第弐拾参話 回帰不能点

 MQ-9によるローラー作戦が始まってから早二週間。サーチライト作戦は大成功に終わった。数百機の鉄屑が下に敵警戒網は完全に網羅され、何度か行われた威力偵察により敵防衛能力の弱点も把握できた。


 これ以上ない成果だ。


「これで世界の英雄ですね。クズネツォフ上級大将」

「世辞が上手いな」


 参謀本部から早々に提出された侵攻計画書に目を通しつつ、副官の賛辞を適当に受け流す。


「世辞なんかではありませんよ。なんたって閣下はこれまで一切分からなかった敵の防衛能力、基地、生産と補給のシステムを暴いたんですよ!!」

「そう興奮するな。それにこれはまだ仮説だ。完全に暴けたわけじゃない」


 目を輝かせる若い副官に、セルゲイは冷静に返す。


 上級大将。変わりが居ないからと、半ば繰り上がる形で得た最上位の軍事階級。陸海空総軍をある程度、思う通りに動かせるようになったのは大きい。しかし、こうも書類仕事が増えてはどうしようもない。


 目の前の執務机にはうずだかく積まれた書類の山。部屋を見渡せばそこかしこに積みっぱなしの紙の木々。


 これを整理する為に副官を雇ったと言うのに、若いせいか元気だけ有り余っていて仕事が手に付いていない。


 人材不足もここまで来ると笑えて来る。


「いいからその紙屑共を片付けてくれ。また明日も増えるんだぞ」

「あっ、はい!! 失礼いたしました!!」


 地獄のようなデスクワークが続く中でも調子が良いようで、副官は笑顔で書類の山を片付けに行く。こればかりはあの青少年染みた若さが羨ましい。


 敵の補給システムは穴だらけの虫食い仮説だが、生産施設に類するモノが存在すること。敵の防衛能力がかなりお粗末なことがサーチライト作戦で判明した。


 これは敗け続きの人類にとって、非常に価値のある情報だ。それだけにロシア政府はこれを外交カードに使おうとしたが、生憎そうはいかない。


 ある程度掃除されたとはいえ、ロシア政府は未だドブの如く汚い組織。先手は打たせてもらっている。


 また、これらの諸問題とは別に、セルゲイはルカに対して一つ思う所があった。ルカの両親はモスクワ在住。モスクワが壊滅したということは、恐らくは両親も死んでいるはず。


 だというのに、ルカ本人は気にした様子を一切見せていないのだ。それほど精神が頑強なら良いことではあるのだが、表に出さないようにしているのであれば話は別だ。


 イヴァンナも一応は軍医。気にかけてはくれているだろうが、敢えて触れないようにしているのか。


 どちらにせよ、下手に刺激して悪化してほしくは無い。だが、いつかは向き合わなければならない。その時、あの子供は耐えられるだろうか──。


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「飯の時間ですわ!!」

「分かってる。静かにして」


 バンっとドアを蹴り開け、元のサイズに戻ったノルトフォークとサーリヤが姿を現す。片手には文字通り血の気の無いうさぎが三匹。腰から下げたバッグにはシチューで良く使う野菜がたんまり入っている。


 時刻は朝の五時。空は暗黒に閉ざされ、清々しい朝焼けなど存在しない。陽の光が絶えたからか気温は右肩下がり。冬はズレ込んで、煤けた大地にはいつの間にか白銀のカーペットが敷かれている。


「どうしたんですか? その兎と野菜」

「兎は獲ってきましたわ!!」

「野菜は買ってきた」


 そう言ってサーリヤはルカに領収証を渡す。


「領収証?」

「セルゲイに渡してきて」

「セルゲイさんに......」


 まさか経費で落とすつもりなのだろうかとルカは眉をひそめる。


「......まぁ、分かりました。というか、二人で行ってきたんですか?」


 サーリヤとノルトフォークは見る限り犬猿、とは行かないまでも相性は悪そうだ。


「私がお目付け役」

「あっ、なるほど」

「ちょっと!! 何を勝手に納得してやがりますの?!」

「どうどう、早く準備。シチュー作るんでしょ」


 ノルトフォークは蒸気を噴き出しそうなほど顔を赤くして、サーリヤと口論を重ねつつ食堂へと消えていく。


 しかし、サーリヤも口数が増えたものだ。前は接点がほとんど無かったから一概には言えないだろうが、ルカからしてみればノルトフォークが来てから口数はかなり増えている気がする。


