「そうしてわしは、何百年という月日、死ぬこともできず、この山で絵を描き続けている。わしが絵を描くことが、灰となった人々の鎮魂になっているのだろう。風とともに悲鳴は聞こえ、人々を迷いこませるが、それでも昔に比べれば穏やかになったほうだ。肉体を失った不死の人々はすでに山と同化し、神の筆を持つわしはこの山とともに生きている。」

老人は小さく笑った。

「そんな話、信じられるか?」

八郎は険しい顔で老人を見た。

「おやおや、そんなこわい顔しなさるな。山から出る方法はちゃんと教えてやろう。その前にお茶でもいれよう。わしは何百年ぶりに人と話ができたからそれがとてもうれしい。これまでは魂のなげきや悲鳴ばかり聞いていたからのう。ささ、ちょっと待っていなさい。」

老人は隣の台所へと行った。

茶の間に一人になった八郎は、ちゃぶ台に置かれていた神の筆をじっと見つめた。

にやりと思わず笑いがこみあげてきた。

「何が髪の筆だよ。しかしこれは金になりそうだ。」


しばらくして老人がおぼんにお茶を二つ乗せて運んでくると、もうそこには八郎の姿はなかった。

そして神の筆もなくなっていた。

「おやおや・・・」

老人はさほど驚きもせず、ためいきをついて腰を下ろした。

「人の欲の深きこと、果てしないのう。」

上が見上げてつぶやいてから、お茶をゆっくりとすすった。


それから八郎は神の筆を持って、山を下ろうとするが、何日たっても同じ所を回っているだけで山から出られずにいた。

 そして持っていた食べ物もそこをつきてしまい、やむおえず山小屋を目指すことにした。

 不思議なことに山小屋へはすぐたどりつくことができた。

 八郎はばつが悪そうに戸をたたくも全く返事がなかった。

 しかたなく勝手に家の中に入りこんだ。

 老人の姿はなく、ちゃぶ台に手紙が置かれていた。

 八郎はその手紙を手にした


 これを読んでいるということは、神の筆を手に 山を下れずに迷いはてて戻ってきたのだろう。

 この山を出る方法はただ一つだけ。


 自分の物にした神の筆を 人に渡すことだ。


 わしは、絵師の弥助などではない。わしは百年以上前、人を殺めて物を盗み、逃げる最中にこの山に迷いこんだ人間だ。わしもお前さんと同じくこの山小屋へ導かれ、山小屋の主の目を盗んでこの筆を盗んだのだ。そして不死の体になるとともに山から出られなくなってしまった。

 

 自分の身代わりが迷いこんで来てくれるまで待ち続けた。気の遠くなる年月を。


 これが読まれている頃にはわしはもうこの世にはいないだろう。山から一歩でも出てしまえば不死の身体ではなくなってしまう。わしは百年以上生きているのだから。

 

 しかし、わしは欲深い人間だろうか。

 人を身代わりにしてでも、たったわずか、まばたきするだけの時であっても 自分が生きていると感じられる時がほしい。

 孤独に不死の体でいても生きていることが感じられなかったのだ。

 お前さんにもそのうちわかる日が来るだろう。


 手紙を読み終えた八郎は膝をついて頭を抱えながら絶叫した。

 その地獄の悲鳴は山をかけめぐりながら こだましていった。

 





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神の筆 魂の山 上り 星谷七海 @ar77

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