第13話

 その後、在昌はトーマスたちを手伝った。患部に清潔な布を巻き、泣き叫ぶ子どもをなだめ、いざ施療を受ける段になって暴れる者を取り押さえた。解放された頃には空が茜色に染まっていた。

 家族のもとにもどると、

「いずこに行っておられたのですか」

 と妻のほのに叱られた。だが、彼女はすぐに涙目となる。

 そんな妻を目の当たりにして在昌が不平を抱くはずもない。心地いい疲労が総身をつつんでいた。こうして府内の伴天連(バテレン)との邂逅は万事、無事に済んだ。


 仮の住処として与えられた離れ、その戸口にたどりついたとたん喧嘩の折に猫があげるのに似た、赤子の鳴き声が聞こえてくる。

 元気のよいことだ――在昌は思わずあわい笑みを浮かべながら戸を開けた。そして声のほうへと進んだ。

 たどりついた先は居間、そこに子どもたちがそろっている。

 長男が部屋の隅で、在昌が豊後に持ってきた書物に静かに目を通しているのが印象的だ。すこし苦い記憶とともにかつての自分の姿を在昌は彼にかさねる。

 ああいうふうに勘解由小路家が賀茂と名乗っていたころから所蔵されている書物に父の目を盗んで接しているうちに、在昌は兵法書にたびたび触れ通暁するようになっていた。もともと、遁甲など兵法の要素を陰陽道は内包していたこと、また陰陽師がもっとも進んだ大陸の知識や業を取り入れる後世でいう技術者であったため関連する書籍を貪欲に求めるうちに兵法書が紛れ込むことがあったのだ。その証左は陰陽師・鬼一法眼だろう。彼は有名な六韜三略の兵法書を極め、さらには京八流という剣の流儀の開祖ともなっていた。

 賀茂の先祖のようにではなく鬼一法眼のごとくなりたい――かつて、在昌はそんなふうな憧れを抱いていたものだ。

 それはともかく、その場には子どもたちだけでなく仁右衛門の姿もあった。彼はかなりの困惑顔で、少し前に生まれたばかりの在昌の末っ子を腕に抱いていた。赤子はすでに泣き止み、安らかな顔をして仁右衛門に無垢なまなざしを向けていた。

「なんとかならぬか、勘解由小路氏」

 仁右衛門がこちらに気づいて救いを求めるような顔をする。

「いかがした」

 そんな彼に赤子が手をのばしていたずらしようとしているのを見て在昌の笑みはさらに深くなった。

「妙になつかれて困っておる。俺が抱くのを止めると泣き出すのだ」

「“下(しも)の世話までしらもらっているからこの子も感謝しているのよ、小父様」

 長女が仁右衛門の脇に立って末っ子のほおをつつく。そのしぐさは最愛しげでどこか“母”を感じさせた。

 この子にも無事に子を抱き、成長を見守ってほしい――。

 在昌は心からそう思う。兄のごとき所業に走らぬで済むように――記憶の底に封じた昏い記憶がよみがえりかける。

「感謝しておるのなら、すこしは俺を休ませてくれ」

「それはこの子にいって、小父様」

「赤子にいっても無駄だろうが」

「つまりは、小父様はこの子からのがれられないということね」

 長女にあっさりと論破されて仁右衛門はうめき声のようなものをもらす。

 ただ、そのようすはどこか楽しげだ。とても織田信長がつかわした透波とは思えない。しかし、彼は間違いなく尾張の屋形に仕える身だ。家族をふくめ在昌は一度、彼に命を救われている。

「造作をかけた」在昌はそっと末っ子を仁右衛門から受け取った。手のひらから腕にかけてやわらかな感触と、成人に比べると高い身体の熱がつたわってくる。

 他方、肩の荷がおりた仁右衛門は安堵の表情を浮かべる。

 次の瞬間、赤子の表情が泣きそうに変わった。

「おう、よしよし」と在昌は腕を動かし赤子の機嫌をとる。するとすぐにその顔つきは上機嫌なものに変わった。

 一方、「小父様、手が空いたならお手玉しましょう」仁右衛門は新たな“脅威”、次女のおねだりにみまわれている。

「いや、俺はやっと」

「はい」手が空いたところだ、と告げようとしたのだろうが機先を制して次女はお手玉を彼の手ににぎらせた。父に程近い齢のを大人を手玉にとっているのだからなかなかの手並みだ。

 自分の言葉など聞きそうにない、そう悟ったのだろう仁右衛門はあきらめの表情を浮かべる。次いで、

「物を投げさせてこの俺に勝てると思うな」

 不敵な表情になってお手玉を高速で投げはじめた。なんだかんだでとても楽しそうだ。

「すごいすごい」次女に称賛され、「俺こそお手玉天下一だ」などと得意顔で言い出す始末だ。

 在昌は苦笑を浮かべ、赤子とともに大事をとって養生している妻のもとへと向かう。

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