第32話

   二


「いかがかな、勘解由小路殿」

 戸次鑑連(べつきあきつら)が在昌に真剣な顔つきでたずねる。大友家を背負って立つ武士としての迫力が総身からかもされながらも、ふところの深さを感じさせる不思議な雰囲気をそなえた人物だ。

 永禄十二年の晩秋。場所は筑後の山隈城の書院だ。

 この頃といえば織田信長が足利義昭を奉じて上洛した時期だ。永禄五年についには下克上の波が足利将軍にまで及び、足利義輝は弑殺された。時代はさらに混迷を極めることとなり、その混沌の中からついに歴史の異端児、織田信長が表舞台に華々しく姿を現したのだ。天下布武の四文字を掲げ。

 この報にふれたとき在昌は、「上総介様は着実にご自身の道を歩まれておられる」と胸が打ち震える思いに襲われたものだ。まだまだ長く戦乱は打ち続くが、日の本は着実に転換期を迎えつつあった。

 そんな折、大友の領内は戦乱の巷にある。永禄一〇年六月、毛利の説得に応じた豊満山城主の高橋鑑種(あきたね)、古処山城主秋月種実、高祖城主原田親種(ちかたね)、勝尾城主筑紫広門(これかど)、蔦ヶ岳城主宗像氏貞(うじさだ)らが次々に挙兵した。翌十一年には立花城主の立花鑑載(あきとし)が宗麟に反旗をひるがえす。それまで保たれていた大友・毛利の和平は三年余りで破れた。

 宗麟は筑前国内の叛乱鎮圧のため、戸次鑑連、吉弘鑑理(あきまさ)、臼杵鑑速(あきすみ)の豊州三老に出陣を命じ、斎藤、志賀らの部将たちにも兵をひきいさせ筑前方面に急行させた。

 毛利氏支援のもとに反大友の国人領主たちは攻め寄せる大友の大軍と戦った。この間、肥前の龍造寺隆信も毛利側に通じて兵を挙げたので、肥・筑の内乱は拡大している。ついに対毛利戦は頂点を迎え、豊・芸両者の総力戦となり、宗麟もまたみずから筑後の高良山まで出陣して将兵の督励に当たった。

 これらの叛乱は、戸次・吉弘・臼杵三将をはじめ、大友諸将の働きで古処山城主秋月種実が降伏、肥前の龍造寺隆信も大友と一時和睦するにいたっている。そんななか、鑑連は大友宗麟の下知で山隈に在城していた。

「大願成就の卦が出ておりまする」「さようか」

 鑑連が表情をほころばせ声を大きくした。いくら勇猛な将でも、油虫のごとくつぶしてもつぶしても続々と現れる反逆者との戦にはうんざりしていたのだろう。

「されど、霹靂の卦もでておりまする。ゆめ油断なされぬよう」

 内心、少しあせりながら在昌は言葉をかさねる。

 もし、これで大友が大敗することがあれば卜占の失敗りを非難されることになる。卑怯ではあるが“逃げ道”を用意しなければならない。

 大友領内で続発する内乱に大友家の将兵たちにはあせりや鬱屈が蓄積している。敗戦となれば、勝利を占ったが過ちだったということでその矛先が卜占をおこなった者に向けられる可能性はおおいにあった。

 されど、あせっておるのはこちも同じ――。

 豊後にくだってからすでに二年の歳月が過ぎている。すでに在昌の齢(よわい)は四十七、人間五〇年とすればあと三年ほどの寿命しか残されていない。身体の調子からしてもっと長生きしそうな予感があるがそんなものがあてにならないのがこのご時世だ。

 だのに思ったほど天文の研究は進んでいない。神学院(コレジョ)が設立されるのは天正八年以降のこと、ために組織だった教育を受ける機会などあるはずもなく学問の享受はあくまで伴天連(バテレン)が手が空いているときに乞うという仕儀にならざるをえない。これでは思うように学べるはずもなかった。

 また、軍配者として成り上がるというひそかな志も実現する機会を得られぬままに一切支丹としての暮らしを送るうちに日々は過ぎていた。

 ちなみに鑑連とのかかわりは、大恩人であるアルメイダとの関係で生じたものだ。元は商人であるアルメイダは通商を通じて大友家に大きく貢献している。また、火薬に必要な焔硝などの商いにも彼は存在感を示していた。

 ために賢明な鑑連は「耶蘇坊主が」などと蔑むようなまねはせず親しく付き合っている。そして在昌とも同様に接してくれていた。

 ともかく、鑑連は戦で倦んだ気持ちを卜占でわずかなりとも解消し、在昌も必要とされることで多少の充足感をおぼえた、その場に少しあかるい空気が醸成される。

 だが、突如として小姓が足音高くやって来たことでそれは破られた。

 なにか良くないことが起こったに違いない、と予感し在昌は眉間にしわを寄せる。

 失礼いたしまする、と気の急いた口調で告げ小姓が主の許しを得て戸を開けた。

「ご注進にござる」

「何事が出来いたした」

「毛利の軍兵が本国を発ち、鎮西を目指して進軍を開始したとのよし」

 衝撃的な報告を緊張で顔をこわばらせた小姓は口にした。

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