切支丹陰陽師――信長の恩人――賀茂忠行、賀茂保憲の子孫 (時代小説新人賞最終選考落選歴あり)

牛馬走

第1話

   第一章


   一


 永禄八年の年初から少し過ぎた時分。陽が暮れるにはわずかに早いが、伊予の堀江に勘解由(かげゆ)小路(こうじ)在昌(あきまさ)は宿をとっている。内証が決して豊かではないから路銀はなるだけ節約したかったが致し方なかった。

「もうしわけありませぬ」

 目の前で仰臥している妻ほのが青白い顔に後ろ暗さを見せる。

「謝ることなどあるか。そちは子を産むという一大事をなしたのだ」

 具合がよくないといのに余計な気づかいなどするな、そんな思いから在昌はつい怒ったような口調になってしまった。憂慮と後ろめたさがかさなって胸が締め付けられるような心地がする。

 良人(おっと)の気づかいがうれしかったのか、ほのは小さな花のほころびを思わせるあわい笑みを浮かべた。もともと、兵法者の娘とは相反するやわらかな雰囲気の女性(にょしょう)だ。それでも、性根がすわっているために普段はか弱さを感じないものだが、今宵の姿はそのまま透明になって消えてしまいそうな心もとなさがある。

 もともとの出会いは、在昌が「世は戦国乱世、おのが身をおのれ自身で守る術を身につけておくべきであろう」と陰陽道の大家として名を知られる勘解由小路家、賀茂の裔の人間とは思えぬ了見のすえに、京(みやこ)の一隅で兵法を教えていた兵法者に弟子入りしたことに端を発している。

 一目惚れといっていい。稽古のあと、師の平十郎のもとに乾いた手拭いを彼女が持ってきたのを目の当たりにして目を奪われた。爾来、当初の目的など忘れながらも師のもとに通い詰めたのだ。師、ひいては娘のほのに気に入られようと人一倍熱心に稽古にのぞみ、ついには彼女を嫁にもらうことを許された。もっとも、老兵法者は少人数を相手に教えているに過ぎなかったものだから、弟子たちの業前もそう高くはなかったのだが。お陰で他の兵法者から勝負を挑まれることもなかった。

 賀茂の裔といっても昇殿すら許されぬ身では暮らし向きが楽なはずもない。ましてや乱世のお陰で陰陽師がおこなうべき儀式の多くが中止されてひさしかった。

 それでも、そちは文句ひとついわずについてきてくれた――。

 口にしてしまうと現実になってしまいそうで恐ろしいから告げないが、出産を終えてから体調を崩した妻に対し「死ぬな」と常に念じつづけている。

「夕餉の用意をしてくる」

 居たたまれなくなった在昌はその場をあとにした。

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