第2話

 戸口をくぐった瞬間、潮の香りが冬の硬質な空気にかすかに溶けているのを鼻腔に感じた。

 海辺であることを実感させられる。京を発って伊予につくまでにそれなりの日数が過ぎているが、盆地で人生の大半を生きてきた身にはいまだに潮のにおいは物珍しい。もっとも、それを楽しめる心境ではないが。

 日が沈むまでに刻はあるがすでに陽射しの温かみは消えつつあった。表に出ると下男に扮した男、仁右衛門と子どもたちの姿が程近い場所に見受けられる。

 ついこの間生まれた次男を仁右衛門が負い紐でおぶってあやし、自分たちも世話を焼きたくてしかたがないのか、十歳の長女と九歳の次女が彼にまとわりついていた。少し距離を置いて長男十一歳が、まるで彼らを差配するようにそのようすを見守っている。

 真っ先にこちらに気づいたのはその長男だ。父に近づいてきて彼は口を開く。

「母上のお加減は」長男としての立場を慮ってか、その声はあくまで平坦なものだ。ただし、その瞳にはすがるような色がやどっている。

 そんな我が子の態度が在昌はいじらしく思えた。大事はない、と長男の頭に手を置いて笑みを浮かべる。

「したが、母はお疲れだ。ちよが甘えて迷惑をかけぬよう見ておってくれ」

「父上は」

「夕餉の調達にまいる」

 在昌の言葉に長子はあごを引いて承諾してみせた。父の側をはなれて姉妹もとへ歩み寄る。

 息子と入れ代わりに、在昌の長女に赤子を預け仁右衛門がかたわらに立った。ふたりの大人が視線を向ける先で、姉の腕におさまる末っ子のほおをつついては次女が華やいだ声をあげていた。

 母の体調さえよければ笑みをこぼしたくなる光景だが、今の在昌は子どもたちを心配させないよう、けわしい顔をしないよう努めるので精一杯だ。

 こちのせいで――そんな切実な思いが脳裏に浮かぶ。

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