じゅうはちわめ
「京極、ちょっと来い。」
清臣との問題はまあ解決したにも関わらず、椿は相変わらず沈んだままだった。
「なんだ、なんだぁ?」
友人たちが囃し立てる中、椿は原因がなにかはっきりと知っていた。
「これはまずいよ。」
はい、と椿は項垂れる。
ひがっちは怒っているわけではないが、むしろそれが椿の罪悪感を強めていた。
「なんで、この点数になったか、心当たりは?」
点数、というのは、一学期の中間小テストの点数のことだ。赤点など余裕の、なかなかのひどい点数だった。
「……私の怠惰です。」
比嘉は頷いた。実直なのがこの生徒のいいところだ。
「まぁ、環境が変わって大変なのもあるかもしれないが、期末にはいいかげん慣れるだろうし、次は失敗するなよ。」
先生が、椿の失態を、失敗と言ってくれたことで、椿は少しホッとする。
「はい……」
「補習はないから、あれだが、必要なら勉強見るからな。」
「ありがとうございます……」
優しさが強すぎて、椿の声は自信なさげにしぼんでいく。
「じゃあ、気をつけて帰れよ。」
椿はぺこりと一礼して、先生の前を去る。
椿とて、勉強していなかったわけではない。むしろ、かなりしていた。
でも、効率が悪いのが、集中力が悪いのか、想定したことよりもできなかったし、結果も散々だった。
友人たちの口々の慰めも頭に入らず、椿は死んだ目で帰路についた。
「今日、何かありましたか?」
椿がマンションの部屋に入る直前、清臣が聞いた。
清臣から何かを聞くことなんてあまりなくて、椿は驚いたような表情を見せる。
そのせいか、清臣は居心地悪そうな顔を一瞬だけした。
「元気なさそうだったので。」
わかる?と椿はあきらかに沈んだ声で返す。
「テストの点数悪くて……まぁ、いつも通りなんだけど。」
守間くんは?と椿は清臣の顔を見ないまま聞いた。
「……普通ですよ。」
どうせいいくせに。と椿は心の中でつぶやく。
なにせ、十倍近い倍率を勝ち抜いた途中入学の秀才だ。
椿は心の中でため息を吐く。
「なにが苦手なんですか?」
清臣の声は静かだった。
「……全部。」
椿は拗ねたように言った。
清臣は顔をしかめる。
「それは、大変ですね。」
「今、あきれたでしょ。」
清臣は視線を少し横にずらした。
椿は大きく肩を落として、カバンの中をごそごそと漁る。
意外にもきれいなカバンの中から、数学と英語のテスト用紙を抜き出すと、清臣に差し出した。
赤い字で英語のテストには24、数学のテストには16と書かれていた。
清臣は無言でじっとその解答用紙を見つめる。
「……なんですか、この点数は。」
やがて、はっきりとそう言う。
椿は下を向いて、拗ねた子供のようにむくれた。
「少々、計算違いがいくつか……」
「どの計算違いですか。」
顔には出ていないが、清臣が絶句しているのは伝わってくる。
椿はちらりと清臣の顔を見た。
解答用紙を見ていた清臣の瞳が椿のほうを見る。
「勉強、教えましょうか?」
椿は今度はしっかりと清臣の顔を見た。
「いいの?」
清臣はまた、居心地悪そうな顔をして頷いた。
と、いうのが数分前の出来事だったはずだ。
自分のどうしようもない学力が改善されることへの期待が上回って、よく考えていなかった。
「集中してますか?」
目の前に座る清臣が顔をしかめた。
できるわけない。
だって、こんなの初めて。
うっすらと感じられるシトラスの香りは清臣のものだ。
家に男子をいれたことなんて人生で初めてなのに、その上、二人きりだなんて。
「……なんか飲む?」
「集中してないじゃないですか。」
清臣の鋭い言葉に、椿は机に顔を伏せった。
清臣の説明はわかりやすいのだけれど、椿の集中力がついていかないせいで追いつかない。
「ごめん……」
「英語にしますか?」
椿は首を横に振った。
「いや、もうちょっと頑張る。」
緊張するとか、そんなこと考えてる暇はない。
「ラジアンは、理解できるみたいですけど、それだけですね。」
椿はまたがっくりとうなだれた。
「三角関数、理解できなくて。」
「これはもう、覚えた方が早いですね。」
「えー。」
「不満なら、もう教えませんよ。」
相変わらず不愛想だけど、でも、たぶん、彼はやさしい。
椿がどれだけわからなくても、苛立ちもせず、初めに戻って丁寧に説明してくれるのだから。
