第21話
「真澄、……なぁ俺は嫌だ、真澄がこのままフェイドアウトしそうで……」
「どうして? しないよそんなの。お父さんとの契約だし」
本当はもっと稜といたいけれど、それを言ったら重たいだろう。真澄は春雨サラダの具材を調味料で和え、皿に盛り付けた。艶やかな春雨はいつもなら美味しそうに見えるけれど、今は食欲もない。
稜に、契約の前に友達だろ? と言われ、胸が痛む。
稜にとってやはり自分は友達で、大勢いる中の一人なのだと思い知らされた。そもそも特別になんてなれないのだ、彼には片想い中の人がいるのだから。それを知りながら稜のそばにいられるほど、真澄は図太くない。
「そうだね。……これからもよろしく」
「……全ッ然心がこもってない」
「あはは、ごめん……」
乾いた笑い声と共に謝ると、今度こそ稜の表情に怒りが表れた。そして思う。ああ、またこのパターンになってしまった、と。
でも今回は無自覚ではなく、わざとだ。真澄はこれ以上心に踏み込まれないよう、稜を締め出した。それに稜は気付いて怒っている。友達としてもこのまま終わってしまうのかな、と煮立ったフライパンに、水溶き片栗粉を加えて混ぜた。
「できたよ。食べて」
「真澄も」
怒った口調で食事に誘った稜は、ダイニングテーブルの上を片付け始める。どうしてその心理状態で、自分と一緒に食べようなどと誘うのか、真澄にはわからなかった。
仕方なく真澄は自分の分の食事もよそう。食欲がないので少なめにして、残りは保存容器に入れた。
「少し残してあるから食べてね」
「わかってる」
稜は見るからに怒っている様子なのに、真澄の言葉にはきちんと応えるのが、何だかおかしかった。そしてそんな状況なのに、稜がかわいいと思ってしまう自分も。
(気持ちは、止められないものなのかな)
だったら、せめて表に出さないように努めないと。稜の負担にならないように、彼が快適にすごせるように。
それからは、稜は無言だった。ただ、ずっと何かを言いたそうにしているのがヒシヒシと伝わってきて、申し訳なくなる。この関係を壊したくないから真澄はもう踏み込みたくないし、踏み込ませたくない。稜と自分の友人としての距離感は、違うのだと伝えなければ。
「真澄」
食事が終わり、片付けをしていると稜がまたカウンターまでやってきた。なに、と視線も寄越さずに答えると、稜は言い淀んで黙っている。それなのに視線は強く感じて、居心地が悪くなった。
稜は一体何が言いたいのだろう? これからも真澄は稜の家に来て働き、友人関係が終わる訳でもないのに。
真澄はくすりと笑う。
「珍しいね、稜が言い淀むなんて」
「……何でだよ……?」
感情を抑えたかのような稜の声は、震えていた。そこに、縋るような音を感じ取ってしまい、ドキリとする。
「なぁ、何で急によそよそしくなった? 俺や咲和が原因じゃないなら、……真澄の問題で悩んでるなら話してくれよ……っ」
カウンターの上で両手をギュッと握り、稜はその手を見つめていた。どこまでも真っ直ぐ真澄と向き合おうとしてくれる彼の姿勢に、自分の後ろ暗い気持ちがバレそうで、ますます隠したくなる。
「……稜はハッキリさせないと気が済まないかもしれないけど、僕はそうじゃない。稜の負担になりたくないんだ」
口角を上げ、眉を下げて笑って言うと、稜は弾かれたようにカウンターのこちら側に来た。そして真澄が皿を洗っているにも関わらず、腕を掴まれ稜の方へ向かされた。
「ちょっと、危ないし水出しっぱなしっ」
「俺は負担だなんて思ってない!」
初めて聞く稜の大声に、真澄は驚いて固まってしまう。掴まれた二の腕が痛くて身動ぎすると、逃がさないとでも言うように両腕を掴まれた。
「むしろもっと頼って欲しい! もっと仲良くなりたいと思ってるのに!」
言葉と共に身体を軽く揺さぶられ、真澄はその振動だけでなくフラついた。そして、真澄と稜の友達としての距離感が、本当に違うことを思い知らされる。
これ以上仲良くってなんだ? 四六時中一緒にいるってことか? そんなの煩わしいだけだし、重たい以外のなにものでもないじゃないか。
「これ以上仲良くってなに? 仮に僕の悩みを聞いても稜には解決できない。それなのに首を突っ込むって言うの?」
思わず喧嘩腰に言ってしまうと、稜は掴んでいた真澄の腕に爪を立てた。痛い、と声を上げた瞬間、力強く引かれる。
そして気が付いたら、稜の長い腕に抱きしめられていた。苦しいほど締めつけられ、真澄は何が起きたと呆然とする。掻き抱くように力を込める稜に、真澄も思わず同じように返したくなり、ダメだ、と抵抗した。
「やめろよ!」
稜の胸を濡れた手で押した。彼は離れたけれど、それでも腕を掴もうと手を伸ばしてくる。真澄はその手を叩き落とした。
すると彼の動きが止まる。驚いたように目を見開き、それから視線を落とした。まるで傷付いたような表情に、真澄の胸も痛む。
「……帰る」
「……っ、待って、真澄」
また伸びてきた稜の腕を避けてキッチンを出ると、バックパックを引っ掴んで玄関へと走る。そのままの勢いで靴を履き、外へと飛び出した。
稜は追いかけて来ない。いや、来られないだろう。暗くなりかけている時間帯だし、夜道は慣れていないはずだから。
「……っ」
