第41話
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人里離れた場所にある蜘蛛の巣にまみれた荒れ寺、天井の破れ目から陽の光が直接そそいでくる本堂につどう無数の人影があった。思い思いの場所に腰をおろす修験者たちと、佇立するひとりの男が向き合っている。
前者の者たちは一様に怒りを押し殺したような顔つきをし、後者は薄ら笑いを浮かべていた。
「みなの衆、ようつどってくれた」
後者、一見すると行商人の身なりをした男、弥惣次(やそうじ)があかるい声を出す。ただ、そのまなざしはのがれられない死を間近にした者のように昏く、決して平凡な地下ではありえない。その場に集まった者たち、幾人もの人間の負の感情に触発される形で彼の“本性”の部分が表に立ち現れているのだ。
「さぞや、不遇をかこい怒りをつのらせておるだろう」
「さような言葉で、我らの存念が言いあらわせるか」
弥惣次のせりふに、噛みつくようにして垢じみてみすぼらしい格好をした修験者のひとりが応じる。そのまなざしは、弥惣次が元凶だといわんばかりの苛烈な光がやどしていた。実際のところは弥惣次にはなんの責任もない、そんな者に当たってしまうほどに彼らの心根は荒んでいるのだ。
「みずからの淫行が御簾中が調伏の儀を頼む仕儀を招いたというのに、あやつめ我らに非があると断じ、国を追いおった」
「命を落とした家中の妻女を側室として囲っておるとも聞くぞ、さような者が余人の非を云々するなど片腹痛いわ」
「しかも、神仏を悪魔と断じてはばからぬ邪教の教えをひろめることを認める始末、あの慮外者に天誅を食らわせてやる」
少し水を向けるだけでこの有様だ、身のうちの憤怒は爆発寸前といっていい。総身から吹き出る激情が激しく燃え上がる炎となっている様が見えるような気がする。
よい、よいぞ――そんな修験者たちを前に弥惣次は口角をつりあげた。余人の負の感情に触れると、頭頂部からつま先まで心地いい感覚につつまれる。ましてや、相手が相手。
弥惣次は神仏を心底信じていない。母を亡くした前後の体験が、この世に確かに存在するもの以外なにも信用できなくさせたのだ。
そして、神仏を奉じる気持ちを持つ者がへどが出るほど嫌いだった。
なにかを“信じる”ことができる、ということはいまだその者の心には希望や救いが存在するということだ。それが弥惣次はうとましい。心の表層の部分では認めていないが妬んでいる。
ために、神仏を信じる者から信仰心を奪い去ること、悲惨な目に合わせることを至福にしていた。本当に心からそれが楽しくてしかたがないのだ。それに比べれば男女の交わりの快感など存在しないも同然だった。
凡人を痛めつけるのも楽しいが、やはりなぶるのなら門徒よ――そう思っているのだ。
「ご一同の怒り、ごもっとも」
ひとしきり不満が飛び交ったところで弥惣次は声を張り上げる。その顔には、ふだんはいっさい見せることのない快活な表情が浮かんでいた。唐突にどうした、修験者からそんなまなざしが向けられた。
弥惣次はそんな彼らに笑みを返しながら、安置すべき仏像もなくただ朽ちていくばかりの須弥壇の裏にまわる。そして、目的の“物”を表に手荒く引きずり出した。それを目の当たりにし修験者たちは唖然となる。
「何事だ」彼らのひとり、大柄な者で猪首の者が戸惑いを露わに一同を代表して疑問を口にした。
「おれなりの三献の儀だ」
そう告げて、弥惣次は裸に剥いた女性を床の上に転がす。幸の薄そうな地味な顔は無惨な青あざで痛ましいものとなっていた。
猿ぐつわを噛ませた上に拘束されているため抗うすべをなにひとつ持たず、ただただまなざしで慈悲を乞うのみだ。顔面を鮮血で染めた女人はまつ毛やくちびるを小刻みにふるえさせていた。肌を濡らしているのは、彼女の良人と幼い子どもの血だ。
目の前でふたりの首を刎ね女人から家族を奪ったのは弥惣次だった。ここに来る途上で“神(デウス)の教えがどうの”と説いてきたのを不愉快に感じ正体を見破られたわけでも邪魔だったわけでもないが戯れに父子を殺めたのだ。
三献の儀、と疑問の声が修験者のひとりからあがる。一方で、修験者たちのまなざしは女人の豊かな胸乳(むなぢ)や太ももの付け根へとしっかりと吸い寄せられていた。神仏がどうのとどの口でさえずりおる――。
「こやつは、おぬしらの“仇”が奉じるのと同じ神をたてまつる者だ。己の淫行を棚にあげて余人の非を責めたきゃつへの意趣返しの手始めとして、この女子(おなご)になすのに適したことがあろう」
弥惣次の意味ありげな笑みを目の当たりにし、修験者たちの間に理解の色がひろがっていった。誰ひとりとして、自分たちが結局のところ先ほどまで侮蔑の言葉をぶつけていた相手以上の鬼畜の所業に及ぼうとしていることに気づいていない。いや、わざと目をそらしているのだ。そのほうが都合がよければ人間はあっけなく悪に走る。人なぞその程度のものだ。
みなで悪事に手を染めれば、もはや後戻りはできぬ――そんな彼らを、弥惣次は笑顔で見守る。彼の笑みに嘲りの色がやどっていることにその時は誰ひとりとして気づかなかった。
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