エッジが領地外屋敷に戻ってきたのはちょうど南中した時間だった。


 普段、シンシアは研究室には誰も入れないようにしているが、エッジは別枠だと自然に判断し、室内に招き入れた。エッジは腰の小袋を取り出し、言った。


「お土産があるよ」


 即席の婚約者ではあるが、早速のプレゼントだ。ロマンティックな展開にシンシアの胸は躍った。自分にこんな展開が待っていたなんて昨日の今頃は夢にも思わなかったのに、今は現実に存在している。不思議でならなかった。


「なにをもってきてくれたの?」


「自動飛行機械の2号サンプル」


「――」


「喜んでもらえると思ったのに!」


「それはサンプルは多い方がいいですけど」


「じゃあ、こっちの方が良かったかな」


 小袋からは自動飛行機械と一緒に綺麗に装飾された丸い陶器の器が入っていた。


菓子器ボンボニエール! 中身はなあに?」


「こちらは喜んでもらえて何より」


 エッジが菓子器を開けて見せてくれ、いろいろな色と形のチョコレートが入っているのがわかった。


「午後のお茶、一緒にしてね」


 エッジは嬉しそうに頷いた。


「空いたら菓子器に何を入れようかな。今から楽しみ」


「とっておいてくれるんだ?」


「もちろん。婚約者からの初めてのプレゼントだもの」


「あ、そっか――外れの贈り物じゃなくてよかった」


 エッジは意識していなかったらしい。シンシアは声を出して笑ってしまった。


「お昼ごはん、まだでしょう? 用意して貰っているから持ってきて貰うね」


 シンシアはベルを鳴らして給仕を呼び、来たワゴンからトレイを手に取り、部屋に持ち込んだ。トレイの上はサンドイッチと小さなサラダボウル、そして紅茶のポットだ。


 散らかった中央のテーブルを片付け、2人の簡単なランチタイムが始まる。


「研究しながら食べられるからお昼はたいていサンドイッチなの」


「これじゃ痩せるよ……僕の領地に来てくれたら、簡単に食べられてもおいしくて栄養価が高いものを用意させるよ」


「そんなのあるの?」


「ワンプレートに全部乗せるんだ。ライスとおかずと温野菜が入っていろいろなソースもかけて、スプーン1本で食べる」


「お行儀悪い」


「いやいや。僕が生まれたところでは普通だから」


 シンシアはまた笑った。こんなに笑うのは久しぶりだ。いつもは研究室内で黙々とサンドイッチを食べて、研究に没頭するだけだからそもそも感情の起伏がない。


「あなたとは前からの知り合いだったみたいね」


「――そうかもね」


 エッジは少し寂しそうに笑った。少し考えた後、シンシアは聞いた。


「昨日、私にプロポーズしてくれたときに言っていたじゃない? 私が『泣き虫女神ナキサワメ』その人だって。あれに関係あるのかな?」


 エッジは軽く驚いたようだった。


「さすが天才魔道士。鋭い。しかも僕の失言をよく覚えていてくれて……」


「失言?」


「今、話をしても笑われるだけだと思うから」


「笑わないと誓うわ」


「でも、やっぱり話すのは今じゃない気がする。ただ言えるのは『泣き虫女神ナキサワメ』は『月の女神シンシアの別名で、この世界そのものということ。秩序の神も混沌の神も、彼女を巡って争っているだけなんだ。己の存在をかけてね」


「言っていることが分からない。世界そのもの?」


「この世界は無限に広がり、その境では混沌が沸騰し、世界の中心では秩序の『老い』と『時間』そして『不可逆』の三柱が世界を崩壊させ続けている」


「そんな神話、聞いたこともない」


「混沌側にも秩序側にも伝わらない話だから」


 エッジは真面目な顔をしていた。どうやら彼は自分が考えていたよりも多くの秘密を抱えているようだ。また、そうでなければ2人パーティでS級ダンジョンを踏破できるはずもない気もする。


「僕の話がこの世界の真理なんだ、とか言うわけじゃない。ただ、僕が生まれた地方ではそういう話が伝わっているんだ。僕は『泣き虫女神ナキサワメ』というとってもマイナーな神の信奉者ってだけの話と思ってくれていい」


「今は、それでいい。そういうことにする」


「君は知的な女性だな。助かるよ」


「なにせ婚約者になって丸1日経っていない関係ですからね。これからゆっくりお互いを知っていく必要はありますけど、そんなに急いでもいいことばかりじゃないでしょう」


「そして話は冒頭に戻るわけだ」


「気遣ってくれているの伝わるから、あなたと話をするの、楽よ」


「それは姫君には僕のことを好きになって貰わないと困るからで――社交パーティで起こしたスキャンダルの結果の婚約でも、姫君を幸せにして差し上げたい」


 エッジは申し訳なさげに、恥ずかしげに俯いた。


「その気持ちがあればお互い大丈夫だと思うな。私は運がいい。絶対、私とあなたは相性がいいと思う」


「だと、いいんだけど」


 エッジは幾度も頷いた。


 食事を終えると、今度はお互いの成果の報告会になる。シンシアの方は自動飛行機械を分解した結果、足取りがつかめそうなことと、毒針を分析した結果、混沌魔法がかけられていたことが判明したことをエッジに伝えた。


