第7話
「ええ、確かですよ。旅のなかで時計という時を精確に計る道具で夜明けの時刻、日の入りの刻限が違うことを確かめたことがありますから」
反応の大きさが面白かったらしく、アルメイダが小さく声を立てて笑った。ただ、人柄のせいかそれを不快に感じさせない。もっとも、このときの在昌はおどろきが大きすぎて仮に相手が嘲笑を浮かべたとしても悪感情を抱く余裕はなかっただろうが。
「また、見える星が違うのも面白いですね」
「見える、星が違う」
「ええ。我々はそれぞれの星をむすんで“星座”といういわば架空の“絵”を空に描いているのですが、海を渡っているとそれが途中で見えなくなり代わりに見覚えのない星が見えてくる」
疑問の声をあげる在昌にアルメイダが丁寧な口調で説明した。
土地によって時間が違う、見える星が違う――在昌の脳裏でふたつの事柄がぐるぐるとまわる。
そして不意に脳裏にひらめくものがった。そうか、それで――。
陰陽師が暦作りにおいて大きく期待される要素のひとつが“日食を予測し的中させること”だ。日食の光は不吉なものとされ、その折には筵で御所を包みまわして瘴気を防ぐことが平安の時代からおこなわれていた。ところが、この頃の日本で使われていた宣明暦(せんみょうれき)による日食の的中率は三割九分と低調だった。
というのも、宣明暦はもともと唐土で作られたものだ。つまりはあちらの“時間”をもとに作られている。ために、日の本のそれとずれが生じるのは当然なのだ。結果、経度差、緯度差算入不備のために観測場所で見ることのできない日食までも予想するということになっていた。そのことに在昌は気づいたのだ。
暦道を伝える、暦家といったところで、ただ数百年前につたわってきた暦法を子々孫々受けついだだけで意味もわからずに決められた方法で加減乗除した結果をそのまま暦に記載している、それが陰陽師の実状だった。
しかも、平安の世から長期に渡って使われた宣明暦は、江戸の時世(じせい)には天行と相違すること二日に及んだ。在昌の時世(ときよ)であってもそのずれは相当のものであった。
暦の不備を捨て置いてよいのか、その思いが在昌の耶蘇教への帰依の一因となった。
「貴重な事実を教えていただきありがとうございます」
在昌はアルメイダに改めて礼をのべる。心からの言葉だ。
「いいえ、どういたしまして」
大抵の者が気圧されるような在昌の反応に対し、アルメイダはいぶかしむでもなく自然に応じた。昨日の時点で在昌が天文を司る家に生まれたという事実を告げてあるためだ。
が、そこに水をさすようにフロイスが口をはさむ。酒に弱いのか早くも顔を赤らめ呂律を怪しくし、
「いやあ、それにしても悪魔の教えに惑わされる者の愚かさといったらおどろくべきものがありますな」
と嘲笑を浮かべながら言い放った。
「坊主の説くところによると、須弥山とかいう山に太陽が隠れることで夜がおとずれるとか」
さらに言葉をかさねたフロイスは声を立てて笑う。
これに対し在昌は愛想笑いを浮かべながらも、心のうちに苦い思いを抱いていた。。
ヴィレラの教えで南蛮の天文の知識を得ている彼にしてみれば仏門の者が説く天文思想は鼻で笑ってしまうようなお粗末なものだ。
しかし師もそうだったが、彼ら耶蘇教の宗徒は他の宗門についての話になると「悪魔に踊らされている」などと他の宗門のいっさいを認めないという類の主張をする、それが在昌は受け入れがたい。自分たち耶蘇教が絶対的に正しく、それ以外の宗門の教えはすべて間違っている、そう彼らは躊躇することなく主張する。
正直なところ、在昌は神仏の存在を疑う部分があった。
冷静に考えてみたとき、もし神や仏がいるというならなぜこの戦国乱世で苦しむ多くの人間を救ってくれないというのか。そもそもなぜ、世が乱れるのを捨て置くのか。理屈で考えれば考えるほど彼らの存在は疑わしくなる。
ただ、そういう考えとは別に“自分と違うものは過ちだ”そんなふうに断じる切支丹の発言がどうにも在昌は気に障るのだ。
だから、入信はしているものの心から彼らの信仰に帰依するにはいたっていない。
したが、師からは天文の新しい啓示を得(え)、こたびはほのの命を救ってもらった――。
在昌はフロイスのことを無下(むげ)にもできず、しばし彼が日の本の神仏を扱き下ろすのに付き合あった。しかし、やや不愉快な会話はほんの一部で多くは有意義で興味深い話で終始した。
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