じゅうごわめ

かわいそう、だなんて。

ただ、申し訳ないとしか。

そこに哀れみは、ない。

でも、否定できなかったのはどうしてだろう。


「俺にとっては、お嬢のほうが、かわいそうだと思います。」

どうして、そんなことを言ってしまったのだろう。

椿から向けられる哀れみに対抗したかった――だけじゃない。

ずっと、思っていた。

まっさらだった彼女が、急にこの世界に放り込まれたこと。

過酷すぎる道を歩まなければならなくなったこと。

椿と清臣はお互いにお互いをかわいそうだと思っていた。

それは、優しさに似ているようで、何よりも残酷な感情だった。


落ちかけた日が、人のいないホームに差し込む。

この人は、俺とは違う。

守られるべき人間だから。

「お嬢は、人を殺したことがありますか。」

通過列車が清臣の声をかき消すように走り去っていく。

椿が振り向きがちに清臣を見る。

感情のない冷たい瞳が笑う。 

思いもよらない問いかけの返答もまた、思いもよらないものだった。

「ある、って言ったら、驚く?」

その瞳の奥に、今までの椿とは違う、まったくの別人を見たような気がした。


「よぉ。」

声をかけられて、清臣は思わず顔を上げる。

「こんばんは。」

憂は小さく手を上げる。

その手から離れた缶を受け取る。

「高校生がこんな遅くに出歩いてちゃダメだろう。」

憂の冗談に清臣は眉を小さく上げる。

「よく言いますよ。」

清臣は手の中でひんやりとした感触の缶を転がしている。

「相変わらず、うまくいってないみたいだな。」

一瞬、憂のほうを見た清臣の瞳を、憂は逃がさなかった。

「大した話じゃないです。」

そう、と憂は憂いのある笑みを浮かべる。

「なにかあったら、椿に相談するといいよ。」

え、と思わず清臣は驚いた様子を見せた。

「俺なんかよりもずっと頼りになる。」

「若のことを頼りにしたことはないです。」

今度は、憂が驚いた様子を見せて、呆然とした。

「……すんません。」

調子に乗り過ぎたか、と小さく謝るが、憂はフッと笑い出す。

「いや、お前も言うようになったなぁ。」

憂はその大きな手で清臣の髪がくしゃくしゃになるくらい頭をなでる。

「どうして、お嬢のことをそんなに信頼できるんですか。」

まだ出会って三か月もたっていないはずだ。

「あいつは、俺たちとは違う世界の人間だ。」

この人は、なんて無情なことを言うんだろう。

「それに、あいつは、理解しようと、人のために真剣に悩める。」

憂は清臣に聞く。

「あいつさ、初めて自分の親からマフィアだって聞いた時、なんであったと思う?」

さあ、と清臣は返した。

愕然として何も返せなかったんじゃないだろうか。

いやでも。

清臣の心の隅に、さっきの椿の暗い瞳がよぎる。

「家族って言っても他人なんだから、親の仕事なんて気にしないって言ったんだよ。」

清臣は驚いて顔を上げた。

冷たさとも優しさとも取れる不思議な言葉。

「でもきっと、心から思ってるわけじゃない。」

憂が見せたことないくらい優しい笑みで遠くを見る。

「混乱しても、頑張って受け入れようとした結果の言葉って感じだったよ。」

その優しさは今度は清臣に向けられた。

「あいつは、多分すごく優しい。俺らには勿体無いほど。」

椿に頼るといい、と言っておいたくせに結局突き放す。

「あいつになら少しくらい弱み見せてもいいんじゃないか。」


彼女は、いったい何者なのだろう。

あのとき見た、椿の冷たい瞳は、椿の中にある翳りのようなものを感じさせた。

でも、憂の話の中にいる椿は優しくて温かい人だ。

ますます、椿のことがわからなくなる。


「なにかあったか。」

深夜のバラエティ番組の内容は耳を右から左へと抜けていく。

リビングのテーブルに突っ伏していた椿に声をかけたのは兄の興だった。

「あぁ、おかえり。」

眠そうな瞳をこすりながら椿は起き上がる。

「夕飯作る?」

「いい、食べてきた。」

お疲れ様、と椿の優しい声が言う。

「寝れないのか。」

壁に掛けられた時計は日付が変わったことを伝えていた。

「ちょっとね。」

椿は笑う。その笑みには、明るさがない。

内心、今日はよくしゃべるな、とだけ思っていた。

「臣と、喧嘩でもしたのか。」

椿は、曖昧な返事をして黙り込んでしまった。

その瞳はじっとテレビのほうを向いている。

興が机にマグカップを置く。

白い湯気のたつコップからは、ホットミルクの甘い匂いがした。

何も言わない興を椿がまじまじと見る。

「飲め。」

今度は、少し明るくなった笑みを浮かべる。

「ありがと。」

時計の秒針が時を刻む音だけが部屋に響く。

「……喧嘩、したわけじゃ、全然なくてね。」

椿の静かで落ち着いた声がいう。

「むしろ、喧嘩できたらよかったんだけど。」

湯気が立ち上って、椿の前髪を湿らす。

「どうにかして、仲良くなくていいから、距離が縮まったらいいなぁ、くらいに思ってたんだけど、上手くいかなくて。」

テレビの中では、若いモデルが芸能界の大変さについて語っている。

「今のままじゃ、ダメなのか。」

微かに椿は首を傾けて、髪が肩から落ちる。

「全部、私のためなんだけどね。」

椿の長いまつげが頬に影を落とす。

「もし、守間くんが私のために命を賭けなきゃいけない状況になったとき、それを肯定するのは、嫌だから……私が守間くんに命を預けて、私は守間くんの命を背負うなら、守間くんは私にとっての大切な人であってほしいっていう、私のエゴ。」

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