一人で最終バスに乗って足摺岬に行った話です。
@MIDUKATSU
岬の夜
最寄駅、13時15分発の列車に乗る。そこから3本の列車を乗り継ぎ、19時15分発のバスに乗った。
バスの車内は出発時、10人ほどいたが、今は一人である。太陽が出ている時間であれば車窓から田舎の風景や海が望めるが、夜は蛍光灯が反射してよく見えない。
「ピンポン。次は足摺岬、足摺岬でございます」
俺はボタンを押して降りる準備をした。
「ありがとうございました!」
そう言って運賃箱にお金を入れると、運転手が話しかけてきた。
「この時間に観光ですか?」
「えっ。いや、ホテルに行きたくて……」
俺は咄嗟に嘘をついた。この辺りはホテルや旅館が多いはずだ。
「ホテルでしたらこの先のバス停ですよ」
運転手はぶっきらぼうに言い、続けた。
「肝試しですか?こんな寒い日は辞めておいた方が良いですよ」
今日は2月1日。午前中は雪が降るかもしれないと言われていた。
俺はスマホを取り出し、運転手に見えないように地図を見た。
「実はホテル足摺園に行きたくて……」
「それでしたら次のバス停ですよ」
俺は大人しく近くの席に着き、運転手はドアを閉め発車させた。
「お客さん。この辺りは不名誉ながら自殺の名所の一つなんです。だからそういうことは止めてくださいよ」
「いやいや、そんなつもりないですよー。ただホテルに行きたくて」
俺は少し慌てた。そして声が震えていた。
次のバス停はすぐに着いた。俺は黙ってバスから降りた。
スマホの地図を見て、ホテルに向かう振りをしながら、バスを見送った。
コートに薄いズボン。持ち物は財布とスマホだけ。財布の中の身分証は全て置いてきた。こんな俺がどこに向かっているのかなんて、想像に容易い。
寒空の下、地図を見ながらさっきバスで通った道を辿った。時刻はもう21時半。車通りは少なく、あまり人目に触れることなく目的地に近づいている。
中村までは行ったことがあるが、ここまで来たことはなかった。旅行好きとしても来てみたかった。
俺は1、2時間かけて周辺を散策した。
亀石。営業時間外のレストラン。夜の金剛福寺。中浜万次郎の像。椿の道。
そして、スマホのライトを頼りに遊歩道を歩いた。非常に良く整備されている。
階段を登ると展望台に着いた。
見事な眺めだ。崖に聳え立つ灯台の光が、海を照らしている。さっきまで曇っていた空は晴れ、風は落ち着き、星がたくさん見える。6等星も見えるのではないか。この足摺展望台はパラボラアンテナのようだった。
俺は寒さを忘れ、ここに1時間くらい座っていた。日中に来ていたら、この景色は独り占めできない。それに夜は幻想的だ。これの一部になれるなら悪くない。
激しい波音が心地よく聞こえて、これからしようとすることに、穏やかな気持ちになれた。
俺は立ち上がり、下を見回した。どこを切り取っても断崖絶壁だ。その中で一番高さがありそうな場所を探した。そして歩いてきた遊歩道を少し戻り、その場所へ向かった。冷えた膝が痛いが、あまり気にならなかった。
途中の地獄の穴には、財布の小銭を全て入れてきた。爪書き石には落ちていた石で、隅っこに小さな傷をつけた。
そうして灯台に着いた。スマホのライトで照らした灯台は、白く反射した。
灯台の近くの木々に近づく。この隙間から星と海が見える。俺はそこに分け入り、少し降りると、崖に来た。写真で見るよりも、想像していたよりも高さがある。
海の湿った風が俺の方へ強く吹く。顔は潮と冷たさで痛い。俺はここからしばらく動けなかった。
深呼吸をし、自分の人生を振り返ることにした。
俺は幼い頃から夢があった。それは車掌になることだ。母子家庭ながら私立の鉄道学校に通わせてもらい、高卒で鉄道会社に入社した。そして2年半駅係員をして最近、車掌になった。
自分一人の力だけでは叶えられなかった。自分に関わってくれた多くの人に感謝している。
でも車掌の仕事は思っていたのと違った。
俺は駅係員時代、勉強熱心であったと思う。車掌になるためには切符の知識、鉄道の交通ルール、接客スキルなど、多くのことを知っておかないといけない。車掌は仕事中、駅係員と違い、分からないことは基本的に周りに聞くことができない。自分一人の力量が試される。そのため自己研磨していた。その結果、車掌研修の筆記試験で高得点を記録し、最優秀賞を得た。
