にじゅういちわめ
黒井の運転は想像通り安定していた。
VIP待遇の椿は後部座席に清臣と並んで座った。
「そういえばさっきの輩、なんで急に話しかけたりなんてしてきたんでしょうね。」
敬語の軽さから、豪という彼は椿に話しかけているようだった。
「初めはただ気になって声をかけられた感じでしたけど、私の顔見たら、京極の人間だってわかったみたいで。」
「それってナンパってこと!?」
「食いつくのはそこじゃないですよ。」
清臣は呆れた調子で口を挟む。
どうやら彼はいつもこんな調子らしい。
「何で顔知ってたんだろうね。」
そんなこと椿に聞かれてもわからない。
「お嬢、狙われてるんですよ。」
清臣が言う。
「最近、関わってくる奴が増えてます。裏で情報回されててもおかしくない。」
「でも、そんな覚えやすい顔かなぁ。」
椿はポーチから手鏡を取り出して自分の顔を見つめながらいう。
「いわゆる美人なんですよー、お嬢は。」
そう言うと豪は清臣を揶揄う。
「嫉妬しちゃうよな、清臣。」
「何言ってるんですか。」
椿も何も言わなかったが内心否定していた。
そんなそぶり、少しでも見せてくれたらこっちだって安心できる。
たぶん、一時期は本当に嫌われていたから。
「まあ、京極の娘ってことだけじゃなくて、お嬢の顔が綺麗だってことも自覚しておいた方がいいですよ。」
確かに、自分の容姿が整っていることは少なからず自負していることではあった。
だが、そこまで特出しているわけでもない。
一クラスに一人はいる絶世の美女(例えば唯華)には敵わないと思っている。
だからこそ、自分の顔は覚えるには微妙だと思うのだ。
「あの人たちって、結局誰なんですか?」
自分の容姿の話ばかりされてもつまらないので、椿は話題を逸らす。
「最近こっちの方で色々と勝手にやってる輩でしょう。アビスなんて名乗ってますけど、要するにチンピラの集まりです。」
問いには黒井が答えた。
アビス、とはなんて厨二病くさい名前だろうか。
「京極の当主がおいぼれだと聞いて調子に乗っているようですが、おいぼれはあの人と、私くらいですからね。」
黒井はそうは言ったが、二人とも年齢に見合わない体力を持っている。
ただのチンピラでは敵わないのではないか。
「今夜にでも、話し合いに行きましょう。彼らが何も言えなくなるように。」
話し合い、とは、一体どんなものだろう。
まさか、拳で語り合うなんてことは。
顔を青くする椿を見て黒井は優しく笑う。
「安心してください。あれくらいなら、うちの若い衆が二人いれば十分でしょう。」
そういう心配をしていたわけではないのだけれど。
椿は困って思わず愛想笑いで返した。
「さあ、着きましたよ。」
程なくして、よく見慣れた景色の前で車が止まる。
立派な門を構えた豪邸だ。
ただ広いだけでなく、同じようなふすまや障子が並ぶせいで、昔はよく迷っていた。
車を降りると、真夏の太陽が上から強く照りつける。
「じゃあ、私は車を置いてきますから、先に行っていてくださいね。」
黒井がそう言って車を発進させるのとほぼ同時に、その大きな門が開いた。
「おかえりなさいませ!!」
昔から椿はこの時間が苦手だ。
門から玄関まで続く道にずらりと並ぶガラの悪い人たち。
去年まではただの使用人とか、親戚とかだと思っていたが、今ならもうわかる。
祖父の部下、つまり殺し屋なのだ。
その花道のど真ん中を通って椿の元へ来るのは紛れもない祖父の姿だ。
最後に見た時よりも白髪が増え、太っていたが、変わらず元気なようだ。
「よく来たなぁ。」
分厚い手で椿の頭を優しく撫でる。
昔から椿には甘い祖父が、こんな怖い人たちを束ねる、マフィアの長だなんて信じられない。
「また大きくなって……ちゃんと食べてるか?」
椿は頷くだけだった。
祖父の貫禄は、昔から感じていたものだけど、そこには安心感だけじゃなく、もっと大きななにかもあった。
幼い頃、祖父が怖かったのはそのせいだろうか。
「清臣も、よう帰ってきたなぁ。」
清臣は小さく一礼する。
「うちの孫の相手は大変じゃろ。」
清臣は何も言わない。
確かに、祖父は迂闊にものを言えない雰囲気をもっている。
「おじいちゃん、そういうことは言わなくていいの。」
椿が困り顔で言うと、祖父は太い声で笑った。
マイペースというか、なんというか。
「ねぇ、牡丹は?」
椿が聞くと、祖父は顔をくしゃりとシワだらけにして笑う。
「奥にいるよ。何でも、こいつらが怖いみたいだ。」
そうだろう。
椿でさえあまりいい気分ではないのだから、臆病な牡丹にしてみれば、悪いことをしたわけでもないのに怒られたような気持ちになるだろう。
椿は祖父に促されて、広い玄関に上がる。
古い家らしい、絶妙な匂いがしている。
「牡丹!」
祖父が野太い声で牡丹の名前を呼んだ。
小さかった足音がだんだんと大きくなる。
突き当たりの曲がり角から、小さな手足が見えたかと思うと、愛らしい声が椿を呼ぶ。
「ねえねー!!」
椿は慌てて靴を脱ぎ捨てる。
暖かい牡丹の身体は、まだ椿の腕に収まる。
強く抱きしめると柔らかくて甘い、幼子の香りがした。
「元気にしてた?いい子にしてた?」
椿が早口に言うので、牡丹には聞き取れなかったのか、その質問には何も答えなかった。
だが、小さな手で椿の服をギュッと掴んで、牡丹なりに椿を抱きしめ返している。
「ねえねのこと、忘れてない?」
椿が聞くと、今度は元気よく答える。
「ねえねのこと、好き!!」
「うん、私も牡丹のこと好きだよ。」
よかった。
牡丹は変わってなくて、椿のことも忘れていない。
なにより、やっぱり可愛い。
言いようのない幸せが心の奥底から湧き出てくるようで、椿は嫌なことも不安なことも全部忘れてしまった。
一瞬だけ。
椿が牡丹を抱き上げて立ち上がった途端、背後の玄関扉が開いた。
「お嬢、荷物……」
なんてことない。ただの清臣だ。
だが、その声が椿を現実に引き戻した。
牡丹は器用に椿の腕から抜け出して、肩越しに清臣を見た。
「だあれ?」
まだ舌足らずの声が聞く。
椿はチラリと清臣を見る。
その瞳がいかにも「邪魔をするな」と言いたげで、清臣は無愛想な顔をさらにしかめさせた。
「なんですか。」
「いや……ありがとう。」
牡丹は首を傾げて少し暴れながら椿に聞く。
「だあれ?」
「ねえねのお友達。」
牡丹はスッと椿の影に隠れる。
「ほんとうに?わるいひとじゃない?」
清臣の顔に明らかな不機嫌さが浮かぶ。
ちらりと顔を覗かせた牡丹は、清臣のその表情を見て、小さく体を震わせた。
経験上、椿はこれから起こることを知っていた。
ふぇ、と小さな声が牡丹から漏れ出る。
「牡丹、怖くないよ。」
椿の声も牡丹には届かなかった。
家を真っ二つに割ってしまうような凄まじい泣き声が牡丹の口から出る。
何で子供って、こんな激しく泣けるんだろうか。
椿は牡丹の背中を優しく叩きながら宥める。
「大丈夫だよ、牡丹。ねえねいるから。」
だが、こうなったら疲れて泣き止むまで手がつけられないことは知っている。
清臣はすぐ後ろで唖然としていた。
「ね、牡丹。この人は元からこういう顔なの。怒ってるわけじゃないから。」
椿の肩は牡丹の涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっている。
「あー、もう、牡丹!!」
よく聞き慣れた声がして椿は顔を上げる。
家の奥から姿を見せたのは母親と、祖母の姿だった。
「あら!!椿、おかえり!!」
母は牡丹の号哭を物ともせず、椿に笑みを向ける。
ねぇ、お母さん。
今はそれどころじゃないの。
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