「うわ、これ絶対あってないよね。」
椿が見ると、清臣は頷く。
「計算間違えてます。」
「どこ?」
「一番最初。」
「……もっと早く言ってよ。」
やっぱり、優しくはないかもしれない。
椿は大きく息を吐いて、机に突っ伏した。
「疲れた……」
集中が途切れて、疲れだけじゃない、眠気や空腹が一気に襲ってくる。
ふいに顔を上げて、椿は時計を見る。
時刻は八時前だった。
もうこんな時間――そう思ってから清臣の存在を思い出す。
「時間、大丈夫?」
思わず口走って、あとから自分でもどういう意味かわからなくなった。
何に対する心配だったのだろう。
「俺、一人暮らしなんで。」
清臣の返答があってから、椿は後悔する。
よく考えないのが、椿の悪い癖だ。
今度はよく考えてから言う。
「夕飯食べてく?」
だが、またもや考えが足りなかった。
言ってから椿は、前に一度、同じ誘いを断られたことを思い出す。
人知れず沈む椿と裏腹に、清臣はすぐ返した。
「いいんですか?」
清臣と違ってすぐ顔に出る椿は、また素直にも驚いた表情を見せる。
その表情を見て、清臣は困ったように眉根を下げた。
「なにがいいとかある?なかったら適当に作るけど。」
首を横に振る清臣。
椿は冷蔵庫を開けてみた。
椿は少食だし、兄たちも家で食事をしないせいか常にすっからかんな状態だ。
困ったな、と椿は思う。
少し野菜は足りないけど、椿が好きで大量に買い込んである卵があるし、オムライスにでもしよう、と思った。
「お嬢、料理できるんですか。」
心なしか、清臣の表情は不安げだ。
いや、気のせいかもしれないけど。
「意外でもないでしょ。」
なかなかの手際で、椿は二十分もせず作り上げてしまった。
「守間くんは料理しないの?」
「しません。」
ばっさりと切り捨てられて、椿は苦笑する。
なんとなく、そんな気はしていた。
清臣は黙々と食べているが、椿が二口も進めないうちに食べ終わってしまった。
「はや!?」
「お嬢が遅いんですよ。」
やっぱり、どこかかみ合わないんだよな、と椿は心の中で苦笑する。
「こんな遅くまでありがと。」
椿が言うと清臣は、何でもないように言った。
「なにかあったらいつでも呼んでください。」
無意識なのか、わざとなのかわからない。
考えてるのか、考えていないのか、わからない。
「すぐ行くので。」
それが優しさなのか、義務感からなのか、わからない。
清臣は真剣な瞳で言う。
「お嬢を守ることが、俺の仕事です。」
椿は頷く。
それでも、清臣の優しさに甘えるつもりはなかった。
それが伝わったのだろうか。
「家、隣なんで。」
椿は思わず聞き返す。
「え?」
「お前ら、いつのまに仲良くなったんだ。」
不意に声をかけられて椿は小さく声を出してしまった。
「なんだ、ひがっちか。」
椿はいつも通り清臣と帰ろうと清臣に声をかけたところだった。
「なんだってなんだよ。」
先生は笑いながら言った。
「どうしました?」
「冷たいなぁ。邪魔して悪かったよ。」
椿の目が点になる。
他人から見ると自分たちはそう見えているのか。
「そういうんじゃないですよ。」
そうかそうか、と適当にあしらうと、ひがっちは清臣の方を見た。
「どうだ、学校なれたか?」
清臣に向けられた質問に合わせて、椿も首を傾げた。どう?と。
「あぁ、はい。」
「ならよかった。」
嬉しそうなひがっちを見て椿も笑みをこぼす。
「そうだ、お前らに用あってさ。」
椿はまた首を傾げた。
「結婚式の招待状、配ってるんだけど、来るか?」
「待ってたんですよ!」
おそいなぁ、と笑いながら言う椿にひがっちは照れくさそうに笑う。
「忙しくて。」
「いつなんですか?」
椿は渡された招待状を大事そうに持ちながら聞く。
「六月の第一日曜だ。」
「えー、ジューンブライドだ。」
「まぁ……奥さんの誕生日が近いし。」
「絶対行きます!」
ひがっちは、臣のほうを見た。
「守間はどうするか?」
「いこーよ。」
椿を見た清臣に、椿は笑みで返す。
「っていうか、どうせ来るか。」
そんな二人の様子を比嘉俊英はまぶしそうに目を細めながら見ていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます