第24話

「ぜ、是非お頼みもうす」

「貴殿はこちを心から信じられまするか」

 勢い込む清水に対し、在昌はあくまでゆっくりとした声で応じた。相手の調子に乗せられないようにわざとそうしたのだ。

「むろん。むろんのこと」

 そんな問いかけに清水は声を張り上げた何度もうなずく。

 されば、と在昌は彼に対して指示をふたつ与えた。

 一、まず食を断つこと。

 二、なるだけ眠らずにいること。

 そして後日、蹴鞠の会の前日に在昌は清水のもとをおとずれた。

 小体な屋敷の一室で彼と対峙する。刻限は深更のことだ。

 ただし、こたびは彼だけでなく顔を覆面で隠した仁右衛門も同道している。彼の手には鼓が抱えられていた。

 清水はいわれたことを忠実に守っていたようすだ。目の下に隈をつくり、心なしかほおが削げたように見える。人は空腹や疲労、眠気によって正常な判断力を減じさせる。これで暗示にかかりやすい状態となっていた。

 そんな彼を前に、在昌は脇に置いていた弓を手にし立ち上がった。

「仁右衛門」と告げると、彼は側の灯明を吹き消す。

 そして、闇に鼓の音がひびきはじめた。

 天蓬(てんぽう)、と唱え在昌は部屋を横切る形で左足を踏み出す。そこに右足をつけ、天内(てんない)、と呪文を口にし右足を出して左足をつける。同じ要領で“反閇(へんばい)”という儀式をつづけ、清水の周囲をめぐった。並行して彼は手にしている弓をかき鳴らす。

 鼓の低い音、鳴弦の高い音、在昌の声がまじわり一種異様な気配がかもしだされた。

 闇のなかで光る清水のまなざしが段々と焦点をぼやけさせていく。ついに眠気に耐え切れなくなったという感じではなく、“なにかに魅入られた”そんな風情だ。

 頃合やよし、と判断したところで在昌は清水の前で足を止める。

「貴様は、先祖伝来の太刀を幼いころに持ち出しふるうてみたことがあるな」

 声色を変えおごそかな調子でたずねた。

「さ、さよう」

 それに清水が茫洋とした顔で応じる。

「好奇の念からふるい、切先を折ったな」

「お、折りもうした」

「その上、盗まれたことにするために土に埋めたな」

「う、埋めましてござる」

 清水の声にわずかだがおどろきのひびきが混じった。

 当人にしてみれば、誰にもあかしていない秘事を言い当てられた、ということになろう。

 だが、真相は違う。そもそも、太刀を埋める場面を清水の妹が目撃していたのだ。ただ、気性の激しい父に知らせればその場で兄を手打ちにしかねないと危惧して口を閉ざした、それを仁右衛門が清水の不在の折におとずれて聞きだしたのだ。

 むろん、兄のために必要なのだ、当人に陰陽道の術を施すよう頼まれている、という事実をあかした上で。

 これは、後世の陰陽師もおこなっていた。なんらかの理由で祈祷のために呼ばれるとき、彼らは前申しと呼ばれる者をつかわして依頼した者の仔細を探る。その役割を仁右衛門は果たしたのだ。

 同じ調子で在昌はいくつか清水の秘事を明かす。

 その上で、

「そちは向後、いかなるときも気を張ることはなくなる」

 と幾度も言い聞かせ、「急急如律令」というせりふで締めくくった。

 鼓と鳴弦の音が止み、静寂が室内を満たす。

「勘解由小路氏。拙者、生まれ変わった心地がいたす」

 清水が声をつっかえさせることなく告げた。その顔には自信がみなぎっている。

「それは重畳」

 在昌は笑顔でうなずいた。その表情は、清水を祝福するというよりみずからの術の成功へのよろこびが勝っている。

 在昌がなしたのは、清水に暗示をかけることだ。

 平安の世からつづく陰陽道の側面のひとつとして、心の病や不調を治すというものがあった。これは吉備の上原太夫など後世、名を変えながらも陰陽師の流れを汲んだ者たちの存在が証明している。

 経験則の積み重ねによって、彼らは心を癒す術を身につけそれをつたえたのだ。その業の行使が、“狐を祓う”などという形で世間でとらえられた。

 こちには使えぬと思うていた――。

 心に働きかける、それも後世のごとく薬の力を借りずに、となるとそれはたぶんに“印象”に左右される部分が大きい。

 ために、京にいたころの在昌はなかなか上手く陰陽道の術をつかえなかった。

“嫡子ではない”という依頼者の胸のうちにある思いが術のかかりを悪くしたのだ。しかし、在昌はこれを己に天稟に恵まれぬためにできぬのだと思っていた。

 だが、清水は在昌が嫡子でない事実など知らない。京の生まれでもないために、安倍や賀茂の人間に接する機会もなく在昌に対して抱く“陰陽師像”は安倍晴明や賀茂保憲と変わらぬほどに肥大化していた。これが術の成功の鍵となったのだ。

 こちにも陰陽道の術が使えるのか――とても感慨深い。

 遊び女の血を引くために、どこか依頼をこなすときに卑屈になっていた部分があり、それも術を失敗る原因のひとつだったのだろう、と先ほどの自分と過去の己を比較して思った。

 まだ向後、豊後に居つくことができるどうか定かではないが、それでも豊後に来てよかったと思う。

 在昌は新たな自分に出会うことができた。

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