 相性は悪くとも、仲は決して悪くは無さそうで、なんとも判断が付けづらい。


 ルカはため息をいつもより多めに吐きつつ、兵舎に併設されたセルゲイの執務室へと向かった。数回ノックして、未だ最高級の敬語を知らぬルカはいつもの調子で声を掛ける。


「セルゲイさん、居ますか?」

「ボ──ルカか。入れ」

「......失礼します」


 少しばかり他よりは見栄えの良いドアを開き、一歩入室して敬礼。セルゲイも応じて座ったまま敬礼を返す。


 ルカとほど近い年齢に見える童顔の副官は、書類の山から顔だけひょっこり出して軽く会釈する。いくら若そうに見えても、セルゲイの副官というだけあって階級はルカより遥かに上。ルカは副官にも敬礼を送り、サーリヤから受け取った領収書をセルゲイに見せる。


「これをセルゲイに渡してきてくれと、アルバトフ大尉が......」


 セルゲイは領収書を受け取り、上から下まで目を通す。


「............経費では落ちないと伝えてこい。まったく、何をふざけたことをしてるんだか......」

「まぁ、ですよね......」


 頭を抱えて溜息を付くセルゲイ。相当疲労が溜まっているようだ。


「要件はそれだけか?」

「あ、はい。そうですね......」

「今後はこういう指示は無視して構わん。特にジャガーノート。あいつは金を一切使わんからたんまり貯金があるはずだ。貯金を送れるような相手も居ないんだから使わせろ。その方が経済も回るってもんだ」


 辟易へきえきした様子で語るセルゲイに、ルカは苦笑いを浮かべることしか出来なかった。


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「セルゲイも中々手段を選ばない奴だな」


 イヴァンナは自室でCIAから届いた司令報告書に目を通していた。もちろん、司令報告書とはいっても、外面は徹底的なまでの暗号化が施された国際新聞。


 本来なら友人役の女と会って情報交換するところだが、あの女はモスクワ急襲に巻き込まれて死んでいる。それだけでなく、ロシアに潜入していたスパイはユーラシア大攻勢と無差別核攻撃で大方死んでいる。


 運よく逃げられたのはイヴァンナを含む極々数十名足らず。ロシアの諜報網も、一からの作り直しだ。まぁ、ロシアもFSB並びに対外情報庁SVRが壊滅しているのだから、CIAはまだマシなのだが。


 ともかく、防諜も諜報も全てお釈迦になったのだから、情報が抜き放題見放題。こうして呑気に自室で暗号化された司令報告書を開いても何も問題ないというわけだ。


 だからこそなのだろう、セルゲイがイヴァンナに接触してきたのは。


 何もすることも無く新聞を読み耽っていると、ブブッと電話が鳴った。


「誰か」

『セルゲイだ。イヴァンナ中尉、ルカのことについて少し話がある。今大丈夫か?』


 噂をすればなんとやらだ。


「大丈夫だ」

『よし、なら執務室まで来てくれ。副官は席を外してある』

「分かった。今から向かう」


 国際新聞を懐に忍ばせ、変わらぬ歩調で執務室へと入る。


「要件はなんだ。クズネツォフ上級大将殿」

「セルゲイでいい。それより、頼んだモノはどうだ。順調か?」

「あぁ。冬季仕様M1A2エイブラムス六〇〇両。その他可能な限りのNBC防護を施した兵員輸送トラックにAPC」


 最初に提案を受けた時はイヴァンナも流石に驚いた。だが、これはアメリカにとっても有益な取引だ。


 サーチライト作戦で得た敵の情報を全てアメリカに引き渡す代わりに、大量のMQ-9と陸上戦力を提供する。


 国際社会で優位に立ちたいが為、強力な外交カードを欲するアメリカ。反攻作戦のために莫大な陸上戦力と、国際社会からの支援が欲しいロシアもといセルゲイ。


 アメリカとて清廉潔白な国ではないが、隠蔽体質と虚言癖の持ちのロシアよりかはマシだろう。


「国防総省と国民を説得し、諸々の根回しをするのは大変だったとCIAから聞いている」

「......今度は何が欲しいと?」

「ボールド・イーグル、あるいはジャガーノートの無償貸与」

「流石にそれは出来ない」

「まぁ、そうだろうな」


 激しい風が窓を叩き、ガタガタと音が鳴る。窓の外は不気味なほどに暗く、蛍光灯のせた光が執務室を薄く照らす。


 ルカとサーリヤという戦略級の兵器を、国際的地位の失墜したロシアが早々手放すはずがない。セルゲイが良いと言っても、ロシアはあらゆる手段を行使してNOを突き付けるだろう。


「そこで、だ。アメリカで有事が発生した場合に限り、ボールド・イーグルかジャガーノートを一時的に無償貸与する。これならどうだ?」

「有事? 何か起こすつもりなのか?」

「さぁな。保険ってやつだろう」


 アメリカほどの超大国が、有事に備えてルカ達の力を借りようとするのもおかしな話ではある。最近の動きを見る限り、中東の石油利権を狙っているのは分かるが。


「......それなら、まだ大丈夫かもしれないが......何をする気だ?」

「分かれば私も苦労しない」

「そうか......」


 CIAはニードNeedトウToノウKnowの組織。イヴァンナといえど、アクセスできる情報はごくわずかだ。


「そういえば、エイブラムスとAPCはいつ頃到着予定だ?」

「今日の昼頃だ」


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 ギャリギャリと大地をむしばむ音が、鬱蒼うっそうとした市街に轟く。道路が傷むこともいとわず、鋼の獅子達は公道を堂々と進んでいく。


 露店が僅かに並ぶ街道を、手を振る子供達に手を振り返しながら。


 少し長めの休暇を受けて、露店を練り歩いていたルカはふと振り返る。瞳に映るのは、豪快な足音を鳴らす戦車と装甲車に加え、歪な改造を施されたトラックの行列。


 そしてその全てが、シベリアの大地によく溶け込む白銀の衣に身を包んでいた。


「M1A2エイブラムス冬季仕様。壮観ですわね」

「あ、ブラフマーさん......それ、スムージーですか?」


 濁ったピンク色の液体が透明な容器一杯に入っているのを見てルカは問う。


「あげませんわよ」

「いや別に欲しいわけじゃ──」

「まぁ欲しくても、これは私が生み出したものでしてよ。味はスムージーでも、所詮は爪の垢と変わるものではありませんわ」

「うえぇ......」


 そう言われると変に濁った色なのが気持ち悪く見えてくる。さしものルカも、顔を歪めて引いてしまう。


「ちょっと!! そんな顔することないではありませんの?!」

「いや、だって......ねぇ?」

「何なんですのジャガーノートちゃんといい貴方といい!! 同じことが出来たらどうせ一度は試す癖に!!」

「決めつけないでくださいよ......」


 耳をろうする走行音の最中でも、ノルトフォークの声は良く通る。耳が良いだけでなく、ガスタービンエンジンの駆動音にも負けぬほど喉も強いらしい。


「というか、自分で食べたいモノ作れるって凄いですね......美味しいモノ食べ放題じゃないですか」

「それがそうとも行きませんのよ。食糧や料理への変換は酷く効率が悪いですもの」

「へ? あ、効率が良い悪いとかあるんですね......」

「創造の顕現と一言にいっても、全知とはいきませんもの。仕方が無いですわ」


 確か、前にもルールがあると言っていた。ノルトフォークの持つ創造の顕現とは、言ってしまえば無から有を生み出すような突拍子もない力。それだけに、制約も大きいということなのだろう。


 だが、そもそも制約なんてものが何故あるのか。考え出せばキリが無い。


「二人して何してるの?」


 唐突に、背後から聞き慣れた声がする。


「あら、ジャガーノートちゃん意外と来るの速いですわね」

「トラップがお粗末すぎるだけ」


 背後を見やれば、上半身を真っ白にしたサーリヤが居た。粉だクリームだという生易しいモノではなく、どうやらサーリヤの上半身にこびり付いているのはペンキのようだった。


 これは落とすのが大変だ。


 水をぶっかけられているサーリヤから目を離し、ルカは再びエイブラムス達の車列を目に映す。延々と続く鉄の隊列、鳴り止まぬ轟音。


 その様相は正しくかの超大国アメリカを彷彿ほうふつとさせる。そして、恐ろしい程に頼もしくも見えた。


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 ──西暦二〇〇二年一〇月一日──


 統合遊撃隊トリニティの面々は、ヴォルゴグラードに設置された臨時作戦司令部へと召集されていた。


「既に本隊には作戦概要を説明してあるが、君達には別で説明しておこう」


 そう言うセルゲイの背後には、軍高官らしき人物が複数名居た。ルカ達とは初対面のノーランド司令に、少し前に顔を合わせたばかりのマクスウェル。その他にも米中日印に加えて仏独伊の国旗を、それぞれ携えた軍人達。


