じゅうさんわめ

「お嬢!」

清臣が慌てて椿の下にたどり着いたとき、椿の周りには、黒い服を着た男たちが白目をむいて倒れていた。

清臣は驚きを隠せず、目を剝いて椿を見た。

「……なにを、したんですか?」

どうやら椿には、人の気配を感じ取る才だけでなく、護身の才まであったようだ。


「いいか、お前はボディーガードだ。護衛だ。つまり、椿を守れなきゃ意味がないんだよ。」

憂が呆れたような口調で言う。

「血の気が多いのはわかっていたが……仕事に支障が出るようじゃダメだろ。目の前の敵よりも先に、椿の命だ。」

清臣は真面目な様子で話を聞いているが、きちんと伝わっているかはわからない。

相変わらずの無表情である。

「結果として、今回は無事だったからいいものの……」

長々と続きそうな気配に椿は思わず口をはさむ。

「お兄、もういいよ。ありがとう。」

憂は怪訝そうな顔を一瞬して、小さくため息を吐いた。

「臣、二度とするな。」

兄の冷たい声と、清臣の返事の声の低さに椿は体に力が入るのを感じた。

椿が片足を踏み入れている、厳しい世界を垣間見た気がした。

「じゃあ、俺は戻るから。」

憂はいつもの優しい笑顔をつくる。

「お前も行くぞ。」

憂は清臣を見て言う。

清臣はきょとんとしたが、頷いて素直に憂についていった。

また説教だろうか、と椿は不安げな瞳で見ていたが、憂の瞳に怒りがないのを信じて、見送るしかなかった。


「なにかあった?」

ドアが閉じてすぐ、憂は聞いた。

「大丈夫です。」

「……答えになってないよ。」

眉を八の字にして笑う。

すっかり暗くなった空には星が、目下には街灯や家の明かりが点々と灯っている。

清臣は、はいともいいえとも答えなかった。

憂が歩き出すのに少し遅れて、清臣も歩き出す。

「あったんだな。」

清臣は、やっぱり否定も肯定もしない。

「仕事に支障が出るようなことじゃないならいいけど、面倒ごとは早めに片付けろよ。」

この人は、何事も深く追求してくることはなかった。

清臣にはそれが心地良いようで、どこかさみしい。

「それにしても驚いたな。椿が武闘派だとは思わなかった。」

さっきまでの暗い雰囲気を吹き飛ばすような明るい声。

さすが俺の妹だ、と憂は冗談めいて言う。

どんな動きをしたのかはわからないが、あの短時間で、かなり体格差のある男たちに白目をむかせるのはなかなかの強者だ。

本当に、なにも訓練されていない、つい最近家業のことを知った少女とは思えない。

椿のことを考えると、どうしてか気分が悪くなる。

苛立ちのような、哀しみのような、ねちっこくて、じめじめとした気分が体の奥から這い上がってくる。

「椿のことは俺が見ておくから、俺の仕事代わりにやっておいてよ。」

清臣はむっと不機嫌そうな顔を憂に向けた。

「部下に仕事押し付けて、サボりですか。」

「なんだよ、いいだろ別に。」

憂は怒りの表情でも、哀しみの表情をしていても、笑っている。

今も、笑いながら額に青筋を立てている。

「こっちは迷惑客の対応で疲れてんだよ。その間お前は、キラキラの青春を送ってたんだから、これくらい我慢しろよ。」

とはいえ、この人が本当に怒っているところは見たことがない。

「歌舞伎町もキラキラしてるじゃないですか。」

「屁理屈言ってないでさっさと行く!」

憂は不服そうな清臣の背中を押した。

同級生の前でも、憂の前でも、清臣はやっぱり表情豊かなのであった。

椿の前でだけ特別に不愛想であることを、椿は薄々気づき始めている。

「あんまり派手にやるなよ。」

押せば素直に遠ざかっていく背中に、憂は言った。

「ったく、生意気に育って。」

憂は小さな明かりだけが灯る廊下で小さくつぶやいた。


派手にやるな、という言葉と、その理由は幼いころから何度も聞かされてきたことだ。

そもそも派手にやる、というのは、映画のアクションシーンでよくある血しぶきが噴き出るような状況のことだが、実際人が死ぬときはもっと静かだ。

片付けが面倒くさいし、足がつきやすくなるから、汚さない殺人が基本だ。

血を一滴も残さないことが好ましい。

清臣もそういう殺し方を教わってきた。

基本、教えや命令に忠実だった清臣でも、これだけはどうしても守れなかった。

一息でとどめを刺せるところをそうしない。

片付けをするのは清臣ではないから、その苦労もわからない上、自分でも制御できなければ、理由もわからない。

人が苦しんでる姿に興奮するとかいうような、サディスト的思考も、サイコパス的思考もない。

人を殺すとき、清臣は単純な作業をこなすように淡々としている。

何度も、拳を振るい、ナイフを突き立て、何度も銃を向ける。

そんなだから、椿の護衛なんて仕事に回されたのだろうと思う。

死んでから、皮膚の表面はすぐに冷たくなる。

息絶えてすぐでも、生きた人間の温度とは全く違う。

冷たい皮膚に触れて、脈を確認して、死んだことを確認した。

処理班に連絡をして、すぐに静まり返った部屋を後にする。


殺した相手が、どんな人間だったかなんて知らない。

年齢も、立場も、家族がいるのかも、どんな生き方をしていたのかも。

知ってしまえば殺すのが怖くなるなんて、崇高な理由じゃない。

ただ、本当に興味がないだけだ。

清臣は遠い昔を思い出す。

初めて、人を殺したとき、息絶える瞬間の感覚に、恐怖しただろうか。

あのとき、何を思ったのか、まったく思い出せない。

人間らしくないようで、もっと昔の自分は、人間らしく誰かに甘えることができていた。

子供らしいわがままと、無邪気さを持っていた。

別にすべてがなくなったわけじゃない。

人間らしい複雑な感情は、心の奥でずっとめぐっている。

ただ、死に関する感情だけがその輪からすっぽりと抜け落ちてしまった。


疲れた。

短期間でも、夜はゆっくり休むという日課が体に染みついていたようだ。

清臣にしては珍しく、眠気も、だるさも感じる。

小さくあくびをした。

マンションのギャラリーを照らす、オレンジ色の外灯。

その下に、一つの人影があった。

清臣は目を凝らして、小さくため息を吐く。

「……何の用?」

白髪が混じるようになった髪を綺麗に巻いた女性の鋭い瞳は、清臣によく似ている。

「何の用って、この間言ったじゃない。」

とがった声。相手の気持ちを微塵も考えていない言葉。

これが、自分の母親だなんて。

「お金、貸してよ。」

こんなクソみたいな母親が世界のすべてだと思っていたあの頃の自分がバカみたいだ。

そして、結局こんな母親から逃れられない今の自分も。

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