Where's Alice


 ──断頭台の刃は首に下っていった。そこに痛みは存在しなかった。擬音も何も存在しなかった。健康的な快楽だけが背中をなぞる行為として頭に反響していた。それは一つの、人として許される最後の快楽であった。


 死とは救済になりえてしまうのだ。不思議の国であるこの世界には、おそらくこの死は救いだった。それ故に、トランプやウサギたちはこれらに命を投げ出したのだ。それが救いであると信じていたからである。


 視界は真っ暗になった。脳漿が砕ける感覚がしないでもない。おそらく俺はこの瞬間に死んだのである。死ぬことができたのである。それは言葉に表すことがまどろっこしいほどに、適当な救いであった。俺は救われていた。


 世界はどこまでも静かだった。感じることのできる感覚がこの瞬間にすべて破壊されたからかもしれない。でも、それでいいような気がした。俺はそれで──。


 ──アリスはどこだ。


 アリスはどこだ。アリスはどこだ。アリスはどこだ。アリスはどこだ。アリスはどこだ。


 アリスはどこアリスはどこアリスはどこアリスはどこアリスはどこアリスはどこアリスはどこアリスはどこアリスはどこアリスはどこアリスはどこアリスはどこアリスはどこアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリス──。





 途方もない思考を繰り返していた。ハンプティダンプティが耳元で囁き声をあげていた。それは不思議の国の一つの世界の始まりの否定であった。


 「そもそも不思議の国にカボチャの騎士など存在しないのだ。そこにカボチャの騎士が存在しないのであれば、存在しないが存在する。つまり無とは、自由的存在の一部であり存在不定義でしかないのである。それを飲み込もうとする内包的宇宙の世界から肯定したのは誰であっただろうか?」


 「愚問を繰り返すな卵風情が。お前に言葉は語らない。俺は言葉を語らない。そもそも、物語とは存在しないようにあるべくして、世界に肯定されない存在なのである。言葉を尽くす必要はなくとも、人の中には心象のものが偏りはあるものの偏在する要素を見せている。それを飲み込むことは神でさえもできやしないだろう」


 「全能とは存在するのだ。人の思考外にある領域であるからこそ、それは存在していることを確定していいのだ。


 いいか! ここはキャロルの世界だ! ルイス・キャロルが生み出したアリスのための世界なのだ! それを飲み込むこともできない人間は読者としておぞましい物語なのだろう! それは人としてあらず! 我が内包する世界に来なければよい!」


 「──お前は、ルイス・キャロルなのか?」


 卵は、黙った。


 「ありうべからざる世界の根底におけるとてつもない内海に夢としておける空想的事象は、更に人の心象を上書きしていくものなのだろう。物語とは虚無であるべきなのだ。無の存在を肯定されるべきなのであるからこそに、無の存在的自由を営むことは世界の本質にはあらず。さて卵、ハンプティダンプティよ。お前は誰なんだ?」


 卵は言いあぐねた。


 俺が見ていた幻想的童話世界は、ハンプティダンプティが切り開いた世界だった。その世界はあからさまなほどにルイス・キャロルにとって都合のいいアリスを求める快楽の世界である。そこにあらゆる要素を付け足したように、世界の物語が二次創作として描かれている。物語は、ルイス・キャロルのものだけではない。それは本当にアリスなのだろうか。それは本当にアリス・リデルなのだろうか。その答えは永遠にたどり着くことはできない。


 「私は──」


 ハンプティダンプティが声を上げた。


 ──卵は割れた。





 目を開ければ、そこは空想的な城の一つの幻想世界だった。絨毯の色は恐ろしく赤色である。それは誰かの血液によって彩られていたはずだった。それは白兎だったのかもしれない、チェシャ猫だったのかもしれない。ハートの女王によって殺されたあらゆる存在の血液がここに彩られることによって、世界は綺麗な赤色を保つことを選択していた。


 左手にはナイフがある。騎士たる矜持を振舞う主張として、永遠にそれは握られている。花にむしり取られた人差し指以外は右手は健在である。


 俺は前を向いた。


 ──ここにアリスはいる。ここにアリスはいる。ハートの女王に軟禁されているのだ。ハートの女王に監禁されているのだ。ハートの女王に……、ルイス・キャロルにアリスは監禁されているのだ。


 俺は、──歩みを進めた。


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