 中々にハイテクそうなモニターに映し出されているのは、ヴォルゴグラードに集結した多国籍軍総勢六〇万。そこに米軍を主力とする予備航空隊に、無数の装甲部隊。


 そして、複雑に入り組んだ放射状の敵警戒網。


 それらの情報だけでも、ルカにとっては圧巻の光景だ。


「それでは灯台作戦の概要を説明する」

「──っはい!!」

「了解」

「待ってましたわ!!」


 セルゲイの声と共に近場のモニターが移り変わる。ルカに配慮してなのか、恐ろしく簡略化された戦略地図。


「本作戦の主目的はルノレクスの討滅だ。その為の手段として、ノヴォヴォロネシュカヤ・アエス原子力発電所の制圧及び三〇〇センチレールガンの建造が必要となる」


 モニターに原子力発電所を示す核マークがポップ。戦略地図が引いて、モスクワまでを映し出す。


「そして、それらを達成する為にはまずブラフマーを護送する必要があり、これが実質的な作戦目標だ。ここまでは良いか?」


 頷くルカを見て、セルゲイは話を続ける。


「ブラフマー、お前らも頷くくらいしたらどうなんだまったく......」

「全部入っているから問題ない」

「はぁ......まぁいい。とにもかくにも、ブラフマーは建造の為にエネルギーを温存する必要がある。だからこその護送だ。ブラフマーの戦闘参加は禁止、なおかつエネルギーを使わせることも極力抑えなければならない」


 モニターにHVTと表示された輝点が映る。


「つまるところ、ブラフマーは本作戦におけるハイHighバリューValueターゲットTarget。失うことは無いだろうが、かといって戦闘の巻き添えにするわけにもいかない。君達の任務はブラフマーを戦闘に巻き込むことなく原発まで護送することだ」


 護送とはいうが、敵の警戒網を網羅している現状で戦闘など起こりうるのだろうか。不測の事態は発生するかもしれないが、それでも戦闘を回避するのは簡単なはずだ。


 戦略や戦術に疎いルカでも、流石にそのくらいは思い至り表情にはてなを浮かべる。


「......確かに、警戒網は網羅しているから最大限戦闘を回避することは可能だ。だが、敵の警戒網の配置と補給の関係上、回避が不可能な箇所が三か所ある」


 ルカの表情を見て察したのか、セルゲイは戦略地図上に戦闘不可避地点を映し出す。


 輝点はサーチライト作戦でルカ達が初めて接敵したミハイロフカ。サラトフからの公道と、ヴォルゴグラードからの公道の交差点たるボリソグレブスク。


 そして、ヴォロネジ。


「ミハイロフカまでは敵の警戒網は穴だらけだ。簡単に侵入できる。だが、ボリソグレブスクは敵警戒網の配置に、補給の観点から見ても迂回することは現実的じゃない」


 モニターを元の複雑な画面に戻し、セルゲイはルカ達を真っ直ぐ見つめる。


「俺はここで指揮を執ることしかできない。最前線の要は君達──統合遊撃隊トリニティだ。勇猛果敢なる奮闘を期待する。さ、配置に着け。ヒーロー気取りの将兵達には保護者が必要だ」


 司令室からルカ達が出て行ったタイミングで、ノーランドがセルゲイに話しかけてきた。


「ヒーロー気取りとは、良く言ったものだな。セルゲイ閣下」

「ノーランド司令......実際そうでしょう。多国籍軍の中核は米軍で、その大半は若年兵。灯台作戦は、言ってしまえば人類のヒーローになれという作戦ですから、彼らのヒーロー願望に火を付けたんでしょう」


 人類の仇を討ち、人類の希望──灯台となる作戦。だが、灯台になるのは前線の将兵ではなく核弾頭だ。将兵達も一時は英雄として称えられるだろうが、たまたま生き残っただけの将兵に英雄たる力は無い。


 本当の英雄は核兵器で、サーリヤ達統合遊撃隊だ。可能ならば、統合遊撃隊自らの手でルノレクスを討つべきだった。だが、それもここまで来たからには不可能。引き返せない。


 これから先どうなろうと、突き進むしかない。


 一か八かの反転攻勢。そして、人類の趨勢すうせいを決める大戦のターニングポイント。


 セルゲイは息の詰まる思いで時計を見やる。


 現在時刻六時〇〇分。作戦開始時刻まで、残り三時間。

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