第16話
ただ、この日の出来事はそれだけでは終わらなかった。
城の敷地を出てすぐの、門番からは死角になる位置に立ったところで在昌はふいに声をかけられたのだ。
「貴殿かな、高名な勘解由小路家の御仁というのは」
在昌は突然のことに少し身体を緊張させる。兵法を修めてはいるが明確な殺気ならばともかく、単にそこにたたずむだけの者の気配を察知するほどの勘の鋭さは身についていない。
「さようですが、御前は」
問いかけながら彼は相手を仔細に確認する。
猪首、固太りといかにも武辺者の武士といった風貌を相手はしていた。だが、その印象に反し、
「それがしは大友家家中で軍配者をつとめる角隈石宗(つのくませきそう)ともうす者」
と名乗った。
角隈石宗、と在昌は胸のうちでくり返す。
先日出会ったアルメイダに彼の名前を聞いていた。「かの者は大友の御屋形様にお仕えする呪(まじな)い師です」と。それを聞いたとき、少し嫌な予感がした。陰陽師の家の生まれであるこちのことをこころよく思わぬやもしれぬ、そう考えたのだ。
「貴殿は賀茂の裔としてさぞやすぐれた陰陽道の術を学ばれたことでござろう」
「さほどでも」
「されど」在昌がとりあえず謙遜の言葉を口にしようとしたがそれを石宗はあきらかな悪意を持ってさえぎる。
「それがしも足利学校で兵法、卜占などについて学びもうした。その業前はけっして京の陰陽師にも劣りはせぬと自負しておりまする」
「さようか」挑みかかるようなまなざしを向ける石宗に在昌は鼻白んだ。
足利学校とは禅宗の学校で易学を主に教えていた。戦国乱世の当時、後世の人間が考える以上に易・占、祈祷などが重要視されていた。それを担ったのが軍配者であり、多くの軍配者を輩出したのが足利学校だ。
たとえば、毛利元就の三男で小早川家を継いだ小早川隆景は玉仲宗琇(ぎょくちゅうそうしゅう)と白鷗玄修(はくおうげんしゅう)の二人を招いており、九州の大名鍋島直茂も不鉄桂文(ふてつけいぶん)をもちいている。彼らはみな足利学校の出身者だ。さらには、上杉景勝の重臣直江兼続が涸轍祖博(こてつそはく)を、大御所時代の徳川家康の頭脳・天海も同じく足利学校で学んだ者たちだった。
軍配者の兵法、卜占、天文などの業をもって大名に仕えている。この職掌は陰陽師の身につけているそれと大部分が重なっている、ために石宗は突如として豊後をおとずれた在昌を自分の立場を危うくするやもしれぬと警戒しているのだ。
「もしやすると、様々な素性の者たちがお互いに切磋琢磨する我らに分があるやもしれませぬ」
別段怒りも感じないため返すべき言葉も見つからず在昌は口を閉ざした。
父上であれば烈火のごとく怒り狂うだろうが――。
「大友家の軍配者は拙僧、それを承知されよ」
一方的に話しかけてきた男は、手前勝手に話を終えて去っていく。
やれやれ、と在昌は盆の首に手をやった。法華宗門徒からのがれて豊後にやって来たが、ここでも平穏無事に過ごせそうにない。先が思いやられため息が自然ともれる。
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