第2話 暗躍影法師★姫野千影

最悪な気分だ。昨夜は本当に酷い目にあった。まさかアタシの目の前で人が、それも大物政治家であるジジイが殺されてしまうとは。アタシの収入は一体どうなるというのだ。パパ活に使う為のブランド物の服は、化粧品は、——これからの我々の活動による資金は。




目を覚ましたのは午前7時、アタシこと姫野千影(ひめのちかげ)は自宅の布団から上体を起こすと早々に、昨夜の出来事を思い出す。黒装束に身を包んでいた暗殺者は体格からして女だ。加えて声や口調からしてアタシと同じくらいの年代、JKの可能性が高い。女は確実に殺しを生業としている、それぐらい手際も良かったし対応力もずば抜けていた。果たしてあの場でアタシが動いていたら、どちらが勝ったか。アタシが静観していたのには理由があった。先ず顔が割れてしまっていた事、十分な装備を用意していなかった事。ついでに言えばジジイを守ったところで臨時の収入が期待できなかった事もあるのだが。

まあ何にせよ女の特定は出来なくとも噂には聞いていたからなんて事はない。正体不明の暗殺者が活動している、事実の確認が出来ただけ良かったとしよう。ジジイからの収入源は失ってしまったが、また別のターゲットを見つければいいだけの事。あのヤレもしない老体なのにJKの裸を鑑賞したがる変態に付き合わなくて済む、という点では清々しさすら感じている。


「はー、だる……。サボろっかな」


アタシは体調不良と嘘の電話を学校に入れ、いつものギャルメイクとは真逆の地味な格好をして出かける準備をするのであった。




金髪ロングだが一つに束ねただけの髪型で、メイクは最低限。ラフな格好はTシャツにパーカーを羽織っただけのもの。これが本来のアタシのスタイルであり、学校ではそれなりのキャラを演じる為だけにわざわざ派手な格好をしていた。そうする事でプライベートでは友達や知り合いにバレにくいからである。そう、その方が都合がいいのだ。パパ活ではなくて、我々「組織」のメンバーとの接点も作りやすくなるのだから。


「——千影、こっちだ」


早速コンタクトを取って来た人物はアタシを追い越す形で前を出て歩き、そのまま大通りから路地裏へと誘導する。アタシはそれに従い、その連絡役のスーツ姿をした男へと着いて行く。


「昨夜は散々な目に遭ったようだな。こちらとしても想定外だった、まさか我々の戦闘員をああも容易く制圧してしまうとは」


人気のない路地裏に入り、振り返り様に連絡役はそう言ってきた。アタシは大して気にしていない素振りで言葉を返す。


「戦闘員、ね。SP風のちょっと鍛えてあげただけのオッサンたちだけどね」


大物政治家の家に配備していたのは、我々の組織に所属する者たちだった。ジジイはそれなりの悪さをしていた為、常に警戒を怠らないよううちに依頼してきていたのだ。アタシは護衛ではなくパパ活相手でしかなかったが、それでも組織にとっては大きな誤算であった。


「とにかく、情報が入り次第報告する。それまでは待機だ、いいな千影」


「はいはい。アタシはボスの言う事には逆らわないよ、そう伝えといて」


「ああ、それが懸命だな。我々『影法師』は、世界の秩序だ。忘れるなよ」


そう言って男は路地裏を逆側へと抜けて行った。アタシは来た道を戻りながら、頭を働かせる。

アタシが得たJKという情報は、組織には伝えていない。ずっと考えていた、何処かで聞いた事があるような声だったと。だが誰かまではどうしても思い出せなかった。まあ特定はさておき、組織にこの事を伏せたのは暗殺者の女を殺させない為であった。何故なら組織は歯向かう者に容赦はしない、割り出され次第確実に消されるだろう。でもアタシはあそこまでの逸材を簡単に切り捨てるのには惜しいと思っていた。組織に勧誘してしまえばいい、そういう意味合いでだ。


「まあ暫くは様子見かな。待機命令が出ちゃった訳だし」


アタシはそう呟いて一人街を彷徨うのであった。




姫野千影は孤児だった。そして物心ついた時には既に影法師と言う名の組織で訓練を積んでいた。どうやら才能があったらしく、暗殺の依頼、護衛の依頼、その他諜報活動などを毎日のようにこなしていく。影法師とは世界各国で暗躍する組織であり、目的は「秩序」を守る事にある。例えば国のトップを狙う者を事前に始末したり、大きな事では戦争の指導者もその対象となる。だが決して表舞台には姿を晒さないのが鉄則であり、あくまでも裏から世界の調和を担うのだ。


「……あー、明日からは学校にも行かなきゃな—。単位落としたらボスにも怒られるしなー」


影法師のボスはアタシにとって、親代わりでもある。両親の存在すら知らないアタシを育ててくれた、立派なお父さんだ。口数は少なくコミュニケーションも極端に最低限だが、尊敬はしている。ボスはこの世界を牛耳る為ではなく、みんなが不幸にならないように活動しているのだから。例え娘代わりのようなアタシに殺しをさせているのだとしても、ボスの役に立てれば何だってよかった。恩を返したかった、それだけだ。だから組織に属している事はアタシのアイデンティティーであり、最早生きる目的なのだ。


「だるいけど仕方ないかー。いろいろめんどくさい……」


学業自体はなんて事ないのだが、他人との関りや自分のキャラ作りが度々苦痛になるのである。任務さえこなしていれば良くない?

そう思いながらアタシは六畳一間の自宅の布団から立ち上がり、夕食作りに取り掛かる。気づけば今日はまだ何も口にしていなかった。冷蔵庫の中を確認して、残っていた豆腐を小皿に乗せ、醤油を垂らしかける。そこにマヨネーズをたっぷり絞り出して鰹節を乗せれば、夕飯の完成。それを片手で持って、もう片方の手には更に追い用にマヨネーズを持った。小さな丸テーブルにそれらを置いて、ろくにカーペットもしいていない床に座り、食事を始める。


「はぁ~、うっま!マヨ最強だって!」


一人で唸りながらマヨネーズを更に絞り出す。それを夢中でどんどん口に運んでいく。

「これはマヨを味わう為の豆腐であって、即ち豆腐とは薬味の延長線上であり、マヨこそが本体である。by姫野千影」

ああ、いい名言が出来てしまった。これはかなり共感が得られるのではないか?そうは思いながらもついつい箸が止まらなくなり、そして食べ終えた頃には持ってきていたマヨの本体も空になっていた。まあストックは常に十本程置いといてあるから問題はないのだけれど。


「さて、明日は彩と香苗と放課後にカラオケに行くんだっけ。今流行りの歌は、っと」


大して興味もない楽曲をスマホで調べながら、アタシは明日の予定に備えるのであった——。




学校とは何の為に存在するのか。勉強など大して意味もない上に、友達付き合いも所詮その場凌ぎのもの。社会性なんて特にアタシには意味を成さない、社会の裏で活動しているのだから。そう思うと何故ボスは学校に行けと言ったのだろうか。アタシには理由が思いつかなかった。


「千影~!カラオケ行くよー!」


そう言ってこちらに来たのは同じクラスの彩と香苗。二人ともギャルでカースト上位であった為に、新学期初日から接点を作った。まさか誰もこんな派手な今時JKが裏で人を殺しているなどとは思わないだろう、隠れ蓑にするには最適なポジションである。アタシは終業のチャイムと共に鞄を持って席から立ち上がり、二人の方へと向かおうとする。けれど後ろの席の奴に声を掛けられたのでアタシは一瞬立ち止まった。


「……姫野さん、昨日は、その、大丈夫でした?」


「はぁ……?何が」


「いや、何て言うか……、体調不良って聞いたので」


コイツはクラスでも地味な友達もいないカースト最下位の女、夢咲花。わざわざ前髪で顔を隠しているような雰囲気最悪の根暗だ。そう言えば一昨日も掃除当番を断りやがったっけ?まあそんな事はどうでもいいのだが、アタシは何故かこの女が嫌いであった。理由も分からないなんて珍しい事ではあるし、他人に対して何らかの感情を抱く事自体殆どないのだが、この女だけはそうもいられない。何がアタシをここまで思わせるのか。


「あんたに心配されるとか、キモっ」


「……すいません」


そう言って夢咲は帰って行った。何だったんだ、アイツは。そもそもアイツから話し掛けて来るのは初めての事だった。急に心配し始めるとか意味が分からない。ていうか昨日アタシに掃除当番を押し付けられておいて、心配って。心の中ではザマァみたいに思っていたのだろうか。

……ん?待てよ。これまで体調不良と嘘をついてサボった事は何度もあった。なのに今回に限って気遣ってくるなんて、タイミングが良すぎないだろうか。いやいや待て待て、アタシは何を考えている。あんな根暗が凄腕の暗殺者?笑わせるな。


「おーい千影―!いっくぞ~!」


「あ、はいはーい!」


アタシはその考えを切り捨ててカラオケへと向かうのであった。




帰宅後。なんやかんやで今日一日を終え、就寝しようと布団に入ってすぐに連絡は来た。緊急の任務が発生した時のメッセージ音だ。専用の秘匿回線ツールでやり取りをする為、従来の通知アプリは使用されない。だから音だけでそれが判断できる訳だ。


「どれどれ、『総理大臣、誘拐計画の可能性あり。信憑性が高い為、速やかにターゲットを見つけ排除せよ』か」


日本も物騒になってきたものだ。今や銃などは個人でも簡単に作れてしまうし、それが団体の手に渡れば殲滅するのも一苦労である。今回はどうやら犯罪グループの関与が濃厚であり、目的が誘拐なのであれば身代金が目当てと言った所か。アタシは早速クローゼットにしまってある黒のライダースーツを身に纏い、髪を結って黒の仮面を装着した。実行部隊は皆、任務を遂行する際には基本この格好なのだ。姿をなるべく晒さないように全て黒で統一している。クローゼットの床下には更に武器も隠してあり、それらを一通り装備する。そうしてアタシは目的地へと移動をするのだ、愛車である黒のビッグスクーターで。ブオォン!とエンジン音を鳴らしてアタシは深夜の街を走り出した。


総理官邸前。到着して早々だだっ広い庭園にて数名の不審者を発見した私は、一度闇に紛れる様に姿を消して様子を見る。人数は十二名、全て男性。だが何人か未成年も混じっている、明らかに高校生が三人程見て取れた。まったく、世も末だ。あんなガキどもを使ってまで大金が欲しいか、腐った大人連中め。て、アタシも大概ガキではあるが。

やがてその犯行グループが手にそれぞれ拳銃を持ち出し、一斉に突っ込んでいく。警備していた警察官が慌ててそれに対応するも、先に発砲されてしまい二人が絶命した。だがここで非常ベルが鳴る。発砲音も大きく響いたのだ、流石に誰かが気づく。だが犯行グループはそれも想定内だったらしく、三手に別れて侵攻を始めた。なるほど、二重で囮を放つ訳か。一組目が銃で大きなガラス窓を破壊し、中の警察官とやり合う。そのまま二組目が先導し総理一家の非難している部屋まで突き進み、そのまま銃撃戦。そして三組目が部屋へと侵入し、総理一家を拉致する、筈だった。


「な、いない!?おい、部屋を間違えたんじゃないだろうな!?」


「いや、計画書通りのルートを辿ったぞ!」


「じゃあなんで誰もいないんだよ!?」


「——いるよ。ま、アタシは身内じゃないけどね」


全てはこちらの手のひらの上。影法師は事前に総理一家を別宅へと非難させていた。ここは避難用の部屋であり、いるのはコイツらとアタシだけ。


「なんだお前は!?総理はどこだ!?」


「総理?あはは!今頃、静岡の別宅辺りにでもいるんじゃない?」


「くそっ!!おい、せめてコイツだけでも殺せ!!」


そう言って響かせる発砲音。銃弾が計三発こちらへと発射されたのを確認し、アタシはすぐさまダイヤモンド仕込みの特注ナイフを二本取り出して、器用に全ての弾道をずらした。バスッバスッ!!と頑丈に設計されたアタシの背後の壁に三発の弾丸が埋まる。


「……え?今アイツ、何したんだ!?」


「おいまさか……、弾の軌道を変えたのか!?どんな反応速度してんだよ!?」


失礼だな、化け物を見る様な目をしやがって。アタシはそのままリモコンのスイッチを押して点いていた照明を落とす。暗転する空間で、相手方三人は一瞬動きを止めた。それが命取りとも知らずに。


「や、やべー!!お前ら一旦——」


「え?おい、どうし——」


「うわあああ!!やめ——」


相次ぐ悲鳴は最後まで発せられずに途切れた。そして照明を再度点灯させると、床には三人の男の死体が転がっていた。全て正確に心臓を貫いたのだ、死なない訳がない。アタシは返り血を一切浴びる事なく任務を遂行した。と思っていたのだが、どうやら外の残った連中がまだ騒いでいたようだ。これは警察は全滅したかな。仕方ない、アタシは任務内容にはなかったが警察の後始末をしに行くのであった——。




学校は本当に退屈だ、アタシのような闇で生きる者にとっては余計にそれを強く感じる。けれど今日は何だか気分がいい。昨夜の任務の報酬が思ったより良かったせいもあるだろう、でもそんな事ではない。昨夜任務後に受けた影法師からの報告によると、またあの女暗殺者が現れ、大臣宅の護衛を一人で殺したらしい。竜胆家の当主、竜胆総一郎と言えば影法師の中では超有名人だった。奴はたった一人で暗殺家業である竜胆家を乗っ取り、その上でうちのボスとも一戦交えている強者。そんな大物を仕留めた女は余程の強さを持っている。アタシの闘争本能がもうずっと興奮状態だ。


「……いつかきっと、必ず」


「……姫野さん、涎が出てますよ」


後ろの席の根暗がそう言ってきたので、慌てて口元を拭う。おのれ夢咲、アタシの高揚感を台無しにしやがって——。

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