第19話

 それから五年後、永禄七年の暮れ。夜分に在昌のもとをおとずれる者がいた。

 その人物はみずからのことを「上総介様におつかえする細作だ」と名乗り、「法華宗門徒がついにおぬしの命を縮める肚を決めた」と明かしたのだ。当然、在昌は激しく動揺した。

 そんな彼に透波は「御屋形様の文だ」と書状を手渡した。中身を要約するとこうだ。

『京からのがれよ。そのための金子はわしが用意した。その代わり、わしに合力せよ。目的地を鎮西は豊後、府内とし、当地の動きや南蛮人の仔細について知らせよ。かの地には天竺教が根を下ろしておると聞く、ちょうどよかろう』

 いかにも信長らしい主張がそこにはあった。相手が頼みを断ることなど考えもしていない、そんな存念がつたわってくる。だが、腹は立たない。在昌にとって信長は、齢四〇を間近にして初めて得た友と呼ぶべき男だ。

 それに豊後行きは実のところ、以前から考えていた。

 在昌にとって天文の師であるヴィレラが、松永久秀の切支丹の追放によって京を空けていた。それに彼から学ぶべきものはすでにすべて吸収し尽くしてしまっている。そこで、多くの南蛮人がやって来ているという鎮西、特に耶蘇教の教えが屋形によって認められている豊後の地を踏み、彼らに学んでみたいという思いは日に日に強くなっていたのだ。

 ただ、妻や子供たちのこともありなかなか踏み切れないでいた。

 そこに降ってわいた、法華宗門徒の襲撃の企て。それに信長の誘い。

 むろん、おおいに悩んだ。ただでさえ京をはなれるというのは大きな決断、ましてや当時、妻は身重の身だった。

 葛藤の末、在昌はすべてを妻のほのに打ち明けた。

 話を聞き終えたとたん、彼女は笑い声を弾けさせた。そして、

「命を奪われてはたまりませぬ。ほかに道はないではありませんか」

 と笑って告げた。

「されど、そちは身重の身」在昌は躊躇いをおぼえずにはいられなかったが、

「ちょうどよい契機です、参りましょう鎮西へ」

 ほのは自分こそ豊後へ行きたいのだとばかりにあかるい顔で応じたのだ。


 そして、現在にいたっている。

 女性であり身重であったが、それでも鎮西への旅路は妻であるほのにささえられた。

 だからこそ、在昌はひとつの思いを抱くようになっている。

 妻を幸せにしてやりたい――。

 今まで苦しい暮らしを強いてきた。だから、少しでももっとましな生活をさせてやりたかった。

 そのための手立ては、

 こちが大友家の軍配者となる――。

 ことだ。豊後にたどりつくまでは露ほどもそんなことを考えていなかったが、角隈石宗のあからさまな脅しを受けたことでかえってそんなことを思い立ってしまったのだ。まさに、石宗にとっては薮蛇だった。

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