じゅうよんわめ

「金、貸してよ。」

清臣は母親をにらみつける。

「なにに使うんだよ。」

「恋人の入院費と手術費。百万。」

は?と清臣は怒りを隠さない声で言った。

「なんで俺が他人のためにそんな大金払わなきゃいけないんだ。」

「他人のためじゃない。私のためよ。」

清臣は大きなため息で返す。

「母さんがその恋人に騙されてるか、そもそも嘘ついてるかのどっちかだろ。」

そう冷たく言い放って、清臣は母親の前を通り過ぎようとする。

すると、やせ細った手が清臣の腕をつかんだ。

その手からは想像できないほど強い力だ。

「親が困ってるんだから、助けてくれたっていいじゃない!私はあなたのことを育てたやったのに、あんたは恩返しもできないの!?」

母の声は、金切り声に近かった。

その瞳は、ずっと昔の優しかったころの母とは違う。

他人だと思いたくなるほど、清臣の知らない母の姿がそこにあった。

母の手を振り払って踵を返す。

マンションにも背を向けて、清臣は再び夜の闇に戻っていった。


また清臣の声を聴かずに起きたその翌朝。

椿も清臣もいつものように変わらず、一日を過ごした。

でも、沈んだ気持ちを隠し切れずに、友達に心配されながら過ごしたのは椿だけだった。

一日中、なんとなくボーっとしていた。

「なんか最近、ずっと悩んでるみたいだから。」

と、唯華は言った。

本人は気づいていなくても、椿はこのところずっとそんな様子だったらしい。

椿は少し不服そうに、そう?と返すだけだった。

もともと人に悩みを明かすことのない椿だが、それ以上の問題がある。

このことは絶対に人には言えない。

清臣との距離を縮めることはあきらめたが、それでも距離は広がるばかりだ。

清臣が何を考えているかわからない。

それが一番の問題で、椿の不安はますます膨らむばかりだ。

ただ、普通なら嫌いになるはずのこの相手を、嫌いだと思えないのも、たぶん、この不思議な関係性のせいだろう。

命を守ってくれる相手に、嫌いだなんて、そんなこと。

むしろ、好感すら感じてしまうのだ。


ずっとそのことを考えていたわけではないが、何にも身が入らず、一日を終えた。

いつものように、この時間帯ではほとんど人のいないホームで電車を待っていた。

椿の瞳はうつむきがちに宙を見つめている。

電車が着く前に、椿は顔を上げた。

振り向く前に、椿の背を誰かの手が突き飛ばす。

真っ白になった椿の頭の中は、やばい、だけ。

体は動かないし、まともな思考をすることもできないのに、死ぬかもしれない、という未来だけがはっきりと見える。

ゆっくりに感じられた時が、元に戻ったのは、押し出された椿の体が引き戻されたのと同時だった。

清臣の腕が、椿を引き留めていた。

気持ち悪いほど高鳴る心臓は、指先の体温を奪っていくようで、椿は体を小さく震わせながら清臣の腕にすがるしかなかった。

「……大丈夫ですか。」

清臣の声をすべて聞き終える前に、体から力が抜けるように椿は倒れてしまった。


兄を呼ぶかどうかを清臣に聞かれて、椿は丁寧に断った。

立てるようにはなったものの、半ば放心状態の椿を見て、清臣はもう少し休もうと提案してくれた。

清臣は買ってきてくれた水を椿に渡すと、そっと横に腰を下ろした。

「昨日とは、全然違いますね。」

椿は肩をすくめて答えた。

「いつもああいうわけじゃないよ。いつもは、もっと……おしとやか、っていうか。」

ちらりと視線をやると清臣は疑念に満ちた瞳で椿を見ている。

椿は少し眉を八の字にして笑う。

「そろそろ行こう。」

椿は少し迷って、ありがとう、と付け足した。

「まだ平気ですよ。」

次の電車は通過で、椿たちが乗れる電車は十分後だ。

立ち上がった椿は、清臣のほうを見ずに言った。

「守間くんって、優しいね。」

どこか悲しげな椿の口調。

清臣は少し目を大きくした後、目を伏せた。

「……お嬢は、俺のことをかわいそうな人間だと思いますか?」

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