にじゅうにわめ

「牡丹くん、泣かせちゃったの?」

つぶらな瞳をした少女が、清臣の顔を覗き込むようにして聞いた。

「勝手に泣いたんだ。」

少女は腰に手を置いて、呆れている。

「そんな顰めっ面してるからよ。」

清臣は言われた通りの顰めっ面のまま、そっぽを向いた。

「椿にもその顔なの?」

その名前に、清臣の眉の端がぴくりと動いたのを少女は見逃さなかった。

「これが普通なんだよ、悪いな。」

「かわいそう。どうせ他の女の子には愛想振りまいてるんでしょ。」

それが図星であったようで、少女は調子づいた。

「でもあんたさぁ、椿のこと……」

「なんだ。」

清臣の瞳が睨みつけるように少女を見た。

静かな眼光が、それ以上は言うな、と言っている。

「何でもない。」

少女は満足したのか、振り向いてその場を去ろうとした。

だが、ふと思い出したようにニヤリと笑って向き直った。

「嫉妬しちゃうなぁ。」


「お嬢。」

清臣が勢いよく襖を開けると、よく似た瞳が揃ってこちらを見た。

「なんだ、臣か。」

椿は清臣の訪問に驚いていたらしい。

強張らせた肩からゆっくりと力を抜く。

もう一つの小さな瞳は、椿の膝の上にちょこんと座る、椿の弟の牡丹だ。

「ねえね……」

不安そうなその声は、清臣のことを怖がっているようだった。

「もう泣かないって約束したでしょ。」

椿は微笑みつつ言った。

それに応えるように牡丹は唇を噛みながら頷いた。

牡丹は椿の影に隠れながらも言う。

「ぼく、強いもん。」

急に何をいうのかと、清臣は思う。

その思いが、顰めっ面となって表情に現れる。

牡丹はそれを見てまた泣きそうになって堪えた。

「ねえね、強い人が好きだから、ね。」

椿は笑って言った。

その声にからかいが混ざっていることを、牡丹は知らないだろう。

牡丹は少し嬉しそうな声になって言う。

「ぼく!ねえねと結婚する!」

清臣はポカンとした表情で牡丹を見ていた。

幼児って、こんなものだろうか。

椿は目の端に涙を浮かべるほど笑っていた。

「かわいいでしょ?」

牡丹はギョッとして姉の顔を見た。

「かっこいいの!」

椿はまた笑う。

「そうだね。牡丹はかっこいい。」

清臣は肩をすくめた。

「邪魔しましたね。」

襖を閉めて去ろうとする清臣を椿は引き留めた。

「何か用があったんじゃないの?」

清臣はそれで思い出した。

大事な用だ。

「祭り、行きませんか。」

椿は首を傾げる。

「それって、誘われてるの?」

「そうですけど……」

清臣は決まり悪そうに視線を逸らす。

清臣が思い立ったのではなく、椿の母親に聞いておくよう言われただけだ。

「家の人はみんな行くらしいので。」

椿はそれが、清臣からの誘いではないことを察したのだろう。

「臣は行かないの?」

「お嬢に合わせます。」

椿は綺麗な形の眉を下げて笑う。

「今くらい、他の人に頼んだらいいのに。」

別に、仕事だとは思っていない。

自ら望んでそうしているわけでもないが、別に嫌というわけでもない。

「何もしないのは性に合いません。」

椿は少し考えているようだった。

即決しそうだと思っていたが、少し意外だった。

「ねえね、一緒にどかーん見ようよ。」

どかーん?と椿は聞き返してすぐに理解する。

花火だ。

「そうだね……じゃあ、行こっか。」

椿はまた困ったように眉を下げて清臣を見る。

「ごめんね、せっかくの休みなのに。」

やっぱりこの人は、人のことばかり考えている。


五時前だと、まだ夕暮れにすらなっていない。

真夏の日差しは少し柔らかくなったが、まだ溢れんばかりの強い青は空を覆い尽くしている。

「ねえね、かわいい!」

牡丹は椿の浴衣姿を見てはしゃいでいる。

それは姉も同様に……

「牡丹もかわいい!!」

そう言っては牡丹に「かっこいいでしょ!」と注意されている。

「お嬢は本当に綺麗ですね。」

豪が言うと椿はその明るい表情を一転させる。

「ありがとうございます……」

言われなれていないのか、単純に引いているのか、椿の顔には微かな嫌悪感が覗いた。

そんなことは気にしないかのように、豪は楽しそうに笑う。

「それにしても、坊ちゃんも女たらしですねー。」

子ども相手に何を言っているんだ、と椿は苦笑する。

それでも牡丹は、清臣と違って豪にはよく懐いているようだった。

「あの、豪さんは牡丹のボディーガードなんですか?」

「違いますよ。俺は普段は若い衆の教育係です。」

牡丹の面倒は、普段は誰が見てくれているのだろうか。

「普段は持ち回りで暇な奴がやってます。今日はたまたま俺の番だっただけ。」

そう言えば皆、祭りに行ったのか、いつもあちこちに人の気配のする家はとても静かだった。

極道だかマフィアだか知らないが、人としての楽しみは普通に持ち合わせているらしい。

「坊っちゃん、何でも好きなもの買っていいですからね。お嬢も。」

どうせ家の金であることは承知していたので、椿は遠慮せずに頷いた。

「ごーう、あれ買って!」

牡丹は豪を呼び捨てにしている。

人の上に立つ者としてはなかなかの器だ。

将来、牡丹もこの家で、殺し屋として活躍することになるのだろうか。

……それは少し、嫌かもしれない。

「お嬢?」

椿はそこまで深刻な顔をしていたのだろうか。

声や表情こそ変わらないが、心配されているような気がした。

「ねえ、臣って給料いくらもらってるの?」

「今聞くことですか。」

前々から気にはなっていたのだ。

「時給制なの?」

「いや……月給ですけど。」

椿の無垢な瞳にじっと見つめられて、清臣は諦めたようにため息をついた。

「月50万。」

ん?と椿は聞き返す。

「高っ!」

椿は思わず大きくなってしまった声に、慌てて口を抑える。

「みんなそんなに貰ってるの?」

いや、と清臣は否定する。

「基本、お嬢の護衛は年中無休なので。」

要するにブラックだと言いたいのだろうか。

「なんで急にこんなこと聞いたんですか。」

清臣の問いに、椿は明るく笑っていう。

「気になったから。」

「……それだけですか。」

そう、椿は至って単純だ。

それは、弟の牡丹にしてみても同じである。

「ごーう!だっこ!!」

数分前に自分で歩くのを諦めたかと思うと、祭りを楽しむことさえ諦めようとしている。

「ぼく、もう帰る!!」

と、駄々を捏ねている。

「お嬢と花火、見るんじゃなかったんですか?」

豪は牡丹のわがままに嫌な顔ひとつしない。

「やだー!」

「こら、牡丹が来たいって言ったんでしょ。」

椿が優しく叱るが、牡丹には全く聴こえていない。

「もう……」

こんなわがままじゃなかったんだけどなあ、と椿は少し悲しくなる。

いわゆる、イヤイヤ期というやつか……

「わかりました。坊っちゃん、向こうで休んでましょう。」

豪は優しいような口調で言う。

「花火の時間になったら合流しましょう。」

椿は申し訳なさそうに眉をくいっと下げた。

「ありがとうございます。」

「お嬢が言うことじゃないですよ。本当ならそういうことは坊ちゃんが言うべきなので。」

豪は全く意味のわかっていない牡丹に笑いかける。

この人、意外と教育係に向いているのかもしれない。

豪は牡丹に急かされてそそくさと人混みを離れる。

二人の後ろ姿が見えなくなる前に椿は清臣の方を振り返る。

「ね、なに食べたい?」

清臣は一瞬唖然として、肩をすくめた。

「お嬢が食べたいものを探しましょう。」

椿は白い歯を見せて屋台の電光にも負けない明るい笑顔を見せた。

「迷うなぁ。」

椿はだんだんと清臣といても、緊張することはなくなっていた。

彼の冷たさに慣れたのもあるけれど、どことなく、優しさのような暖かさが、落ち着きがあった。

人の流れに逆らえずゆっくりと歩きながら、椿は目の前に続く店々を眺める。

イカ焼き……いいなぁ……

いや、でもちょっとおじさん臭いか。

そんなことを考えながら、五軒ほど店を過ぎると椿はふと足を止める。

途切れることないざわめきが椿を包む。

不意に、一人でいるような感覚に襲われる。

肩越しに振り返ると、清臣の姿はなかった。


「いやぁ、こういうの久しぶりだなあ。」

憂は体を伸ばしながら言う。

「陽太、豪は?」

すぐ横に控える童顔の青年に聞いた。

「牡丹坊の、護衛です。」

陽太と呼ばれたその青年はハキハキと言った。

「それで、臣は椿の護衛か。」

憂は軽やかに笑う。

「残念だったなぁ、あいつらは!」

すぐ横から飛んできた拳が、憂の後頭部の中心を殴りつける。

「ってぇ!」

憂を殴った張本人、興は素知らぬ方向を向いている。

「まあ、でもあの二人……特に臣がいると収拾つかなくなりますからね。」

陽太が空気を変えた。

憂は頭を抑えながらいつものように優しく笑う。

「臣は、だから椿の護衛にしたんだ。」

「お嬢ってそんなにすごい人なんですか?」

と、陽太は聞く。

「さあねぇ……」

憂はまた、軽やかに笑う。

「なんなんですか。」

陽太はむすっとした。

「京極家である以上、血の気が多いのは性だな。」

憂はもう一度伸びをして体を伸ばす。

「そろそろ行こうか。」

憂、興を含めた十数名が向かっていくのは、すでに廃墟と成り果てた商店街。

その最悪にある、アビスの本拠地へ。

「京極に逆らったらどうなるか、身をもって教えてやるよ。」

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