急激に視界が滲む。
真澄だって、楽しかった頃の関係に戻りたかった。けれどそんなことをしたら、自分はどんどん稜に寄りかかり、依存してしまいそうで怖い。だから距離を取ろうとしたのに。
自宅に帰ると荷物を放り出して風呂場へ向かう。服を脱ぎ捨て、トイレも一緒の狭いバスルームで、真澄は火照った身体を冷やした。
――何なんだ、何で急にあんなこと……。
掴まれた腕と、稜と身体が密着した場所が熱を持ったように痺れて、頭から冷水を浴びて冷えるのを待つ。俯いて、落ちていく水と涙を見つめながら、真澄は声を抑えて泣いた。
◇◇
遠くで、騒がしい音楽がなっている。
真澄はまだ覚醒しない頭でその音源を探した。これはスマホのアラームの音だ。
目を開けると、瞼の重さに驚く。腕を伸ばしているはずなのに思うように動かないし、ついでに身体もものすごく怠い。
「あ、れ……?」
声が掠れて音が出なかった。やっとのことでアラームを止めると、何か飲み物をと動こうとする。
しかし、身体が動かない。
(うそ……)
昨日まで元気だったはず。仕事があるのに起き上がることすらできず、真澄は冷や汗をかいた。
どうやら風邪をひいてしまったらしい。
そう思ったら急に寒くなってきた。夏なのに、と掛け布団を手繰り寄せるけれど、それでは間に合わないほど寒い。
「れんらく、しなきゃ……」
動くこともできないのなら、仕事も無理だろう。お金は必要だけれど、こればかりはどうしようもない。
真澄は事務所に連絡すると、田口が出た。一人暮らしと聞いてるが大丈夫か、と心配されて、大丈夫だと答える。稜のところへも行けないことを伝えると、代わりの人を派遣してくれると言うので、安心して通話を切った。
「……う」
真澄は布団の上で丸まる。節々が痛いし怠くて、これは熱が高いのかもな、と思うけれど体温計はない。とにかく寒くて、小刻みに身体を揺らして節々の痛みをやり過ごそうとする。
やはり昨日、長い時間水を浴びていたのがいけなかったのか? と後悔するも、あのままだと確実に、熱を帯びた身体を慰める羽目になっただろう。それはどうしても嫌だった。
(稜……)
どうして彼は、あんなことをしたのだろう? そう考えようとするけれど、次第に思考がまとまらなくなっていく。
何度か夢うつつを漂い、次に覚醒した時は昼前だった。……時間が経つのが遅すぎる。
朝から何も口にしていなくて、飲み物くらいは口にしたいけれど、動く気力すら湧かない。こういう時、家に来て助けてくれる友人がいればな、と思った。心細くて涙が滲む。どうやら熱で涙腺が緩んでいるらしい。
「稜……」
稜だったら、確実に助けてくれそうだ。けれど目が見えない彼に、慣れないことはさせたくない。それ以前に、風邪がうつるかもしれないからやはり誰も来て欲しくはないな、と思う。
せめて身体が動くまで回復しないと、病院どころか水すら口にできない。そう思って目を閉じた。
すると、インターホンが鳴る。安いワンルームなのでカメラ付きなんて大層なものはなく、誰が来たかもわからない。
「真澄、俺だ。大丈夫か?」
玄関ドアの向こうから声がしてドキリとした。この声は稜の声だ。どうして、と思いながら床を這って玄関に行く。鍵を開けるとすぐにドアが開き、誰かが中に入ってきた。見るとやはりそこには稜がいて、彼は自分の家の住所も知らないのに、と呆然とする。
「ああ、しんどそうだな。立てるか?」
そう言って稜は身を屈め、真澄の腕を肩に回した。そこで違和感に気付く。
彼は真澄の顔を見てしんどそうだと言った。そして探ることなく真澄の腕を取って立たせた。目が見えない彼には難しい行動だ。
「……稜?」
「熱はどれくらい?」
「わからない……体温計なくて……」
じゃあ買ってくるから待ってろと言う稜は、家の鍵を貸してくれと辺りを見回した。
やはりおかしい。どうしてすぐに真澄のバックパックを見つけられるのか。そしてすんなりそれを開けて中を探り、鍵を見つけられるのか。
(そっか、これは夢だ)
自分が稜のことを考えていたから、夢に出たんだ、と思った。しかも夢の中の稜は目が見えていて、動けない真澄を看病してくれている。
良い夢だな、と思う。体調が悪くても、黙っているしかなかった真澄は、誰かに看病されるのは久しぶりだったから。
「稜、ありがとう……」
「いや……こういう時はお互い様だろ?」
鍵を持ってそばに来た稜は、迷うことなく真澄の頭を撫でた。胸がきゅっと締めつけられ、思わず稜の手を掴む。
「……早く帰ってきて」
「わかった。何かあったらすぐ連絡して?」
うん、と声を出さずに頷くと、稜は理解したのかもう一度頭を撫でて部屋を出ていく。やはり夢の中の稜は、目が見えているらしい。現実ではこうはいかないよな、と苦笑する。
閉まった玄関ドアを見つめていたら、なぜか視界が滲んだ。夢の中でも離れるのが寂しいなんて、自分が稜に依存している証拠だ、と涙を拭う。
「ここにいて、稜……!」
優しい彼に甘えたい。長い間埋められなかった心の穴を、稜が塞いでくれたら良いのに。
そう思って叫ぶと、急に現実に引き戻された。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます