第6話 自分の知らない世界
平行を辿る話し合いの決着は、十年前に起こったある出来事が決定打となった。それは、不安に溢れていた異世界への移住決定を、可能にするほどの出来事。
「で、我々が移住してきたのさ。当初はもちろん、双方の文化の違いに困惑する者ばかりだったが……それも十年の時を経た今となっては、お互いうまくやっているさ」
ふぅ、と、ウルカがため息を漏らす。これが、この十年……達志が眠ってしまってからの、この世界で起こった変化。
異世界人の移住により、ファンタジー感の増した世界へと変貌。
お互いがお互いの知恵をより提供しあい、今やこの世界では魔法、といった理想物が、現実のものになっている。
「そうなんですか……その、とある出来事って?」
「それは……まあ追々とね。詳しくは本人から聞いてよ。キミのお見舞いには頻繁に来てたからさ」
異世界お引越しの詳細はわかった。となると次に疑問になるのは、十年前に起こったというとある出来事だ。当然ながら達志はそのことを問い掛けるが、ウルカはそれに対し首を振る。
加えて、気になる単語を二、三。
今の言い方だと……異世界移住の最終決定をした人もしくは関係者が、達志のお見舞いに訪れている……という意味にも取れるのだが。
「……わかりました」
これ以上は聞いても、答えは貰えないだろう。
少しばかり不満には感じるが、これ以上を聞いても、今の頭では情報を処理しきれまい。
達志もまた、ため息を漏らす。
「それにしても……世界の住人が移動してきたなんて、今地球の人口どうなっているんですか」
「ふむ……まあ、チキュウ側は少子化問題で、人口が少なくなっていたし。
チキュウのいろんな国に、それぞれ移住したから、なんとかね」
達志が心配することでもないが、この星の人口問題……それも、どうやらなんとかなっているらしい。
ところで、達志にはもう一つ、疑問が残っていた。
「あの、俺が眠っていた原因って……なんなんです?
ぼんやりと、車にはねられたのは、思い出したんですけど。他に理由とか」
「残念ながら、キミが眠っていた理由は、純粋に車にはねられた上での、地面への衝突が原因だよ」
……疑問は解消したが、その事実に達志はあんぐりと口を開けていた。
車にはねられ、地面に打ち付けられる……それは、間違いなく重体だ。だが、それで人は十年も眠れるんだなと、自分自身に複雑な感情を抱いていた。
「打ち所……悪かったのかな、はは……」
自分が眠ってから、この世界で起こった出来事……その事実を知るよしもなかった達志の頭は、ただいま絶賛混乱中だ。
ただでさえ詰め込まれた情報が多いのに、情報の密度がこの上なく濃い。
「とりあえず、まだ混乱しているだろう。親御さんにも連絡しておいたから、今はゆっくり休むといい」
そう言って、ウルカは部屋を出て行った。歩くたびに、ドシンドシンと音が鳴り、床が悲鳴を上げている。大丈夫だろうかこの病院。
今、部屋には達志一人だけだ。ウルカからの心遣いをありがたく頂き、ベッドの上で一人、うんうん唸っている。
腕には点滴が繋がれ、ベッドに拘束されている。体の調子はというと、目覚めてから多少のだるさはあったが、今はそんなことはない。
頭も、まあまあ痛みは引いてきたし、起きたばかりでは掠れていた声も、今ではほぼ元通りだ。
だからもう大丈夫だと、その旨を伝えたのだが、念のためにと点滴を外されることはなかった。
医者として、用心するに越したことはないということなのだろうか。
確かに達志が平気であると訴えたところで、十年越しに目覚めた男の体の調子を心配するのは、いくらあっても足りないだろう。
……そうとはわかっていても、だ。平気だと思う体を拘束されているのは、落ち着かない。なにより、暇なのだ。
「んー……」
部屋を見回すとそこにあるのは、ベッドや点滴類といった病室必需品を除けば、テレビのみだ。好きに使って良いと許可は貰ったため、チャンネルをいじっているのだが……
時間帯が昼時なため、主にニュースくらいしかやっていない。
魔法を使った銀行強盗、宝くじで一攫千金、など内容に興味は引かれこそすれど、誰が、どこで、といった情報は達志にとっては、ちんぷんかんぷんだ。
チャンネルを変えると、ニュース以外の番組も放送はしている。以前よりチャンネル数も増えている。
だがそれも、達志にとっては知らない司会者、知らない芸能人ばかりで……達志が好きだった番組も、知っていた番組すらも、今はない。
どうにか知っている芸能人はいないか、と探していたのだが、成果は芳しくない。発見しても、あの頃活躍していた芸能人たちは今、というコーナーで出てきたくらいだ。
歌手もそうだ。達志が好きだった歌手は露出が減り、誰だこいつ、と達志の記憶にない人たちばかりが出ている。
こうしてテレビで世の中の情勢を見ていると、自分の知っている世界とだいぶ変わってしまっているのだな……と実感する。
あの頃人気だった司会者が消え、当たり前のように猫耳獣人が場を取り仕切る。知っていたものが消え、新しいものが導入。ひどく時間の経過を感じる。
「つまんねえな」
こうなってしまうと、テレビで時間を潰す行為は愚策に終わる。知らない番組でも見れば面白いのかもしれないが……
まだ変化を受け入れられないのに、変化したテレビを見るというのは何だか滑稽に感じるのだ。
……となると、残るはウルカに頼んで貸してもらった、今右手に握りしめている手鏡。これが、時間潰しの有効な道具だろうか。
手鏡を借りたのは、達志がナルシストで自分の顔に見惚れるため……ではない。今一度、手鏡に映る自分の顔を覗き込む。そこに映っていたのは……
「……やっぱり、変わってない……よな」
自分の顔に向けた手鏡に映るのは、当然自分の顔だ。くせっ毛なのか所々跳ねている、肩下まで伸びた黒髪に、漆黒の瞳という、ザ・日本人といった典型的に平凡な容姿。
目付きが眠そうなのは、おそらく寝起きという理由だけではない。元々がこの目付きなのだ。
以前は、髪は肩下どころか角刈りに近い髪型だった。それが今こうして伸びているということは、当然眠っている間に伸びたのだろう。
が、十年でこの程度の伸びということはあるまい。誰かが切ってくれていたのだろう。
髪型のことはまあいいだろう。問題はこの顔……いや体だ。以前と変わらない……あまりに変わらなさ過ぎる。
十年経ったというのであれば、もっと痩せこけ一人では起き上がれないほどではないのだろうか。実際どうなのか知るよしもないが。
いや体格からして、もっと大きくなっているはず。
だがこの状態は、少し痩せてはいるものの、以前と変わりない姿だ。肌の色も健康そのものだし、髪型以外は変わらずと言えよう。
そう……以前と変わらないのだ。"十年経っている"はずなのに、体は"成長していない"。
大きく変わっていたところといえば、目覚めてから掠れていた声だが、それも時間が経った今となっては元通り。そもそも長く眠っていたなら、声は掠れていて当然……
むしろ、しゃべることができたのがこんなに早いのが、不思議なくらいだ。
十年経って自分の見た目が変わっていないこの奇妙な現象に自然と眉を寄せる。が、ここはファンタジー世界になった世界。
現に魔法で治療されていた達志は、その身に魔法の凄さを体験している。魔法というものがどれほど万能なのかはわからないが、もしかすると老化を止める魔法もあるのではないか。
「……そう結論付けるしかないよなあ」
一人の空間では、己の疑問も虚しくひとり言に終わる。
さっきウルカに聞いておけばよかった。ぼんやりと思うが、それも急ぐ必要はないだろう。次部屋に訪れた時に、聞けばいい。
さて、テレビは見るものはないし、他に暇潰しの方法もない。……となれば、残された選択肢は……
「……寝るか」
この一言に、今から達志がやるべきことが詰まっていた。他にやることもないし、寝てしまうしか時間を潰すしかない。達志はベッドに横になり、目をつぶる。
十年も寝ていたのだ、そう簡単には寝られないだろう。とは思うが、それでも寝てさえしまえば、時間は過ぎていく。
うん、寝よう。なんとか寝よう。
昔ながらの寝るためのおまじない。頭の中で数えた羊が百を超えようかという、その時だった。
ダダダッ、と、まるで地鳴りでも起こってるんじゃないかというほどに忙しい足音が聞こえてきたのは。ウルカ先生だろうか。
外から、廊下は走らないでください、と注意を促す言葉が聞こえてくる。ウルカ先生ではないらしい。
全く騒がしい。こっちは今から寝るところなのだから、もう少し静かに……そう思っていた時だ。
「達志!」
慌ただしくドアが開かれたのは。勢いよく横に横に開かれたドアはドン、と壁にぶち当たる。ドアを開けた人物は、達志の名を呼ぶ。
その声は達志にとって、聞き慣れ親しんだもので……しかし、達志が知っているよりも、どこか枯れたような声。
だが、それくらいで間違えるはずもない。一言聞いただけで身に染み渡る。その声の主が、誰なのかを理解する。そう、この声は……
「……母、さん?」
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