じゅうろくわめ

「あれ……?」

椿は帰りの準備のためにカバンをいじっていると、あることに気が付いた。

「どうした?」

すぐ隣で同じくカバンに荷物を詰めていた恵那が、椿のほうを見た。

椿は少し考えてカバンをひっくり返して、中身を全部出す。

大量のノートやポーチが机からあふれ出して床に落ちた。

乱暴なやり方に恵那は唖然とする。

「あー、やっちゃった。」

唯華が肩をすくめる。

二人とも文句を言いながら椿の荷物を拾い集めるのを手伝ってくれた。

「なんで急に?」

椿は深刻そうな顔で答える。

「キーホルダー落としたかも。」

二人はそろって、椿のカバンを見る。

「なんかつけてたっけ?」

唯華はなにもついていないせいで椿のカバンは逆に印象に残っていたことを思い出して首をかしげる。

「カバンじゃなくて、筆箱に。」

恵那がいち早く思い出して吹き出した。

「あの変なやつね!」

椿はむすっと頬を膨らませて、言い返す。

「変じゃないよ、かわいいじゃん。」

唯華も思い出したようだ。

恵那ほどじゃないが、笑っている。

「あのタコみたいなイカみたいなやつか。」

イカの顔にタコの足を持った生き物がタコ焼きとイカ焼きを持っているキーホルダー。

椿は別に変だとは思わない。

「諦めたら?」

唯華は本当にあきらめが早い。

「あれ、のどか先輩からもらったやつなんだよね。」

「それは探さないとだね。」

恵那は大きくうなずいて言う。

なんとなくからかわれているような気がして、椿は不満げになによ、とつぶやいた。

椿は荷物をまとめて立ち上がる。

「探してくる。」

「私も手伝ってあげたいけど、部活あるからさ。」

ごめん、と恵那は手を合わせる。

からかわれているのか、本心なのかわからない。これでも、恵那はやさしいから。

唯華はチラリと時計を見た。

「ごめん、私も今日、病院の予約あるから時間ないわ。」

唯華はカバンを肩にかける。

「見たら拾っとくね。」

ありがとう、と椿は返す。

唯華はもう時間が迫っているのか、教室のドアに向かって歩き出していた。

「病院ってなんの?」

その背中に恵那が聞いた。

ドアを開けながら、振り向きざまに唯華は言う。

「んー?痔。」

じゃあね、と唯華は手を振って行く。

残された二人は顔を見合わせた。

「ほんと?」

「さぁ?」


清臣は教室にはいなかったけれど、荷物はあったから椿はメモを置いて教室を後にした。

確かあの人は生活委員会で、今日は呼び出しがあったはずだ。

椿は今日一日の自分の動きを思いだしながら廊下を歩く。

少し先に見覚えのある背中があって、椿は声をかける。

「種田せんせー!」

椿の声に振り向いたゴリラのような大男は顔をしかめた。

「なんだ、京極。」

生活指導の先生だ。

厳しくて、生徒からはあまり好かれていないが、わざわざ嫌われ役を買っているあたり、椿は嫌いじゃない。

「スカート、第一ボタン。」

椿は追撃を避けるためにさっさと要件を話す。

「落とし物したんですけど。」

「なにを落としたんだ。」

先生は一切顔色を変えない。

「キーホルダーです。」

「どんなやつだ。」

「イカとタコがフュージョンしたやつで……あと手にタコ焼きとイカ焼きを持ってます。」

先生はあんぐりと口を開けた。

「なんだそれ。」

「先輩からお土産でもらったんです!」

「いるか、それ?」

常に不機嫌そうな声の底に、時折見える正の感情。

「いつ、どこで落としたんだ?」

「それがわかったら探してませんよ。」

「……それもそうだな。」

こういうところが、先生のいいところだ。

「今日は落とし物、来てないけどなぁ。」

そういえば落とし物管理は、生活指導の先生の役割だった。

「しかし、お前はよく落とし物をするんだから、名前書いとけよ。」

「キーホルダーには書かないですよ。」

先生は頭をかいて考える。

「まぁ、見つけたら教えるよ。」

「ありがとうございます!」

椿はぺこりと一礼して去っていく。

後ろから体育教師らしい先生の声が追いかけてきた。

「身だしなみな!」

今日の一限目は化学室で実験だった。

椿はドアの小窓から室内を覗く。

「お嬢。」

ふいに耳元で声がして、椿は肩をびくりと震わせる。

振り向くと、不愛想な顔がそこにあった。

「びっくりした。」

「落とし物は見つかりましたか?」

椿は首を横に振る。

「まだ全然……」

「教室にはありませんでしたよ。」

椿は一瞬考える。

「探してくれたの?」

理解まで少しかかったのは、清臣の行動に似つかわしくなかったから。

「別に、そこまで驚くことではないですよ。」

「ありがとう。」

清臣は椿を見ないまま言う。

「あとは、どこを探してないんですか?」

今日の移動教室は音楽と、情報、そして体育だ。

「音楽室と、PCルームと、あとグラウンド。」


音楽室にて。

ピアノの音色が響く。

「椿ちゃん、今年は伴奏やらないの?」

「私、そこまでピアノうまいわけではないですよ。」

「そうねぇ……」

音楽の先生は面白い人で、褒めてくれると思ったらそういうわけでもないらしい。

「落とし物、来てないですか?」

先生は首を横に振る。

「今日は何も……何を落としたの?」

「イカとタコのキーホルダーです。タコ焼きと、イカ焼きを持ってて……」

「なにそれ。」


PCルームにて。

「……ない。」

椿の声の自信のない小さな声は清臣には届いていなさそうである。

一つ上の学年の女子に囲まれて動けないでいる清臣を横目に見ながら、椿は部屋中をくまなく探したが、見つからなかった。

今はともかく、キーホルダーを見つけ出すより、清臣を救い出すことのほうが難しそうだった。


「さすがにグラウンド全部は探せないですよ。」

椿は体育の授業を思い返す。

筆箱はベンチのあたりにおいて、動かさなかったから、そのあたりを探せば十分だろう。

「……そんなに、大切なものなんですか?」

「うん。」

椿は迷いなく答える。

「人からもらったものだから。」

清臣は何も返さなかった。

代わりに、あ、と小さくつぶやいた。

「……これ。」

清臣は、たしかに言ったとおりだ、と心の中でつぶやく。

想像よりも大きめのキーホルダーだった。

「そう!これ!」

椿は清臣から受け取ったキーホルダーを大切そうに握りしめる。

「よかった!見つかって……ありがとう!」

椿はすさまじい勢いで言った。

「想像通り、変なキーホルダーだな。」

独り言のようにつぶやいた清臣だが、椿にはばっちり聞こえている。

「かわいいじゃん……」

何度もそういわれた椿は、消え入りそうな声で言った。

椿はキーホルダーをはたいて、土を落としている。

その瞳を見るに、とても大切なものだったのは本当のことなのだろう。

椿の瞳は、いつも輝いている。

清臣はすっと立ち上がる。

それを見た椿も、キーホルダーを大切そうにカバンにしまって立ち上がる。

「おっと。」

立ち上がった拍子にバランスを崩した椿を、清臣は片手を差し出して支えた。

後ろにひっくり返るほどの勢いではなくて、清臣が何もしなくとも平気だったのだろうけど、思わず。

「ありがとう。」

その瞳に少し悲し気な色が見えたのは、清臣の気のせいだっただろうか。

椿の考えていることは、少しわからない。

単純そうでその瞳の奥にはいつも複雑な色がある。まぶしいほどの輝きの裏に、いっそう濃い影があるように、清臣には見える。

「帰ろっか!」

やっぱり、気のせいだったのだろう。

そう思わせるくらい椿は明るい声でそう言った。

「ありがとね、付き合ってくれて。」

やっぱりまぶしい笑顔で椿は言う。


いつもなら立ち止まらずに行く駅のエントランスを、椿は立ち止まって振り返る。

「ちょっと寄り道してもいい?」

椿は清臣と二人きりで帰るとき、いつも少し遅れてついていこうとする清臣に足並みをそろえようとゆっくり歩く。

でも今日は、清臣より二歩くらい先を歩いていく。

駅前の通りは、日の落ちかけたこの時間帯でも学生でにぎわっている。

清臣は自分に向けられる視線を無視して、椿だけを目で追っていく。

椿が足を止める。

客が吸い寄せられてしまうような良い匂いがする。

清臣は少し離れたところから椿を見守っていた。

椿は誰と話すときも、楽しそうだ。よく知っている友人や家族だけじゃない、見知らぬ人が相手でも。

商品を受け取った椿はきょろきょろとあたりを見渡す。

清臣を見つけると、一度躓きながら駆け寄ってきた。

二つ持った肉まんのうち、一つを清臣に差しだす。

「どうぞ。」

清臣はその不愛想な顔面に似合わない困惑を浮かべる。

「今日のお礼。」

椿は差し出した手をさらに前につきだす。

「……ありがとうございます。」

椿は満足そうにうなずいた。

「ここ、舞香に教えてもらったの。あ、舞香とは最寄りの駅同じだからさ。」

聞いてもいないのに椿は言う。

清臣は適当に相槌を打つ。

「熱っ。」

椿は春なのに、白い息を吐いて顔を真っ赤にしながら肉まんをほおばっている。

ちらりと、清臣のほうを見て驚いたようだった。

「もう食べたの!?」

椿は焦ったように、肉まんに息を吹きかける。

それに意味があるのかはわからないが、椿は食べては熱がり、息を吹きかけるのを繰り返していた。

椿がやっと食べ終わったのは、肉まんも冷め切っているであろう、マンションの前についたころだった。

だが、食べることが好きなはずの椿は顔を曇らせる。

それは清臣にしてみても同じだった。

「あぁ、いた。」

いた、ってなんだよ。

椿が足を止めたのとほぼ同時に、清臣も足を止める。

清臣よりは椿より半歩前で、母に対峙する。

「もう来るなって言っただろ。」

「だからなに?」

母に言葉が通じないのはわかり切っていることだ。

だが今は、そんなことよりも、お嬢が――

「その子は?」

母は目ざとく椿のことを聞く。

「実の母親放っておいて、女と遊んでるわけね。」

椿が顔をしかめる。

「別にそれはいいけど。ちょっと席、外してくれない?」

椿は戸惑いつつもはっきりと首を横に振った。

「私のことは、お気になさらず。」

とはいえ、椿はちゃっかり清臣の後ろに隠れている。

母は大きくため息をついた。

「あんたはいいの?私との話を聞かれても。」

人に聞かれたくない話という自覚はあるらしい。

清臣がチラリと椿に目をやるとやはり椿は首を横に振った。

小さくため息をついて母に向き直る。

「金は貸さないから。」

すぐ後ろで、椿が息を呑んだ。

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