そんな日が幾日も続き、暇を持て余した御者が畑仕事の指導を始め、侍女が本格的にお屋敷の中の整理に取りかかった頃、オンポリッジから便りが届いた。


 その手紙の差出人はエッジがかつて面倒をみていた孤児の1人で、今は独立して新聞社で働いている少年からだった。


「彼が僕の情報網の要なんだ。図書館にもいるし、官公庁にも大勢就職させた。秘密だよ」


 エッジはシンシアと一緒に応接間で手紙を開封した。


 手紙には2人が知りたかったことがだいたい記されていた。


 混沌の魔道士協会『星々の真理派』の今のメインの支援者が海運最大手の会社で、オンポリッジにほど近い沖合に小島を1つ保有していること。その小島は荒天時や風が凪いだときや、オンポリッジの港が船舶でいっぱいになったときの避難場所として機能しており、莫大な収益を上げ、そのお陰で海運最大手でいられるということ。


 一方、秩序の魔道士協会『新機械教団派』は海運でいつも二位に甘んじている会社と資源開発会社との接触が多く、支援も受けているとのことだった。それに加えて例の沸騰海ボイリングシーにできた新しい島の探検計画がそれらの企業主導で進められ、近々辺境伯の許可を得て、探検隊員が募集されるというもっぱらの噂とのことだった。単に探検するだけならばいざ知らず、領有を主張するためには完全な測量とその後の実効支配が必要になる。そのためには辺境伯の許可が絶対に必要だった。


「わかりやすい。独占されている沖合の避難基地を、新しい島に自分たちで作ってしまおうというわけだね。そう思わない?」


 手紙を途中まで読んで、エッジがシンシアに意見を求めた。


「でも沸騰海ボイリングシーに新しくできた島だから安定なんかしない。いつ混沌に巻き込まれて沸騰してしまうかわからない。投資するのはリスクが伴う」


「安定すれば活用方法はいくらでもあるし、新大陸への航路が変わる可能性だってある。秩序側としても早く安定させて秩序の神々の力を強化したいから利害が一致しているわけだ。安定させる方法があるのなら、だけど」


「昔ながらの方法をやるつもりなのかな。その辺の混沌を刺激して物質化させて、退治して消滅・霧散させる。ああ、それで探検隊か」


「混沌側は仲間の魔道士を何人も沸騰海ボイリングシーに投げ込んで生け贄にして、混沌の神々を召喚できれば島くらい消えるよね……そのまま沸騰海ボイリングシーも荒れ続けるだろうけど――ああ、それは大手の海運会社さん儲かるね。少し測量を遅らせるだけでもメリットがあるけど。僕ならまずは探検隊を邪魔するかな」


「つまり、やっぱり、私って新しい島を消し去るための生け贄だったってこと?」


「効率の良い、ね。最終階位魔法習得者なんて混沌の神への生け贄にふさわしいけど、本当にふさわしいのは最終階位魔法そのものだよね。混沌の神の力の顕現って言われているくらいだから。でも結局生け贄にするしか、混沌の神に捧げる手段はないし。手に入れるのは難しい生け贄1人で済ませるか、確保しやすい多数の生け贄を集めて人目につくか、最初から二方面作戦だったと考えるべきだね。僕ならそうする。今は姫を諦めて次善策に移行しているのか、それともやっぱりまだ諦めていないのか」


「ということは探検隊にお呼びがかかるね、私たち」


「探検隊を編制しようって言っているのは秩序側なのに?」


「秩序の魔道士が作ったコウモリ1号の眠り針には混沌の魔法がかかっていたよね。それはまだ私たちは全てを分かっていないってこと。少なくとも私たちを探検隊員の一員として呼べばさほど小難しいことをしなくても、しかもノーリスクで島に招ける。著名な特殊技能習得者スペシャル2人が暇を持て余しているって知れば、声をかけても普通だよね」


「確かに。姫、冴えてる」


「行方不明になっている魔道士さんも助けたいなあ」


「そもそも生きているのかなあ」


「そこは分かりませんが、全力は尽くしたいですね」


 シンシアは手紙を読み返し、封筒の中に戻した。エッジはシンシアの顔をのぞき込む。


「つまり、声をかけられたら探検に参加するってことでOK?」


「え、違うの?」


「たぶん、断ったらそのまま沸騰海ボイリングシーで事件は起こるけど、僕らには何の関係もないままだよ。普通に、この日々が続くよ」


 エッジはシンシアを見て、顔色を窺おうとしていた。


「確かに、ここの生活は貧しくても健康的です。私、少しふくよかになった気がしませんか?」


 エッジは頷いた。


「毎日かわいいけど、もっとかわいくなった」 


「そういうのいいから。自分でも鏡の中の自分が前は不幸そうだったのに、今は幸せそうに見えるから変わったのが分かる。ここの生活は悪くないし、やることもいっぱいある。でも人間の欲で、ほんの一部に過ぎないけど、秩序と混沌の世界の成り立ちを変えようなんて傲慢は全力で止めるべき。それで命を落とす人がいるんだからなおさら。海を渡れなくなって困る人はもっと大勢いるんだから、当然! 止めるべき!」


「――シンシア姫、本当にお嬢様だ」


「出来損ないですが、本物のお嬢様ですから」


高貴な者の義務ノブレス・オブリージュを地で行くね」


 エッジは苦笑した。


「――私のこと、持て余す?」


「持て余すくらいがちょうどいい。それでこそ僕のお姫さまだ」


「灰色キツネの、ですけどね」


「灰色キツネ、かわいいじゃないか」


 エッジはソファから立ち上がった。


「姫、抱擁したいのですが、許可をいただけますか」


 シンシアもソファから立ち上がり、言った。


「婚約者を抱きしめるのに許可が必要ですか?」


 その返事が終わるか終わらないかの間でエッジはシンシアを抱きしめた。


「抱擁してくれるの、初めてだね」


「姫、良い感じで肉つきましたね」


「ロマンティック気分台無し! でも、心地良いよ、あなたの胸の中」


 シンシアはエッジの匂いと温かさ、腕の力強さを堪能する。


 好きな人の胸の中はこんなにも幸せだ。


 どれほどの時間が経ったのだろう。


 ゼンマイ式の柱時計の音が響く中、2人はゆっくり離れた。


「では、探検隊に呼ばれる前にまずやることがあるのでお願いがあるのですが」


 何故かエッジはさっきから丁寧語だ。


「はい、なんでしょうか」


「姫の絶対防御魔法ワールドクリフで試したいことがあるのです。見せていただけませんか」


 なるほど最終階位魔法習得者である私に言っているんだ、とすぐにシンシアは納得する。


「喜んで。魔法を使っていないから体力が余っているからね。でも、試すって何を?」


「いくつか考えがあると言ったでしょう。実証しておこうと思いまして」


「それは心強いね」


「では、地下へ。結界があるので、誰にも見られずに済みます」


 田舎屋敷の地下にはたいてい、使用人の部屋があるものだが、この館はそれとは異なり、広大な空間が広がっていた。


 加圧式の灯油ランタンの輝きが四隅にあるだけだが、困らない程度には明るい。


「ここがあなたの訓練場ね」


 壁には多くの武器が掛かっている。長剣から短剣、もちろんナイフにワイヤー編み込みのロープに革ベルト、何に使うのか分からない暗器もある。


「器用貧乏なんだ。真っ向から戦ったらS級ダンジョン制覇者の誰にも勝てないと思う」


「絡め手なら負けない?」


 エッジは頷いた。


「そうありたいし、そうでなければと考えて修練を続けている。同じ武器でもシチュエーションや扱い方の違いでコンボが変わることも多々あるし、考えることも覚えることも無限だ。その引き出しの数が僕のS級ダンジョン制覇者としてのプライドを支えているんだけど、まあ、純粋な強さ比べをしたい方々には『卑怯』ってやつで」


「死ななければ勝ちなのでそれはそれで」


「姫にそう言ってもらえると気が楽になる」


「そんなに?」


「姫にだけ呆れられなければ僕はそれでいい」


「――それは離れのみなさんに失礼よ。みんなあなたを頼りにしているんだから。あなたを見限ったり、呆れたりすることがあるはずがない」


「そうか。それは気づかなかった」


 エッジは呆けた顔で答えた。


「あなたは本当に自分のことには鈍いのね」


「違うよ。自信がないんだ」


「私と同じだね」


「姫は、かわいい! 僕の中では絶対の真理!」


 シンシアが何に対して自信がないのか、エッジはよく分かっている。


「どうして即答するのかな〜」


 シンシアは真っ赤になって俯いて顔がエッジから見えないようにする。


「もう一生回数分、かわいいって言われた気がする」


「その回数はこの先、ずっと更新されていくよ」


「あ~ もういいから絶対防御魔法ワールドクリフを見せるだけでいいの?」


「発動したら殴ります」


「効果の確認?」


「そうだけど――まずい。姫を殴るなんて僕、できない。ここは頼むか。潜むものダイバー!」


了解コンセント


 エッジの影の中から機械音声メカニカルボイスがすると全身鎧姿の自動人形オートマタ潜むものダイバーが現れ、エッジとシンシアの前にすっくと立つ。


『まさか私にシンシア姫を殴れというんじゃないでしょうね』


「う……ですよね」


『拒否します。絶対命令アブソリュート・コマンドに反します』


「それでは姫、大変申し訳ないけど、僕が……」


絶対防御魔法ワールドクリフだから全く問題ないよ」


「姫に刃を向けることだけでも手が拒否しそう」


「そもそも何がしたいの?」


「普通の防御魔法みたいに反作用があるか確かめたい」


 防御魔法は何種類もあるが、絶対防御魔法ワールドクリフをシンシアが復元するまでの防御系最終階位呪文だった反射防御リフレクションは名前の通り、エネルギー系、打撃系を問わず、攻撃を跳ね返し、霧散させる。ただし完全に攻撃を消滅させられるものではないし、術者は動けなくなるので使えるシチュエーションはあまり多くない。


「反作用があると?」


「前に反射防御リフレクションをぶっ叩いたとき、当たり所が悪くてそのまま衝撃が跳ね返ってきてナイフを落としたことがあって、それが絶対防御魔法ワールドクリフでも起きて、かつ反作用の力を一点に集中できれば――」


「戦闘中にそんなの無理だよ」


「そこは考えがある」


「うーん。じゃあ、発動するよ」


 長い呪文のあと、シンシアの髪が金色に輝き、全体が金色の輝きに覆われる。


 呪文が発動したことをシンシアはそれでようやく確認する感じだ。


 エッジは少し驚いたような顔をしたが、すぐに元のように少しおちゃらけた感じになって言った。


「発動したのがビジュアルでわかっちゃうのは良くないなあ」


「そんなに使い勝手がいい呪文じゃないの。最終階位魔法なのは虚無のイシュヴァラ固有の能力発現ってところに混沌の魔道士的には価値があるからであって」


「いやいや。そんなことはないと思うよ」


 エッジは実に苦しそうな顔をし、ナイフを鞘から出し、逆手に持った。


「大丈夫だから安心して殴ってください」


「うう。姫、すみません」


 エッジは真顔になっておそらく全力で、神速の早さで刃を振るい、その次の瞬間、身体ごと数メートル弾き飛ばされていた。


 エッジは壁に打ち付けられ、呼吸困難になって呻いた。


「これは、予想以上……」


 シンシアは絶対防御魔法ワールドクリフを解除し、エッジに駆け寄った。


「大丈夫? こんなに吹き飛ばされた相手、今までいなかったよ! どうしてこんなことに?!」


「――答えは簡単。僕が防御面に正対するように刃を撃ち込んだから。すごい。完全に打撃力をはじき返すんだ。自分で自分を殴ったようなものだ」


 衝撃に耐え、呼吸を整えながらエッジはシンシアを見上げた。


「ということはこの威力ってあなたの攻撃そのもの――」


 ナイフの一撃でこれは異常だ。


「これで確証に変わったよ。考えていたものを発注する。あとでコウモリ1・5号にお使いを頼んでもいいかな」


「それはもちろん」


『エッジ、大丈夫ですか』


 今まで見守るだけだった潜むものダイバーすら、心配したのか傍らにやってきた。


「シンシア姫に刃を向けたんだ。これくらいのダメージは甘んじて受け入れるよ。それより潜むものダイバー、たぶん、同じ考えだと思うんだけど」


 潜むものダイバーは全身にある機械眼を点滅させた。


『ええ』


「え、なに?」


「姫が最終手段を僕に見せてくれたんだから、僕の最終手段を姫にも見せないとフェアじゃないと思うんだ」


 エッジは立ち上がり、服の埃をはたいた。


「あなたの――最終手段?」


「うん。いいかい、潜むものダイバー


『無論』


 エッジは潜むものダイバーの前に立ち、つぶやいた。


展開装着ディ・アイ


了解コンセント


 その言葉を発すると同時に、地下室は目映い光に包まれ、シンシアは視界を失ったのだった。

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