第17話

    五


 夜。すでに子どもたちは寝静まって、大友宗麟が用立ててくれた屋敷の寝間で在昌はひさしぶりに妻とふたりきりの時間を過ごしていた。

「一時は死を覚悟しましたが、無事に豊後にたどりつくことができましたね」

 おっとりとした口調で感慨深げにほのがいう。

「縁起でもないことをもうすな」

 思ってもいなかった発言に在昌はうろたえた。心の臓が胸のうちで激しく暴れる。

「かような時世です、お前さま」

「それはそうだが」

「それに、京をあとにせねばならなくなったのはお前さまが元凶でありましょう」

 床をともにしながら、ほのは少し意地の悪い笑みを向けてくる。

 この言葉には在昌は声につまった。事実その通りだからだ。身重の妻に旅をさせることになったことへの後ろ暗さは言葉にはしていないが、出立を決めたときから今日まで常に彼の胸のうちにある。

 ただ、京をあとにした原因は法華宗との諍いだけではない。


 永禄二年、のちに天下に名を轟かせることとなる織田信長は少数の警固を引きつれて京にのぼっていた。十三代将軍足利義輝に拝謁するとともに尾張守護に任命されることを目的とした上洛だ。

 このとき、朝廷の人間として信長に接触した山科言継の仲介で在昌は酒宴へと呼ばれた。

 戦乱で荒廃し、荘園が現地の武士に侵食され、かつ朝廷は形骸化しているという状況にあって多くの公家は京を逃げ出し所領へとくだっていた。武家の食客となった者も多い。勘解由家の身近でいえば安倍晴明の裔である土御門有脩(つちみかどありなが)なども己が領地に滞在し京を空けていた。

 京で生計を得るのはむずかしい。在昌も例外ではなく、そういった内情を知っている言継は織田家の屋形である信長に彼を引き合わせたのだ。

「貴様、この戦国乱世の終焉はいつおとずれると考える」

 酒宴の席で顔を合わせた信長の第一声がこれだった。

 在昌は唖然となる。彼の物心がついたときには、乱世こそが現し世の常の有様だった。それが終わるということ自体考えたことがなく、ましてやそれが“いつ”なのかなどみじんも頭をよぎったことがない。

「そうさな、あと二〇余年で終わらせてみせようぞ」

 信長は甲高い声で自信満々に告げた。

 このときの彼の齢(よわい)は二〇代半ば。しかも、今川義元、北条氏康、武田信玄、長尾景虎など彼よりも圧倒的に力を持った戦国大名は数多い。その場に居合わせて信長のせりふを耳にした者の目には“なにを莫迦ことを”という嘲りが武家、公家の別なくのぞいていたしかも、それをはっきりと表情に出さないところが余計にいやらしい。

 ただ、在昌だけは違う。その場でひとり。

 静かに感銘を受けていた。ほおが上気し、脈がひどく早まっている。

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