じゅうわめ

「お、整形した椿じゃん。」

二限の後の休み時間、市野川が椿に声をかけた。

椿は明らかに不機嫌なオーラを出す。

名前で呼ぶことを許した覚えはない。

それだけが頭に来て、普段は無視するはずのところを、返してしまう。

「名前で呼ぶのやめてくれない。」

いつまでも小学生気分のままの市野川だ。

それが何かのスイッチを押したのか、気持ちの悪い笑みを浮かべ、止まらなくなる。

「椿、整形っていくらした?どんなメニュー?椿、無視すんなよ。俺結構真面目に悩んだんだからさあ。」

廊下だったから通りすがりの人が怪訝そうな顔で通っていく。

なんで被害者のこっちが、恥ずかしい思いしなきゃいけないんだ、と怒りは膨らむばかりだ。

早く教室に戻りたいが、通り道を塞がれてどうにもならない。

「椿、赤羽さんが呼んでる。」

不意に椿の名前を呼ぶ別の声。

また清臣だ。

「椿って呼んだら、こいつ怒るぜー。なあ、椿?」

椿は、市野川への怒りはすっかり忘れて、清臣の言動に驚くばかりだった。

この人、無愛想なくせに、やっぱり助けてくれる。

「お前ら付き合ってんの?」

椿は何も言えなかった。

代わりに清臣が珍しく笑いながら言った。

「違うよ。」

小馬鹿にしたような笑み。

「俺だけがいいんじゃなくてお前がダメなだけだから。」

椿以上のバカだから、言葉の意味を理解するのに時間がかかるらしい。

市野川が数秒フリーズしている間に、清臣がとどめを刺す。

「仲良いって思い込むの気持ち悪いからやめなよ。」

冷たい声で言い放つと、市野川を退けて、椿の手を引いた。

もしかしたら、この人は女子に対して抵抗とか、そういうものがないのかもしれない。

市野川は逃げるようにいなくなった。

どうせそうなるんだから、最初からやらなきゃいいのに。と、椿は少し思うが、それどころではない。

「ありがとう。」

少し強引に清臣の手をほどく。

清臣は女子に対して気にすることもないのかもしれないけど、椿はすごく気にする。

男子に触れられたことなんて、幼稚園以来なのだから。

さっきまでの冷笑は綺麗に消え去り、いつもの無表情に戻る。

もっと笑っていれば、もっと表情が豊かなら、もっとイケメンなのに、と椿は思う。

それから、余計なお世話か、とも。

「お嬢、怪我してますよね。」

え、と思わず声が漏れる。

すぐ、否定はできなかった。

外野に入ってボールを取ろうとした時、指を痛めてしまったのは事実だ。

「痛くないから大丈夫だよ。」

清臣は少し黙った。

「さっきから、右手の薬指だけ使ってないじゃないですか。」

正論に、今度こそ椿は何も返せなくなる。

「放置しておくとかなり痛くなりますよ。」

まだ納得の行かなそうな椿に清臣は続けて言う。

「保健室、ついて行くので。」

「ありがとう……でも、大丈夫。」

笑って誤魔化そうとするも、清臣に行手を阻まれてしまう。

「行こうとしないから、ついて行くんです。」

ちょうど、教室から唯華が出てきた。

助けを求めようと文言を考えているうちに清臣が先を越す。

「赤羽さん、椿、保健室に連れてくから。」

唯華は驚いたように椿と清臣の顔を交互に見ていたが、だんだんと笑みが浮かんでいく。

「サボり?」

違う、と椿はすぐに否定する。

「私は一応、真面目だよ。」

「そうね、真面目なだけね。」

これもまあ正論で、椿はむくれるしかできない。

「具合悪いの?」

唯華は一転、優しく聞く。

「体育のとき、怪我したっぽくて。」

「えー、大丈夫?」

「念のため?」

短く相槌を打つと、次の先生に言っておくね、と言い残し、唯華は教室に戻っていった。

そして椿は清臣の監視のもと、保健室へ向かった。

素直に一人で行くって言えばよかったと思う。

ついてきてもらうのは申し訳ない。

「サボりたかったの?」

清臣は少し椿を睨む。

「まさか。」

椿は一人、苦笑いした。

「……お嬢に怪我させたことは、俺の責任なので。」

思わず、清臣の顔を見た。だが、清臣は何も言わなかった。

改めて考えることなんてないけど、清臣は椿と同じ高校生だ。

椿より大人びているとしても、やはり高校生には耐えられないほどの重責だろう。

なにせ、人の命を預かっているのだから。

よくわからないけど、椿の勝手な想像だと、椿が死ぬようなことがあれば、自分も死ななければならない。

椿の命の危機には、自分の命を賭しても、椿を生かさなければならない。

他人の人生に自分の人生を預けなければならないのだ。

椿も、ただ、守られるだけじゃダメなんだろう。

守られる覚悟が、今の椿にはない。

いつのまにか強まった雨は、雫を渡り廊下のトタン屋根に激しく打ち付けている。

どうしようもない気持ちが椿の顔に影を落とす。

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