第19話

 次の日、真澄は約束通り稜を迎えに行ってから、待ち合わせのファミレスに向かった。

 店内に入ると、よく通る声で稜を呼んでいる女性がいる。


「稜! こっち! こっちだってば! ……聞こえてんでしょっ? 返事しなさいよ!」


 待ち合わせの人は彼女か、とすぐにわかった。稜は嫌そうにため息をついて、「奴の席まで行ってくれ」と促す。真澄は本気で苦手なんだな、と苦笑し、席まで歩いた。

 すると次第に彼女の全身が、遮るものがなくなって見えてくる。真澄は少し戸惑った。店の椅子を退けて座っていた彼女は、車椅子だったからだ。そしてその一瞬で、どうやって稜と知り合ったのだろう、と思う。


「初めまして〜、坂野ばんの咲和さわです。あ、稜は私の隣に座らせて?」

「あ、はい」


 言われた通り、真澄は咲和の隣に稜を座らせた。稜は言葉少なだけれど、大人しく咲和の隣に座る。


「お話は稜から聞いてますよ〜高岩さん。咲和って呼んでください」

「え、ええ? ……稜、一体どんな話してるの?」

「……」


 真澄が話しかけるけれど、稜は無言だ。すると咲和が、「今日は私のお友達もいるので安心してくださいね」とほかの座席を指す。そちらを見ると、四人の男女――こちらは健常者らしい――がにこやかに手を振ってきた。


「稜とは障がい者コミュニティで知り合ったんです。あ、私小さいころの事故で下半身不随になったんですけど」


 さらりと言う咲和は笑っている。真澄は笑っていいのかわからず、引き攣った笑顔を見せるので精一杯だ。


「ちょっと稜、あんたも何か喋りなさいよ」

「……腐れ縁の咲和とは、早く縁が腐って切れないかと思ってる」

「ちょっとー! 何それ!」


 呆れたのか諦めたのか、稜がそんなことを言うと、咲和は彼の肩を叩いた。小さく声を上げた稜は、ため息をつくだけで反論しない。


「ちょっと稜、手出して」

「……何」


 彼女の話が出てきた時から何となく感じていたけれど、稜は咲和には逆らえないようだ、大人しく両手を出している。……力関係が明白だ。

 すると咲和は稜の両手に自分の手を重ね、指をタップしていった。


(指点字……)


 咲和が指点字を扱えることに驚いたけれど、じっと彼女の指点字を【聞いて】いた稜は、急にムスッとして唸る。そして稜は、同じように咲和の手に触れ、タップしていった。


「違う」

「えー、でも……でしょ?」


 咲和は笑いながら、肝心なところで指点字を打つ。二人が身体を寄せ合い、手を重ねる姿に真澄は、なぜかモヤッとしてしまった。


「ダメだ。絶対ダメ」


 そう言って、稜は両手を引っ込める。二人が何を話していたのかわからない真澄は、視線を落とした。

 指点字は盲ろう者のために開発されたもの。稜が会話をするのは真澄や咲和だけでなく、ほかの人とだってする。それは当たり前のことだ。その中には当然女性だっているし、……彼の好きな人だって――もし盲ろう者だったら、今のように会話をするのかもしれない。

 でも、どうしてこんなにモヤモヤするのだろう。真澄そっちのけで、会話を目の前でされたからかな、と運ばれてきた水を飲む。


「ちょっと、まだ話は途中っ」


 そう言って、咲和は稜の両手を掴み、机の上に置いた。そして再び指をタップしていくので、やはり真澄は置いてきぼりだ。


「あ、私も稜と同い年で、稜と同じく点字技能師を目指してるんです」


 それに気付いたのか咲和は、指点字を打ちながら話しかけてくる。しかも口の動きと手の動きは違うようで、そんな器用なことができるのか、と真澄は驚いた。


「点字技能師?」

「そう。稜のおかげで私も点字が面白くなっちゃって……」


 咲和は点字技能師の説明をしてくれるけれど、真澄は彼女の「稜のおかげで」というところに引っかかってしまい、頭に会話が入ってこない。しかも稜が、普段は見せないような表情をしていることにも、二人の仲の良さが垣間見えて複雑な気持ちになった。

 どうしてこんなにモヤモヤするのだろう?


「でね、真澄さん。あ、真澄さんって呼んで良い?」

「おい、お前は初対面なんだから高岩さん、だろ」


 手を引っ込めた稜は咲和の肩を軽く叩く。咲和からならともかく、稜からも躊躇いなく彼女に触れたことに、真澄は言いようのない嫌悪感を抱いた。

 ――どうして、二人が互いの身体に触れることがこんなに嫌なのだろう? 指点字はただの会話で、ボディタッチも友人の域を出ていないのに。


「……仲良いんだね」


 ぽつりと呟いた言葉は、自分でもびっくりするくらい棘があった。顔を上げると稜も咲和も驚いたような顔をしていたので、慌てて笑う。


「稜、あんなに否定してたのに、何だかんだ言って仲良いじゃん」


 僕なんかよりと。その言葉を飲み込んで、真澄は口の端を上げる。自分の中が黒く染まったような気がして、それを隠すためにますます真澄は笑顔を見せる。


「違う、コイツがいつもからかうから……!」

「大丈夫だよ。喧嘩するほど仲が良いって言うし」


 やめろ、と頭の中でもう一人の自分が止める。みっともない独占欲で嫉妬するのは、気に入ったおもちゃを取られた子供と一緒だ、と。


「咲和……やりすぎだぞ」

「ご、ごめん真澄さんっ。真澄さんがあまりにも綺麗でかっこいいから、彼女とか、好きな人いるのか稜から聞いてって……」


 咲和の方を睨む稜に、彼女は慌てたようだった。けれどこともあろうに、咲和は真澄の地雷を踏んでしまう。そしてそういう時こそ、真澄は笑みが止まらなくなるのだ。初対面で容姿の話をするなんて、咲和もほかの人と同じ、外見しか見ていない人なのだと。――この人は、心の内側に入れてはいけない人だ、と。


「あはは、こんな顔した男なんて、どこにでもいますよ」


 そう言って真澄はスマホの時計を見る。もうそろそろですねと言うと、二人は真澄の拒絶に気付いたようだった。


「咲和、もう向こうに行っとけ」

「わ、わかった……。ごめんね、真澄さん!」


 咲和は車椅子を器用に操作して、友達だというグループの席に行った。彼らは自然に咲和のために場所を空け、笑顔で迎え入れている。彼女は誰にでも愛想が良いんだな、と思いかけて、こんな風に思うのは性格悪い、と打ち消した。


「……ごめん、真澄」

「ううん」


 元々、稜の代わりに真澄を守るという話だったのだ、会いたがっていたという咲和にも会ったし、目的は果たしたのでこれきりの関係だろう。

 自分には稜がいれば十分。稜さえいれば……。そう思ってハッとする。


(待って……さっきの嫉妬といい、これじゃあ僕、重いって言われるじゃないか……)


 つい先日、重くならないようにしようと決めたのに、どうしてこうなった、と考える。けれど稜にまた話しかけられて、思考が止まった。


「真澄、……ホントに、アイツは好奇心だけで突っ走る癖があって……」

「わかってるから良いよ」


 それなのに稜が咲和をフォローするような発言に、イライラしてしまう。どうして彼女を庇うのか、と。彼も真澄の様子がおかしいことに気付いているのだろう、困ったような顔をしていた。

 すると席のそばに誰かがやってくる。見上げると約束の相手、内藤だった。


「内藤、くん?」


 おかしいな、と真澄は目をしばたかせる。確かに姿は内藤なのに、雰囲気が全然違って明るくなっている。


「よかった真澄に会えて。今日はサンキューな。……ここ良いか?」

「あ、うん……」


 真澄は席を空けると、内藤は隣に座った。すぐに終わるから、と彼は目の前の稜には目もくれず、体ごと真澄に向ける。


「まずは。……本当に悪いことをした。ごめん」


 その場で膝に拳を当て、頭を下げる内藤。それからボディバッグの中から茶封筒を取り出す。受け取ってくれと言われて素直に受け取り、中身を確認するとお札が入っていた。


「え、何これ……」

「何って、迷惑かけただろ、スーパーで」

「あ……」


 そういえば、あの時は自分が迷惑をかけたからと、スーパーに弁償したのだった。どうせ返ってこないものだと思ったし、どうして今ごろ? と内藤を見る。

 すると内藤はバツの悪そうな顔で視線を逸らした。


「その金貯めるの、苦労したんだよ。俺、バイトとかしたことなかったし」


 確かに、彼は仲間とつるんでいたり、女の子と遊んでいたりと、働いている様子は見られなかった。けれどどうして? と真澄は不思議に思っていると、まあそれは置いといて、と内藤は続ける。


「働いてみて、真澄は生活するためにこんな苦労してんだなって反省して……」


 ごめん、と彼はもう一度謝った。


「家で色々あって、真澄に当たってたんだ。ケリつけて、弁償代稼ぐまでは真澄に会えないと思って」


 だからか、と真澄は思う。稜と大学で会って以降、彼の姿が見えなかったのは、意図的に内藤が避けていたかららしい。


「それを渡したくて会いたかったんだ。……でも真澄」


 真澄は茶封筒を受け取ったまま、内藤の目を見つめる。こんなに真っ直ぐ目を見る人だっけ、と半ば思考停止しながら彼の話を聞いていた。


「俺が言うのもなんだけどよ、嫌なのに笑うなよ。すぐに謝るのもやめろ。こんな俺に付き合ってくれて嬉しかったのに、お前のそんな姿見てるとイライラした」

「……」


 真澄は驚いた。まさか内藤からも、稜と同じことを言われるとは思わなかったからだ。


「最初は仲良かっただろ? 少なくとも俺はそう思ってた。けど、真澄は全然心を開いてくれなくて……俺は好きなのにって」

「え……?」


 真澄が聞き返すのと同時に、稜の方から舌打ちが聞こえた気がした。けれど今はそちらを気にしている場合じゃない。


「真澄見てるとさ、ウチのババアと重なるんだよ……何言っても怒んねーの。親父にも黙って殴られてるし」


 でも、真澄からしたらそんなこと関係ないよな、とサラッと流した内藤。そこで、自分が内藤のことを知ろうともしなかったことを思い出した。

 彼は多く語らないけれど、結局は家庭環境が荒れている、似たもの同士だったのだ。お互いそれを何となく感じ取り、つるむようになった。


「という訳で、今度は自分自身にケリつけるために動いてる。本当は大学も辞めるつもりだったけど、ババアがそれだけはやめろって言うから……」

「そっか……」


 彼は今後どうするのか、詳しくは話さなかった。けれど内藤は、きちんと問題に向き合う覚悟をしたのだ。口は悪いけれど、彼は母親のことを心配しているのだろう。根は優しい人だったことを、真澄は思い出した。

 入学して間もないころ、教室がわからなくて戸惑っていると、ぶっきらぼうに声をかけてきた内藤。「ついてこいよ」と真澄を見もせず歩き出した彼を、追いかけたこと。真澄は茶封筒を握りしめ、彼の労働の対価を重く受け止めた。


「話は終わり。謝るから仲良くしてくれ、なんて言えねぇから、気が向いたら声かけてくれ」


 そう言って立ち上がった内藤は、あ、と思い出したように声を上げた。そしてやっと稜を見る。


「あんたにはきっかけをもらったからな。感謝しとく」


 そしてわざとらしく「そういえば目が見えないんだったな」と彼は笑う。真澄、笑ったら綺麗なのに見えなくて残念だ、と言い残して去って行った。


「え、ちょっと内藤くんっ」


 何その発言は、と聞こうとしたけれど、内藤は聞こえなかったのかわざとなのか、振り向かずに店を出ていく。


「……」


 何となく気まずい空気が流れる。内藤が稜にあんなことを言うとは思わなかった。まさかとは思うが、内藤の言う「好き」は恋愛感情ではないだろうと思いたい。だって――……。

 そう思いかけてハッとする。だって、何なのだろう? その先に、自分はどんな言葉を付け足そうとしたのか。

 すると咲和たちがやって来た。


「稜、終わったみたいだから私たち行くね。何もなくてよかった」

「ああ、サンキューな」

「真澄さん、さっきは本当にごめんね」

「良いよもう」


 咲和とは極力話したくない、と思ってつっけんどんに真澄は返すと、彼女は苦笑してまたね、と挨拶をして帰っていく。


「……僕らも帰ろっか」

「真澄、……あいつとまたやり直すのか?」


 稜にそう聞かれて、真澄は苦笑した。


「わからない。でもそれ、稜に関係ある?」


 そう言うと、彼はショックを受けたようだった。息を詰め、視線を落とす。

 真澄は微笑んだ。


「稜に咲和さんがいるように、僕も稜以外の人間関係があるんだよ」

「それは……そうだけど……」


 珍しく稜の歯切れが悪い。真澄はその理由を聞こうとしなかった。自分は咲和と付き合うくせに、どうして自分の交友関係に口を出してくるのか。お互い触れない人間関係があることを、稜が先に示してきたのに。


「……早く帰ろう。仕事しないと」


 真澄はそう言うと、稜はため息をついて立ち上がった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る