第7話 老けたな
病室に入ってきた人物……それは、達志にとって間違えるはずもない人物。
確かな確証を持って、ゆっくりと、視線を向ける。寝る前……つまり達志にとっては昨日も聞いたはずの……だけど、どこか時間の経過を思わせる声。正体を間違えるはずもない。
体感時間ではなく、経過した時間としては、十年ぶりの声の主を……自分の母親の姿を、確認して……
「達志! 起きたのね!」
確認して……
「ほら、お母さんよ! わかる!?」
確認……
「あー、良かった。いつか目覚めるって、私信じて…」
「……母さん」
息子の目覚めを、無事を確認する母親。瞬間、母の目からは涙が流れる。当然だ、ずっと目覚めなかった息子の目覚め……その事実を、十年間待ち続けた。
そして母は、ベッドに寝転んだままの息子に駆け寄ってくる。
その様子を確認し、達志はゆっくりと、口を開く。
「ん? なあに?」
目に涙を溜め、次の言葉を待っている。十年ぶりに聞く息子の声に、それだけでさらに涙が溢れてきてしまう。
なんと声を掛ければいいのか、自分でもわからなくなるほどに。だからこそ、息子の言葉に耳を傾けて……
「……老けたな」
……瞬間、空気が凍った。それは、感動の涙を流す母親を、息子の言葉を心待ちにしていた母親の心を翻弄するには充分で……
「た、達志! あ、あんた、十年ぶりの母親に対して、老けたなんて……開口一番にそれって……」
怒りなのか悲しみなのか、よくわからない感情が母親を包んでいるのがわかる。
十年ぶりに目覚めたの息子の第一声が、年を食ったことに対する言及ならば当然だが。
「あ……」
言ってしまってから、達志も気づいた。これはあまりにもあんまりな発言だと。いかに現実を受け切れていないとはいえ、もう少しマシな言葉があっただろうに。
だが、ほとんど無意識に口をついて出たのだ。
目の前の……母親の変化について。目の前の人物が母親なのは、間違いない。それはこの会話からも明らかだ。
間違いないのだが……間違いなく、母親は老けていた。
若くは見える。それでも、増えたシワやちょくちょく目に映る白髪など、息子からしてみればごまかしきれない。
これでも、若い方だとは思うが。
そして『老けた』母親を目にした瞬間……これまでの出来事を、まだ心のどこかで認められなかった達志にとって、『これは現実』だと、何故か頭が理解していた。
母親からすれば不服なこの事実が、達志が眠ってから、十年の歳月が経ったのだという衝撃の事実を、達志自身が受け入れる結果となったのだ。
「もー、あんたって子はー!」
十年ぶりの、あまりにもあんまりな息子の発言……それでも。
また母さんと呼んでくれた、その声が。母にとっては、なによりの喜びだった。普段涙など見せない母は、わんわんと泣いていた。
十年の時間の経過。いきなりその事実を伝えられ困惑していた達志。その認識は、唐突に現れた達志の母……勇界 みなえの登場によって強制的に変えられることとなる。
母親の、十年という時間による老い。しわや白髪が増え、息子の目には一目瞭然にわかるその変化が、いやがおうでも達志に『現実』を知らしめる。
今見ているこの世界は、あれから十年が経った……達志にとって、あれから十年後の世界だということを。
カレンダーやテレビなんかより、よっぽど現実を教えてくれた。
「まったく……失礼な息子ね」
ようやく落ち着いた様子で、息子から『老けた』と開口一番にお言葉を頂いた母みなえは、目尻に溜まった涙を拭いつつため息を吐いていた。
「……マジで、十年も時間が経ってんのか……」
「先生から教えられたんじゃないの?」
確かにウルカ先生から教えられたし、その証拠を見せつけられはしたが……
一番身近な人間の変化こそが、現実を受け入れる一番の要因となったのだ。
「ふ……認めたくないものだな、寝て起きたら十年経ってたという事実を」
「……あんた、まだ頭痛むんじゃないかい?」
とりあえず軽口を叩けるくらいには落ち着いたが、母からは未だ心配されている。十年ぶりに目覚めた息子が、妙なことを口走れば当然ではあるが。
だが、落ち着いたから大丈夫だと答える達志を、みなえは頷いて見つめる。
……目の前にいるのは、十年ぶりに目覚めた息子だ。話したいことは、それこそ山ほどある。起きたらなにを話そうか、みなえは毎日考えていた。
だというのに、いざその時がくると、なにをどう話せばいいのか……わからなくなっていた。
落ち着いているとは言っても今息子は、やはり混乱しているはずだ。だから、自分が話をして落ち着かせてやらなければいけない。安心させなければいけない。
なにより、息子と会話をしたい。息子と、今までの十年分の話を……
「なんかさ……実感、なかったんだよね。十年も経ったなんて」
なにを切り出そうか悩んでいたが、それよりも先に達志から話を始める。
現実は、十年もの時間が経った。だが達志の体感では、一日……たった、一日なのだ。
「……そう、よね。驚いたよね」
そんな息子に、なにを言えばいいのか。「わかる」などと軽々しく言えないのは間違いない。そんなことを言っても、息子の理解を得るどころか反感を買うだけだ。
しかし、達志は達志なりに受け入れようとしているのだ。
「すぐには、全部受け入れるのは無理だと思う。けど、これからは私が……母さんが、一緒に歩いていくから。だから……」
困惑する息子を、ゆっくりでいい。引っ張って進もう。息子の止まっていた時間を、動かすために……
「……そう、だね。受け入れる受け入れられないって、いつまでもうじうじしてられないし。母さんにも迷惑かけると思うけどこれから……って、もう迷惑かけてんだけど。
……と、そういえば、ことりは? 元気?」
これまでもそうだったが、これからも母には迷惑をかけることになってしまうだろう。そのことをあらかじめ伝えておく。
しかし話している最中に、迷惑をかけてしまうであろうもう一人の家族、妹ことりの存在に行き当たる。
勇界 ことり。達志が眠りについた十年前では、まだ六歳だった。ということは、十年の歳月が経った十六歳、高校生ということになる。
今七月なので、高校に入学して数ヵ月だろうか。
「俺が当時のまま時間が止まってるから、十年成長したことりは今高一だよな。あんな小さかったことりとほぼ歳は一緒って……なんか変な感じなんだけど……」
「……」
妹に年齢が追いつかれ、とても複雑な気分だ。その反面、成長が楽しみであるのも事実。よく、おにーちゃんおにーちゃんと後ろをついてきた小さな妹が、どんな成長を果たしているのか。
……しかし、先ほどから無言である母親が妙に気になった。
「……どうした? 母さん、何か……」
「……あの、達志。ことりのことなんだけど……」
俯き、何かを言いづらそうに口を動かしている。これまでの生活の中でも、母のこんな姿は見たことがない。
それほどまでに重要な何かを伝えようとしている。同時に、達志の胸の奥に言いようのない不安が生まれる。
一体何だ、このもやもやは……
「ことりね……亡くなったのよ、五年前に……事故で」
「…………えっ……?」
……一瞬、何を言われたのか理解ができなかった。母の声が小さく震えていたが、それでもなぜだか、いやにはっきりと達志の耳に届いた。
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