「眠りの魔法なの。それもとても強力で、付与できる魔道士も解呪できる解呪士も限られているから、いい感じで後は辿れるはず」


「それは杜撰な計画だなあ」


「まさか自動飛行機械が回収されるとは考えていなかったんでしょう。眠りの魔法で周囲が混乱したまま解呪師の下に運び込まれさえすれば良くて、その後の段取りができていたと考えるのが自然ね。解析に必要だといって針も回収できるし」


 その後はエッジが騎士団支部でのやりとりと彼が依頼した情報筋の結果を話した。また、その後、自動飛行機械に尾行されていることに気づき、撃墜したことを語った。


「あの自動飛行機械を作れそうな秩序の魔道士の当てがついて、その内の1人が工房から急に失踪したらしいから、おそらくその魔道士の制作なんだろうね。失踪先は探して貰っている。バッテリーの話で裏が取れそうだね。後でそれも調べて貰うよ」


「失踪とか――物騒ね。消されていないといいけど」


「騎士団で混沌の魔道士の行方不明事件のことも聞いたから、何かしら関係はあるだろうね。眠りの魔法と解呪師の件は姫君経由で調査できる?」


「もう依頼済み」


 シンシアはつい得意げな顔をしてしまう。エッジは驚きの表情を隠さない。


「早い。じゃあこれからどうするかだね」


沸騰海ボイリングシーの新しい島の話、気になるけど」


「つながっていたら一大事だ。あんまりその結末は考えたくない。何かしらの利権争いに関わっていると思うから」


「でも逃げちゃダメよね」


「逃げはしないけど、どうしてこうなったかな」


「私たちはきっと、トラブルに巻き込まれる運命なんでしょう」


 シンシアはため息をつき、エッジは頷いた。


「それは仕方がない。ひとまず昼寝かな。寝不足だ」


「私はまだやることがある。ちょっと考えついたんだ」


 そしてシンシアは分解された自動飛行機械と新たに手に入れた自動飛行機械の残骸に目を向けた。 


「あまり無理しないようにね」


「気が乗ると何徹もするタイプなの」


「お肌に悪いよ」


「あ、お肌を見せる人ができたのよね。明日からは気にするわ」


 2人は顔を見合わせて笑った。


 エッジは部屋を別に用意して貰って仮眠をし、シンシアは研究室で自動飛行機械をいじり始める。領地外屋敷には複数の護衛が配置されているから、エッジも安心して眠れるだろう。


 エッジはお茶の時間ぴったり15時に起き、作業が終わったシンシアと2人、お土産のチョコレートを摘まみながらお茶の時間が始まる。


 シンシアがよほどおいしそうに食べていたからか、エッジは心臓を抑える仕草をした。


「姫、本当に愛らしいです」


「何度言われても自信ないのよ。だってかわいいっていってくれたの家族以外ではあなただけだから」


「姫の初めての『かわいい』が僕で嬉しい」


「かわいいも、男の人からのプレゼントもみんな初めて」


「ダンジョン制覇したときのパーティで何もなかったの?」


「蚊帳の外だったからなあ。男に興味ない系の魔法オタク扱いだったの。年齢も1人若かったしね」


「男が見る目なくて良かった」


 エッジは本当に満足げに幾度も頷いた。


「じゃあ、街で休んでいるときとかもどこも行かなかったり」


「ずっと宿にこもってたな」


「体力回復を優先させたらそうなるか。でもたまには外に出ても良かったんじゃないかな」


「たとえば、今?」


 シンシアは自分でもイタズラっぽい笑みを浮かべているであろうと思う。


「考えないわけじゃなかったけど、敢えてやる?」


 エッジは怪訝そうな、心配げな顔をする。


「社交パーティで狙われたのはパーティでなら隙が多くできるからだよね。イブニングドレスなんか防御力ゼロだから。普段の装備なら攻撃針とか通らないし。敢えて、隙を見せる。向こうも罠と分かっているだろうけど、尾行用の自動飛行機械が潰されたから、こちらの行動は今のところ把握されていない。それを考えると今、出かけるのが一番いいかな。隙を見せれば手を出してくる可能性がある。その際、有利とはいわなくても五分五分だと思う」


「とんでもないこと考えるお姫さまだな! 自分を餌におびき出すんだよ?」


「単にデートを体験してみたいだけです。ドキドキさせてくれるよね、きっと」


「違うドキドキだよ、それは」


「おしゃれしようーっと」


「うわ、決定しているらしい」


「ただ待っているの、もう飽きたの」


 シンシアは動揺しているエッジに、小さく舌を出して見せた。


「――ああ、待たせていたんだ」


 エッジは真顔になってシンシアの赤い瞳を見つめた。シンシアは運命だと思うから、こう応える。


「たぶん、そうだと、いいな。着替えてくるね」


「2時間後でいい?」


「なぜにその時間」


「電報で相棒を呼ぶ。さすがに街中では1人で守り切れないかもしれない」


「噂の、全身鎧の人?」


「そう言われているね。違うけど」


「紹介してね。あと2時間って言ったけど、だいたい準備にそれくらい掛かると思うから、ちょうど良いと思うよ」


「え?」


 エッジは呆然としてしまったようだ。シンシアは部屋を後にし、侍女を呼び、昨日に続いて、お出かけの準備を始める。昨日はあれほど気が重かった外出の準備も、今はとても気楽で、とても楽しいものに変わっていた。自分が急速に変わっていくことをシンシアは認識しつつあった。

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