に余分な脂肪がない腹筋がシンシアの煩悩を刺激した。


 シンシアは絶句し、フリーズするしかない。


「姫?」


「あなたの方が、よっぽど私の心臓に悪いわよ~!」


 シンシアは夕刊で自分の顔を覆う。本当はもう少し見ていたかったが、理性が残っているので、見ないことにする。


「そう?」


「勇気が出たら、逆襲するから」


 その勇気が出るのはいつのことやら、と自分で思わなくはない。


 エッジはバスルームに戻り、今度はきちんとバスローブをまとって戻ってくる。


「姫は自分の方は緩いのに僕には厳しいんだな」


「肌色面積が全く違ったでしょう!」


「男と女で面積の許容範囲は違うでしょう?」


「乙女に男性のセミヌードは刺激が強すぎます!」


「わかりました、姫。気をつけます」


 エッジは微笑みながら頷いた。どうにもこの婚約者を怒ることができなかった。たぶん、出会い頭に彼に向ける一生分の怒りを覚えたからだろう、と思う。


 そしてシンシアから夕刊を奪い、エッジは彼女の顔をのぞき込む。


「新聞と同じ顔をしているね。かわいい」


「もう! からかって!」


 シンシアはソファに置かれていたクッションを手にしてエッジの顔に押しつける。


「会場がざわめいたのも、他の人の目からもかわいくなって見えたからだと僕は思うな」


 どんな顔をして言っているのか、クッションが邪魔でシンシアからは見えない。


「はいはい。そういうことにしますよ」


 シンシアは少し拗ねるが、少し嬉しくもあった。


「ところで、記事読んだ?」


「ちょっと舞い上がっていて、まだです」


 肝心の記事の方を読んでいない。クッションを離し、エッジから夕刊を受け取り、ざっと目を通してシンシアは冷静になった自分を見つけていた。


「――これ?」


「それ」


「あれかな」


「念のため、調べて貰うか」


 記事の一番最初に紹介されていたのは探検隊の隊長、ハイランダー卿だった。当たり前といえば当たり前なのだが、興味深い。極北海の探検を成功させた後、健康上の理由で長い間療養を続けたため、10年ぶりの探検になる、とあった。


 その健康上の理由というのがいかにも夕刊紙らしく、普通なら眉唾物の話ばかりで、異郷の宗教の研究を始めただの、長い間探検した極北とは真逆の極南界の美術品の収集を始め、多くの外国人が出入りしている、だのあった。


 長い探検で精神を病んだ可能性の方が高いが、それにしてはわざわざ10年ぶりにこんな探検に乗り出すというのも考えにくい。だが、リハビリ目的も考えられるし、生活費に困窮し、名義貸しという可能性ももちろんある。調べて貰うのが安心だ。


 エッジは宣言どおり、居間のロングソファで寝て、シンシアが寝室で寝た。


 翌日は編成が終わったとのことで連絡があり、シンシアらが乗るのは2番艦と決まった。一行は2番艦に乗艦し、内部と避難経路を確認。荷物の大半を割り当てられたキャビンに置き、ホテルの劇場に戻り、ハイランダー卿から今後の想定される任務と日数についての説明を受けた。ハイランダー卿は夕刊記事にあったような健康上の不安で10年間探検から遠ざかっていたようには見えない、後ろに凪がした銀の髪と顎ひげが印象的な偉丈夫で、70歳近いはずだったが、10歳は若く見えた。話し方もしっかりしている。精神を病んだという話も考えにくかった。


 彼の説明は続いた。1日目に上陸、キャンプを設営し、終了。翌日から探索開始、その後、安全が確認でき次第、測量しつつ、地質調査。上陸するクルーは1日おきに交代で鉄甲蒸気艦で休憩と調査報告書の作成をするというのが主な流れだった。


 普通といえば、あまりにも普通の探検だ。港から至近であるため、補給も問題視されていない。想定されるのは混沌の力は強く、秩序が不安定な場所を安定させるための任務だ。そこはシンシアやエッジら特殊技能習得者スペシャルの出番だと考えられた。


 話を聞く限り探検隊に不足はないようで、そのままホテルで2泊目となった。コウモリ1・5号は戻ってきたが、残念ながら、魔道士協会の図書館司書からは外神信者についての報告は上がってこなかった。やはり外神関係は難しい問題なのだと考えられた。その代わりハイランダー卿を含む、探検隊の主要メンバーについては詳細が送られてきた。分量があったため、シンシアは後でじっくり読むことにした。


 そして3日目の朝、シンシアとエッジ、騎士団の一行は鉄甲蒸気艦の2番艦に乗艦し、『第12火山島』へと向かった。わずか2時間の船旅だ。


 鉄甲蒸気艦は最初は蒸気タグボードに引かれ、港から出た後、ボイラーから黒い煙を吐き出し、スクリューを回して航海を開始する。2本立っているマストも帆を広げて風を受け、大きな推進力となっている。


 大陸屈指の大都会オンポリッジからたった2時間の場所で、何かが起きようとしている。


 シンシアは考える。


 エッジに助けられなければ、今頃自分は外神信者の陰謀の犠牲となり、どうにかなっていたはずだ。今もまた、最悪、外神という未知の存在と対峙するかもしれない事態になるのかもしれないが、不思議なことに必ずどうにかなるはずだと思える。


 今までのように自分は1人ではない。彼がいる。


 鉄甲蒸気艦の舳先に立ち、『第12火山島』――『神殿の島』が見えないかと進路を望むエッジは子供のようだ。


 行く手に魚群があるのか、カモメの群れが旋回しており、鉄甲蒸気艦がカモメの群れの下に入った。カモメは蒸気艦の甲板で一休みしたり、物色したりしている。


 シンシアはエッジの横顔を見ながら、1人ではない幸せをかみしめ、最善を尽くそうと何かに誓う。


 これは、まずい。


 シンシアの脳裏に危険信号が走る。それが何かは分からないが、確実に脅威が迫っていた。


 カモメはうるさく鳴き、何かを求めていた。人から餌を貰った経験があるカモメが多くいるのだろう。シンシアは懐からお菓子を取り出し、カモメに向けて投げる。お菓子と一緒に投げたコウモリ1・5号も一緒にくわえ、その個体は上空へ逃げていった。


 うまくごまかせただろうか。


 コウモリ1・5号は上空でカモメから無事逃げだし、島へ一足先に向かった。どこにいるか分からない敵に可能な限り備えなければならない。そう考えての選択だ。少なくともカモメからは逃げ、目的地に向かった。それをよしとする。


 シンシアが安堵した次の瞬間、餌を貰ったカモメだけではなく、羽根を休めていた個体も一斉に上空に飛び立った。


 それは何者かが近づいたことを、シンシアとエッジに知らせたのだった。

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