第弐拾肆話 抗う義務

「閣下、作戦開始十分前です」

「分かった。よし、そろそろカツを入れてやるとしよう」


 セルゲイは椅子から立ち上がり、三つのマイクが立てられた壇上へと登る。本来ならロシアの大統領がするべき演説。


 されど、今やロシアはいつかのオスマンよろしく瀕死の病人状態だ。加えて国際社会からの印象も最悪。


 それならば、大統領よりもサーチライト作戦で世界的に名声を轟かせたセルゲイの方がいいんじゃないかという判断なのである。


 大統領も今や仮初。セルゲイはついつい笑みを浮かべてしまう。


「閣下?」

「......なんでもない。マイクの電源を入れてくれ」


 副官が機器を弄り、モニターのマイクの表示が赤く光る。


 セルゲイは深く一呼吸。一拍置いて、口を開いた。


「本作戦に参加する全将兵達に、まずは自己紹介をしよう。私はロシア連邦軍STAG特別参謀のセルゲイ・クズネツォフ上級大将だ」


 その声は静まり返る作戦司令部に響き、張り巡らされた有線ケーブルを通じて最前線へと送られる。


 作戦開始直前で、慌ただしくも緊張感で静けさに包まれた最前線。訓示があると言われ、各所で手隙の面々は無線機を脇に置いてセルゲイの声に耳を傾けていた。


『諸君ら将兵達の中には、私のことを最前線の遥か後方で。肉と鉄の有刺鉄線に守られた、どこにでもいる卑怯な参謀だと思う者も居るだろう』

「よくわかってるじゃねぇか閣下様!!」

「おい! 静かにしてろ!!」


 食堂で、米軍兵の一人が野次を飛ばす。それをまた別の米軍兵が諭している。


『残念ながら、私は卑怯にはなれない。そう、残念なのだ。従来の戦争のように、政府と軍の要人が銃後で腰を据えて、諸君ら将兵の命を指先一つで弄ぶ時代は終わったのだ』

「よく言うぜ。今も指先一つで──」

「静かにしてろって!!」


 脛を蹴られ、さしもの野次馬も悶え押し黙る。


『私は今、戦場に立っている。銃後という戦場に。諸君ら将兵が感じている死の恐怖を、死肉の腐敗臭を、私も嗅いでいる。燃える友の断末魔を聞いたことは無くとも、確かに私は──我々は断末魔の叫びを聞いたことがある』


 どうせ自分がちょこっと前線後方の支援部隊に居た時の話でもするのだろうと、野次を飛ばしていた米兵は鼻で笑っていた。


『それは酷く静かな断末魔だった。飢えた者が僅かに漏らす腹の音に、絶望に軋む麻縄あさなわの音。誰に当てるでも無く文字をつづられる紙の擦れる音。もはや戦場も銃後も関係ないのだ。血生臭く無くとも、死の臭いは世界中に漂っている』


 少し比喩の混じった表現だったが、何を言っているかは野次を飛ばす馬鹿でも理解できた。


『戦場だ銃後などと区別して、どこが安全かなど探し回ることすら無駄な手間だ。なぜなら我々人類は、地球と言う戦場の中に閉じ込められているからだ。諸君ら将兵が、市民が、難民が。そして、この星の全ての命が、戦場の檻の中で尊い命を散らそうとしている』


 誰よりも異生物群グレート・ワンの恐ろしさを知っているからこそ、その言葉を鼻で笑う勇気はもはや無かった。


『地球の全生命たちが、人間達が。容赦なく狩り尽くされている。知恵と勇気を胸に、本能にさえ抗う我ら人類でさえ、今や諦めようとしている。だが、諸君ら将兵は──我々だけは決して諦めない!!』


 途端に語気が強くなり、ノイズが混じる。


『我々は最後の最後まで、希望を失うことなく勝利を掴むまで戦う!! シベリアの大地で、泥の平野で、流れる大河を越えて丘を踏み鳴らす!! 我々はただ前へと進む!! 森林で戦い、街道を凱旋し、焼け落ちた敵の牙城に御旗を突き立てるまで!!』


 自然と、握る拳に力が籠る。


『光亡き灯台の下に集いし同志友邦諸君!! 我らは絶望のいばらを切り裂く鋭き剣だ!! そして人類の──いや、全地球生命の未来を護る神の盾イージスだ!!』


 作戦開始時刻が迫り、より一層慌ただしく兵士達が駆け回る。


『これより、ルノレクス及びエカテリーナ討滅を最終目標とする攻勢計画に基づき、灯台作戦を発令する!! 私が下す訓令はただ一つ、勝利せよ!! これまで散っていった英霊達の死を、無駄にさせぬ為に!! 意味あるものにする為に!! 希望を背負いひたすらに前へと進み、そして勝利を掴み、全ての犠牲への手向けとせよ!!』


