第27話
九
前年に犬山城を攻略した織田信長は居城を清洲から小牧山へと移していた。犬山城から落とした彼はふたたび尾張国内を掌握することに成功している。次に狙うは東美濃だ。
彼は今、くつろいだ姿で灯明の照らすなかひとつの文に目を通している。
したためたのは在昌につけている透波、仁右衛門だ。むろん、中身はもろもろの報告だ。
「豊後におもむき、さっそく波乱を起こしよったか」
信長は小さく声を立てて笑う。敗れた大友家の軍配者の角隈石宗の顔はさぞや見ものだったろう。
「そして、大友宗麟入道」
仁右衛門だけでなく、彼に文を預けた在昌もまたかの屋形を評価していた。
曰く、耶蘇教の者を通じた商いの収益で相当に内証は豊かだという。戦巧者とはいえないらしいが、重臣に采配にすぐれた者が多数いるとか。
それに大友宗麟には信長と似ている部分もあった。
信長は生まれるとすぐに那古野城にひとりで住んだが、弟の信行はいつも父信秀や母といっしょだった。ために弟は二親(ふたおや)の愛情を独占したのだ。
大友宗麟も母と過ごすことのできた時間は短く、彼をうとんだ父は弟を贔屓した。
信長は屋形としての立場をめぐり弟と衝突し一度は許すも結局、謀叛の疑いを理由に信行を討った。
宗麟のほうは父が家督を弟に譲ろうとしたために家老四人の反発を招き、このうちのふたりを粛清したが、そのために生き延びたふたりの反撃をまねき次男・塩市丸とその母が殺害された。当主であった義鑑(よしあき)も瀕死の重傷を負い、その後息を引きとる。
戦国乱世の悲劇の典型を背負って生きているようなふたりだ。
あるいは、顔を合わせれば在昌(あやつ)のごとく友となれるやもしれぬな――信長は遠い目で声に出さずにつぶやく。
「もっとも、わしと宗麟入道が屋形の立場にある限り無理な相談であろうな」
権力の座についていない在昌ならともかく、大友宗麟は鎮西の六カ国を領する太守だ。利害関係を無視して交流することなど信長の立場ではできない相談だった。
されど、交誼をむすぶに足る相手であるのは確か――今日、明日というわけにはいかないが信長は宗麟と距離をちぢめることを決めた。それから二年後の永禄一〇年在昌のむすんだ縁は着実に結実し、大友宗麟は『赤壁賦図盆(せきへきふずぼん)』という名盆を信長に贈っている。
「なれど、宗麟入道よりも今のわしが惹かれるのは」
南蛮人の技、品々――。
子を産んで血が止まらず命も危ぶまれた在昌の妻を救った手並み、見事なものだ。果たして、日の本の医者に同じことがなしうるかどうか。それに、銃丸の傷をも手妻のごとく治してみせるとも聞いたと仁右衛門からの文にはつづられていた。事実だとすればすばらしい。
結句のところ、戦で深手を負って助かるかどうかは神仏頼みというのが現状だ。もし、それが人の努力によって変わるというなら、
「変えうるのは因習だけではない、ということになるの」
信長は口角を大きくつりあげた。
変えてみせる――。
「弟を干戈を交えねばならぬような世は」
そのために天下をおのが手中におさめるのだ。
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