エッジはオンポリッジの中心街であるラウンドアバウトに急いでいた。彼が市内で馬車を使うことは希だ。渋滞が多いため、走った方が早いからである。


 昨夜、彼がシンシアから決闘を申し込まれ、円形闘技場に向かうまでの数時間の間、あらゆるつてを駆使し、刺客の情報を集めた。敵を知らなければ何も始まらない。


 その第一報がそろそろ集まってきそうな時間になっていた。


 しかしその情報を受け取る前にラウンドアバウトにある王国騎士団オンポリッジ支部に行かなければならない。昨夜の弁明のためだ。王国騎士団は警察業務も行っているが、別に辺境伯が名誉上の指揮官になっている市警も存在するため、ややこしい。できれば今回の件は王国騎士団だけで済ませたかった。


 新聞売りの少年から新聞を1部、すれ違いざまに購入する。新聞を勝手に束から抜き取り、新聞代のコインは彼のポケットの中に放り込んだ。


 立ち止まる時間が惜しい。


 新聞を流し読みしながら走り続ける。特に変わった記事はない。昨夜の社交パーティのことも載っていたが、灰色キツネのお姫さまが肌を露わにしたという記載はなかった。彼女の肌を見たのは自分だけだ。記事になる可能性が低かったとは言え、一安心だ。


 念のため、もう一度ざっと目を通す。


「いや、これ怪しいな」


 それはオンポリッジの東の海、沸騰海ボイリングシーの沖合に新しい島ができたという記事で、航行する船舶へ警戒を呼びかけているのとともに海図の更新を推奨していた。沸騰海ボイリングシーに新しい島ができるのは秩序の神の力が強まった証拠だ。


 エッジは後で更に調べようと思い、記憶にとどめた。


 近年、産業革命の進行に伴って秩序の神の力が増大し、様々な事件が生じている。混沌ケイオス秩序ワールドオーダーのバランスがまた大きく変わる時期が来ているのかもしれない。


「となるとやはり単なる暗殺の線もあるか」


 エッジはその想定を忌々しく思うが、可能性を捨てきれなかった。


 最終階位魔法の使い手であるシンシアを混沌の神の生け贄にすれば、数十年の間、再び絶対防御魔法が失われ、混沌と秩序のバランスはある程度戻るだろう。猛者揃いの最終階位魔法習得者の中で暗殺のしやすさから言えば、シンシアがダントツで一番だろう。術が発動しているとき以外は、脆弱なお姫さまだ。


 たとえそうであっても、どんなことがあっても、シンシアを好きにはさせない。

 エッジは神々にではなく、胸の中の何かに誓う。


 月の女神シンシアはこの世界でようやく出会えた彼だけのお姫さまだ。


「なあ、潜むもの《ダイバー》」


 エッジが相棒の名を呼ぶと、いずこかから低振動音が発生し、応えた。




 騎士団支部は24時間常駐で、エッジが到着したときはちょうど夜番が勤務を終えて昼番と交代する時間だった。玄関ロビーの受付で来た旨を伝えると聞き覚えのある声がした。


「これはこれはオブシディアン男爵殿。お待ちしておりました」


「――その節はご迷惑を」


 振り返ると交代要員の中に、昨晩、相対した騎士がいた。昨晩はしっかり顔をみる余裕がなかったが、今は違う。金髪碧眼の貴族の子弟上がりと思われる、好男子だ。


 まだ若い。20代後半だろう。襟章を見て、この支部の副官級だと分かった。エッジは受付で武器を預け、先ほどの騎士に案内される。騎士はアンバーと名乗った。階級は少佐だった。


 狭いながらも応接室に通され、お茶まで出してくれた。


「昨晩遅くまで働かれていてもう出勤ですか」


「騎士団は常に人不足でして。昨晩の件の報告を受けました。仕立てが悪かったのか、どこかで引っかけたのか、偶然、イブニングドレスの肩スリーブが切れてしまったとのことで、伯爵ご令嬢からも誤解だった旨を聞いている、とか」


 アンバー少佐は100%疑いのまなざしだった。


「そういうことにしてください」


「ああ、誤解されていますね。なにかありましたらお力になれるかもしれないですよ。特殊技能習得者スペシャルの方は個人でどうにかされることが多いですが、組織の力も役に立つことが多い。覚えておいてください。貴公が法を犯さなければ、ですが」


「肝に銘じます。それでは早いところ本当の用事を済ませてしまいたいのですが」


 エッジは向かいの応接ソファに座るアンバー少佐をまっすぐ見た。


「お若い。その若さであの機転、あの戦い方。さすが技能習得者スペシャルですが――私も含め、若い者にご指南いただけないかと思いまして。騎士団の騎士は剣の腕が立っても非正規戦に不慣れな者が多いのです」


 エッジは想定外の方向に話が進み、あっけにとられてしまった。騎士団も秩序の魔道士がらみで動いており、事情をそれとなく聞かれるのだと考えていたのだが、思ったよりも騎士団は事情をつかんでいない様子だ。


「自分の引き出しを簡単にさらけ出す武芸者はいません。剣術のように理論的に積み重ねられたそれですら、理論外の技があります。私のナイフ術など引き出しが全てですから、簡単にはお教えできませんよ」


 それは本音だ。ナイフマスターなどと言われていても、所詮ナイフはナイフだ。使いどころを間違えてしまえば、殺傷距離が長い剣や槍はもちろん、銃士が使うライフルなどの銃器に敵うはずはない。大切なのは機転と取り回しのしやすさ、状況に応じた適切な技を確実に繰り出せるかだ。その意味では秘密はない。


 アンバー少佐は肩をすくめ、苦笑した。


「それは当然のことですね。ああ、『それでは面子が立たない。お帰りいただくわけにはいかない』とかやってみたいものですが」


「それは困りますね」


「やりません、やりません。昨晩はいい経験をさせていただきました」


「そう言っていただけると助かります」


 その後は簡単に調書を作成し、放免となった。


 アンバー少佐は玄関ロビーまでエッジを送ってくれた。


「お疲れ様でした。私はこれから別件も調書を作らないとならなくて、こちらで失礼します」


 エッジが丁寧に頭を下げるとアンバー少佐は彼に耳打ちした。


「まだ新聞屋には嗅ぎつかれてはいないのですが、混沌の魔道士が数名行方不明になっておりましてね、そちらの対応で忙しいのです」


 そしてアンバー少佐はにっこり笑った。


「またお会いしそうですね」


「お互い、あまり忙しくならないといいですね」


 そしてエッジは騎士団支部を後にした。支部の建物を見上げると若い騎士が2階から自分を確認しているのが分かった。


「いいように使う気満々だな」


 エッジは肩をすくめる。混沌の魔道士の中でも高位のシンシアがトラブルに遭った。とすると騎士団としては一連の流れに関わりがあると考えるのが自然だ。しかし忙しすぎて捜査が進んでいないのか、手がかりがつかめないのか、現段階では情報が少なすぎるのだろう。そこでエッジに餌を蒔いた、というところだろう。


 今まで以上に気をつけて動く必要がある。騎士団が味方になるか敵になるかは今後の展開次第だ。敵でも味方でもなく単なる邪魔になる可能性もある。


 面倒だな、と思いつつ、エッジは情報源へと走って向かう。騎士団も動いているだろうが、他の混沌の魔道士の行方不明事件についても調べて貰わないとならなそうだ。


 金は幾らあっても足りない。さてどうしたものか。


 それでも思わず笑んでしまう自分がいて、エッジは前向きな自分を嬉しく思った。

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