第21話

「ささ、座りなされ」

 話し相手ができてうれしいのか、老人は向かいに置いてある籘製の椅子をすすめる。

 また、なにか仕掛けるのではないか、そんな疑惑を抱きながら在昌は油断なく椅子に腰をおろした。師ヴィレラから話に聞いていたが椅子という物には初めて座る。

 おお、と声にならない声がもれた。

「これは」「なかなか楽なものでございましょう」

 在昌の反応を老爺は楽しんでいるようすだ。

 確かにいわれた通り、楽だった。総身のほとんどを預けることのできることがこれだけ心地いいものだとは。

「して、暦のことを聞きに参られたとか」

「さよう。まずはこれをご覧になっていただきたい」

 在昌は懐から一冊の書物を取り出し彼に渡した。平安の頃から現在に至るまで使われている宣明暦だ。

 興味をひかれた顔で老爺は書物をめくって目を通す。何項か内容をあらため、やや戸惑いのにじむ声で彼は言葉をかさねた。

「見たことがありませんな」

 見たことがない、と在昌は聞き返す。

「暦は皇帝が変わるたびに変わりますからな」

「皇帝が変わるたびに変わるので」

 老爺のせりふに対し在昌は語尾をはねあがらせた。

「いつから使われている代物で」

「平安の頃から」

「はて、平安」

「ざっと、数百年前になりまする」

「数百年前」今度は老爺が声を高くする番だ。

 目を見開く彼を前に、在昌は急に羞恥心に襲われる。皇帝が変わるたびに暦を新しくしてきたというなら日の本の暦は相当に“遅れた”ものだろう、そんな思いを抱いたのだ。

「もうしてはなんですが、あきれ返りますな」

 老爺はそう感想をのべ、ふたたび嫌みのない声で笑う。

「ところで、暦にかかわることでひとつ教えていただきたい儀があるのですが」

「どのようなことで」

「憶えている限り、日食がいつ見えたか教えていただきたい」

 日食、とくり返し老爺が少し遠い目をした。彼が少し記憶をたどるのに苦労しながらのべた日には、日の本では月食が見えなかった折がふくまれていた。

 思うた通り、日の本の日食の予測は見えるはずのないものまでなされていた――。

 アルメイダとの会話で悟るにいたった事実をいま確信した。

 やはり、天文を学ぶ場所として豊後はもっとも適した土地だった――父の跡を継ぐ道はとうにあきらめているが、それでも長く追い求めた疑問の答えに近づきつつあるという感触は心地のいいものだ。

 それからもしばし、在昌は老爺に天文に関する疑問を相手が音をあげるまで投げかけつづけた。

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