車掌研修は座学と実習がある。座学では前述の通り、俺は頑張っていたと思う。しかし実習はそうではなかった。
実際に乗務してみると、必死に覚えてきた知識はそんなに必要じゃなかった。むしろ、それまで習ってきたことと違うことも学んだ。俺の2年半は何だったんだろう。
実習の試験で俺は、自分が納得できないミスをいくつもした。緊張していたのもあるが、その頃には仕事に身が入っていなかった。
それでも一発合格した。俺はこれにショックだった。車掌になるためにはもっと努力が必要だと思っていた。しかし、だらけている自分がなれてしまったのだ。
車掌として独り立ちできたが、全くモチベーションが上がらないまま仕事を続けてきた。もともと意欲があったのに。夢を叶えたのにこの体たらくだ。
俺は自分自身が嫌いになった。本当に身勝手な話だ。色々な人に夢を応援してもらい、叶えたのにそれが嫌だなんて。俺にはもう存在する価値がない。
この精神的辛さ、重荷を降ろしたい。
そのためにここに来たのだ。
波の音がより激しくなった。風ももっと強くなった。灯台の光で波しぶきが見える。
寒い。
でも行かなくちゃ。
俺は薄目で海を見ながら、足を前へ動かそうとする。
海には白い装束を着た人が5、6人浮いている。これがバスの運転手が言っていたことか。きっと俺もその一人になる。
彼らは宙に浮き、ゆっくりと俺に近づいてくる。それはまるでクラゲが海面に上がってくるかのようだ。
そのスピードはどんどん上がってゆく。
米粒ほどの大きさに見えていたのにもう手のひらサイズだ。
もう目の前。
ぶつかる。
すると彼らはピタリと止まり、目の前で横並びになった。蘇りの石を使ったみたいだった。しかし彼らの顔は暗くて見えない。
3秒ほど経つと、彼らは俺の正面で一つに重なった。
すると風は止み、波の音は聞こえなくなり、星空だけが見えた。そして白い装束は、俺を両手で強く押し飛ばした。
「うわっ!」
気付けば俺は灯台に寄りかかっていた。
風が優しく吹いて、穏やかな波の音が聞こえる。あまり冬を感じないくらい心地良い。
もしかして、ここで寝ていたのだろうか。
空は変わらずに星たちが輝いている。しかし灯台の光はなぜか消えていた。
小学生3〜4年生の頃、俺は星座にハマっていた。夜、家の前で課題の縄跳びをしながら星を観て、自分も星座になれたらなぁと思っていた。各星座のストーリーが面白かった。
星たちは何年も前に生まれた光を届けている。一番明るい星、おおいぬ座のシリウスは8年前の光。オリオン座のペテルギウスは5、600年前くらいだっけ。
そういえばマッキーの歌に「キボウノヒカリ」というのがある。
『きっと本当の闇なんてこの世界のどこにもない あるならきつく目を閉じてる僕らの中にだけだ』
そうかもしれない。
俺が感じている精神的重荷は、自ら背負っているのかもしれない。自分が嫌いなのは、自分で自分を嫌おうと思っているからであって、好きになることもできるのかも。
俺はそんなふうに、自分できつく目を閉じているのかも。
まだ死ぬのは早いかも。
さっき俺を飛ばした人たちは、これに気付かせようとしてくれたのだろう。
俺は立ち上がり、空を見回した。この光たちは、いま住んでいる街では見えない。でも毎晩この空から照らしていたんだ。
俺には新しい夢ができた。彼らのように人を救うこと。希望を照らすことだ。
自分の輝きが誰かに届くまで、時間はかかるだろう。それがいつになるか分からない。でも今から始めてみよう。もしダメならまたここに来ればいいや。
俺は岬を後にした。灯台は何もなかったかのように海を照らした。
一人で最終バスに乗って足摺岬に行った話です。 @MIDUKATSU
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★0 エッセイ・ノンフィクション 連載中 2話
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