第10話

 ただ、その後の旅路は順調に消化された。

 戦に巻き込まれることもなく、海賊の餌食になることもなく鎮西へとたどりついた。

 戦国乱世、無事に旅の大半をつづけることができただけでもよろこぶべきことだ。

 乱世のはじまりを応仁の乱に求めるせよ、それ以前に求めるせよ、複雑な大乱の前後から戦乱が各地に波及していったことは事実だ。多くの地域では古い権威を背負った守護大名が衰退していき、それに代わって守護代や有力な国人が新たな支配者となって中小の国人を組織し、戦国大名へと成長した。これはいわば自衛のためだった。

 されど、いずこからか武士は道を踏みはずした――。

 みずからを守るために戦っていたはずの武士たちは新たな所領を得るために奔走することとなった。欲望のためにみながみな、人を殺める、醜いことだ――と在昌は思っていた。やがて、永禄の頃となると、乱世の主役と呼ぶべき者たち、北条氏康、武田信玄、長尾景虎といった者たちが出揃った。

 いよいよ世の戦が激しさを増すなか、博多、府内間の移動もなにごともなく過ぎ、目的の地に到達する。

 府内は大友館を中心に碁盤目状に、東西に五本、南北に四本の街路が通じていた。川沿いに南北に細長い豊後府内は中央の大友館から見ておおまかに東寄りに商人や職人が住まう地域が、西寄りの位置に武家地が配され、隣接して万寿寺とかかわりのある町があるという構成になっていた。総構えのない開かれた町並みは『洛中洛外図屏風』に描かれる京に似ており、北方には海を臨んでいた。

 話に聞く華やかかりしころの京もかくやという有様だ――というのが在昌の正直な感想だ。度重なる戦で荒廃したかの地よりもよほど壮麗な景観を誇っている。

 道行く者のひとり、行商人らしき中年の男に「耶蘇教の坊主がつどい住まう場所を教えてくれ」と頼んだところあっけなくその場所は判明した。最も西側に位置する街路沿いの中町、大友館からほど近い場所にデウス堂と呼ばれる耶蘇坊主の寺がある、ということだった。

 教えられた場所に家族そろって足を運んで、ヴィレラの弟子であること、法華宗門徒の迫害をのがれてきたことなどとつたえたのだが、旅の途上で遭遇したフロイスたちの紹介状が功を奏してすんなりと伴天連(バテレン)たちへの顔合わせは叶った。

 が、ここでちょっとした行き違いがあった。

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