 総員集合の声が聞こえても、一人の米軍兵は動かなかった。


「何してる!! さっさと行くぞ!!」

「あ、あぁ。今行く!!」


 今までの犠牲を意味のあるものにする。その犠牲が、本当に地球の全生命を意味するのなら。


 ポケットから一枚の写真を取り出し、目に焼き付ける。それは、死んだ妻を写した最後の写真。


 それならば、妻の死でさえ、意味のあるものに出来るだろうか。


 <<>>


 ──西暦二〇〇二年一〇月一日、九時三〇分──


 統合遊撃隊を載せた専用の装甲車を中央に据え、エイブラムスとT-72の車列は進み征く。戦車と装甲車の集団は漆黒の木々を薙ぎ倒し、黒い土煙を上げて敵支配地域奥深くへと浸透しつつあった。


 ルカとサーリヤ両名はノルトフォークと同じく隊列中央に。HVTを手厚く護らんと、戦艦のバイタルパートに似た集中配置だ。


「やけに気味が悪いな......なんなんだこの森は。見渡す限り真っ黒だぜ」

「黒だけじゃないぜ。赤いストライプも入ってる。ドクドクと脈打ってやがるがな」


 米兵達の会話を聞きながら、ルカは隊列周辺に意識を向けていた。敵警戒網に侵入しない限り能動的な攻撃は一切してこないらしいが、ルカは一つ気掛かりなことがった。


 ルカは真横でただ一点を見つめているサーリヤへと声を掛けた。


「アルバトフ大尉、ほんとに敵警戒網を回避するだけで戦闘無しで突破出来るんでしょうか?」

「......どうしてそう思った?」

「ブラフマーさんと隠密偵察に行った時、敵警戒網の範囲でも無いのに異生物群グレート・ワンの一種と遭遇しまして............」


 ルカが最初にノルトフォークがナパーム弾頭弾を撒き散らした時のことを語ると、サーリヤはノルトフォークの方を睨んだ。当のノルトフォークはニヤニヤと笑みを浮かべている。


「次からナパームは禁止」

「殺生な?!」

「残酷でも無いし当然。眷属、巻き添え喰らったりしなかった?」

「え? えーっと............」


 ルカはノルトフォークに一瞬目を配った。ノルトフォークはお願い、とでも言いたげにウィンクを送る。少し考えて、ルカは真実を言うことにした。


 案の定、サーリヤの冷たい視線がノルトフォークを射抜くこととなった。


「ナパームは絶対にダメ」

「そ、そんな!! ナパームとガトリングは私の魂ですのよ?!」

「魂以前にブラフマーさんって戦闘禁止なんじゃ......」

「戦闘禁止なんて知りませんわ!! やる時はやりますわよ!! それはもうバリバリと!!」


 ジャキッと音を立てて、三つの銃身を袖から展開。黒い銃身は赤い光を鈍く反射していた。


 そう、燃えるような真っ赤な赤色を──。


『総員対砲兵戦闘用意!! 焼夷砲兵種グラヴィスの砲撃だ!! 頭上に注意せよ!!』


 直後、ルカ達を載せた装甲車の近くに巨大な火山弾が着弾。爆轟に装甲車は吹き飛ばされ、黒曜石の散弾が吹き荒れる。


 アルミ合金の装甲は水のように切り裂かれ、装甲車はスクラップにされてしまった。


Damn itクソッたれ!! 何なんですの?!」

「敵の砲撃。それも多分、ナパームに近い焼夷弾」


 ノルトフォークが咄嗟に鋼の板を生成してくれたおかげでルカ達は無傷なものの、乗員達を保護するには至らず。切り裂かれた人体の破片が、スクラップに混じって飛び散っていた。


「でも、警戒網の範囲ではないはず......」


 鎖を生やし、戦闘態勢を整えつつサーリヤは目を眇める。


 ルカも同様に戦闘態勢を整え、ぐるりと炎の灯が照らす大地を見回す。バラバラになって散開していく装甲部隊に、炎の雨が降り注いでいた。


 航空猟兵種ヴンダーヴァッフェの雲海を突き抜けて、火山弾が隕石の如く大地を焼き払っていく。数千発はあろうかという、おぞましい弾幕が展開されていた。


『おいカラス共!! さっさとこれ何とかしろよ!! お前らの仕事だろ!!』


 配線を臓物のように吐き出している無線機から声が聞こえてくる。必死の声、助けを求める声だ。


「クソっ、これなら!!」


 ルカは鎖の一つを切り離し、降り注ぐ火山弾の一つ。一際大きい岩塊に投擲した。鎖の弾丸は黒鉄色に煌めき、岩塊を直撃。炸裂し破砕するも砕けただけで、細かい破片が数を増して装甲部隊の頭上に着弾した。


「なっ?! え?!」

「全くバカですわね貴方は。砕いたらダメでしょうに」

「い、いやでも、何とかしないと?!」


 焦りを見せるルカに、サーリヤは諭すように目を向ける。漆黒の瞳に射抜かれて、ルカは息を呑んで逸る気持ちを抑え込んだ。


「ひとまず、指揮装甲車に合流する。この密度の砲撃なんて私達にはどうしようもない。それに、下手に手は出さない方が無難」

「そう......ですか............」


 無線機からは未だに兵士達の嘆き声が聞こえている。それを無視しろというのは、ルカにとっては中々に冷徹な指示だった。


「残念なのは分かりますけれど、ジャガーノートちゃんの言う通りでしてよ。わたくしは戦闘禁止。かといって貴方達だってこんな火山弾。迎撃しようも無いでしょうに」


 それはそうだ。ルカ達にはどうしようもない。今は現場指揮官の裁量がモノを言う状況。


 神とて限界がある。


「行くよ。ここに居ても、意味は無いから」

「......分かりました」


 爆音を立てて地面を蹴り割り。ルカ達は一路、隊列後方に控える現場指揮官の下へと向かった。


 <<>>


"それは楽しいことなのか?"


 赤く染まりやや虹色のてかりを見せる噴水の溜池。その傍で釣り糸を垂らすエカテリーナに、ルノレクスは巨大な顔を近付けて問う。


 生臭く僅かに熱を帯びた風を受けて、エカテリーナは不快に顔を歪めた。


「顔近付ける必要ないでしょ、生臭い。まぁ、何もしないよりはマシよ」

"そういうものか?"

「そういうものよ」


 ポチャッと浮きが沈む。


「おっ、キタ!!」


 目一杯力を込めて釣竿を振り上げると、手の平サイズの熊のぬいぐるみが掛かっていた。ぬいぐるみは綺麗なほど真っ赤に染まっていて、所々焼け焦げていた。


 ぬいぐるみの手には、子供サイズだろう指がこびり付いていた。


「なんだよガラクタじゃん!! しかもなんかヌルヌルしてるし。最悪」


 エカテリーナは脂塗れのぬいぐるみを摘まんで適当に放り投げる。べちょっと、ふわふわであるはずのぬいぐるみには似つかわしくない音が誰も居ない広場に響く。


"またガラクタか。魚は放流したはずだが......"

「言っとくけど、あのガラクタ共は魚じゃないから」


 エカテリーナは山と積まれているぬいぐるみやラジオといった、多種多様なガラクタを見つめる。


"あれは魚ではないのか"

「マジで常識無いわね」

"私はまだ産まれてから一ヵ月程度だ。まだこの世界のことについては分からないことが多い"

「あっそ」


 エカテリーナはもう少しだけガラクタの山を見つめて、ため息をつく。やりたいことはほぼ成したも同然。自身の両親も思う存分痛め付けたし、こうやって沢山の醜悪な二足歩行生物を駆除することも出来た。


 解放されたのだ。苦しみから、あの嘲り笑う人間共の眼差しから。復讐もした。


 あと残っているのは、自分を含めた全人類の救済だけ。


 もう少しで求めてた全てが手に入る。なのに、エカテリーナの心は穴が開いたようであった。


"──罠に掛かった"


 ふと、ルノレクスは勇ましい竜の面を上げて、呟いた。


「やっと?」

"あぁ。間違いない"

「上手く行きそう?」

"イレギュラーさえ起きなければ、順調に"

「ふーん......頭脳型のプロトタイプの割にはよくやるものね」


 ルノレクスは竜巻の如き旋風を起こし、翼を大きく羽ばたかせる。地面に翼を下ろしただけで重々しく空へと浮かび上がり、もう一度翼を羽ばたかせれば急激な加速を披露。


 空の遥か彼方でどんよりと輝く黒い月に向かって飛んでいった。


 台風の目を垂直に抜けて、渦を巻く黒雲を見下ろして。ルノレクスは遠く離れた同胞へと指令を送る。


"ルノレクスよりカルパティア。敵が罠に掛かった。カルパティアはどうか"

"カルパティア、現在所定の砲撃開始座標へと移動中。到達予想は二時間後"

"ルノレクス了解。所定の座標へと到達次第、砲撃を開始せよ"

"カルパティア了解"


 ルノレクスはその裂けた下顎を動かすことも無く連絡を終え、更なる準備に取り掛かる。


"ルノレクスよりミハイロフカ群体。ミハイロフカを放棄し、ボリソグレブスクまで後退せよ。またボリソグレブスク群体周辺の各小群体も同様に集結。敵の攻撃に備えよ"

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