五
城攻めから五日経ったが、島津本隊は全く動きが無い。
戦を国衆に任せ、日中から宴を開いてこちらを罵っている。だが、時を稼ぐことに重きをおいている紹運にとって好都合。島津とて後の戦のことを考えるとここで時間をかけたくないはずだ。
こちらが城の外に出ると思っているのか。裏があるのか。
紹運は小さく唸り、上座で目を瞑っている。
物見から水源は水門に火を放たれ、土よって埋められたため、使いものにならなくなったと聞いた。敵が動かないと思っていたが、宴を開き続けたのは今なら理解出来る。
(敵の策にかかり、本来の目的に気付かぬとは、疑念をままに伝え、探らせるべきであった……)
失策を後悔するのは良くないが、兵たちのことを思うと防ぎたかった。
「殿、敵の挑発は日を追うごとに増しており、兵の中には打って出ると申す者もおりまする」
「ならぬと伝えよ。吉田、水はあとどれほどだ?」
「三日、もたせれば五日かと}
「何とかもたせるのだ」
「されど、それでは兵たちの士気が下がる一方では」
「雨の降る気配もない。後で私が兵たちの様子を見ながら詫びを言う」
強い日差しが入り込む評定の間からでも酷暑の収まる気配がないことが分かる。
「紹心。砦の様子はどうだ?」
「未だに士気は旺盛にて島津も軽率な攻めは致さぬでしょう。されど、兵たちの体はもはやもたぬかと」
「負傷しておる者の中でも動ける者は戦に出なければならぬ故、致し方あるまいか……休める時を見逃してはならぬ。島津の動きにはそなたら将が目を離すな」
「殿。恐れながら兵の中に敵に投降したいと思う者がおりまする」
三原の言葉に皆がざわめくが、紹運が睨みをきかせるとすぐに静まり返る。
「その者は如何にしておる?」
「負傷しておる故、奥にて休んでおりますれば、討つことも容易いかと」
「お主らしくもない。今味方を斬れば士気に関わる。愚かなことを申すな」
「かつて劉邦の配下が項羽に囲まれし折、投降を勧めた将を殺して士気を上げ、敗れしも劉邦の撤退を成功させたことがございましょう。それに習う時かと」
「三原。それは投降を勧めたのが名の通った将故だ。こたびはただの一兵卒の言。気にしておればきりが無い。他の者は聞いておらぬのだろう?」
「はい。されど、弱気な者が一人でもおれば他の者は如何に思うか」
「よい。手負い故の言であろう」
それ以上は受け付けないと紹運は手で制する。三原は不満を態度には出さないものの、眉根が若干寄っている。
兵にも家族がいる。そのため今回のように紹運の下に応じて城に入ってくれた者たちも本心では死にたくないと思っているはずだ。
弱音を吐いた者も敵の攻撃を受けて恐怖感が高まり、思わず言ってしまったのだろう。
幸いにも勝ち目が無いと分かれば逃げ出す兵もいるのに誰一人とて逃亡による兵の損失は無い。まだ士気は高いままであり、紹運のことを慕ってくれているようだが、今はそれよりも大切なことがある。
「兵のことはもうよい。今宵、皆を集めたのは敵への迎撃を如何すべきかを聞くためだ」
既に外には月が綺麗に輝いており、時折吹く風が蝋燭の火を揺らしている。夕暮れ時からしばらく島津の陣中を櫓から見ていたが、篝火の数と位置は変わらない。
「ここはいっそのこと夜襲をかけ、意地を見せるべきでは?」
「私も考えた。だが、敵もそれは見越している。それに、この数では一矢報いることも出来まい」
頭を振って屋山の言を静かに退けるとまた部屋の雰囲気を重苦しくなる。進むも戻るも駄目な死ぬまでの時を延ばす戦の恐ろしさが確実に将たちの戦意を貪っていく。
ここにいる将は皆、傷付くことを恐れない歴戦の精鋭だ。それ故に戦で死ぬことの誉れを知ると共に恐ろしさを知っている。これからは兵の士気を落とさないように努めなければならない。
「屋山、兵たちを交代で集めよ。皆の名を連ね、家族の暮らしを支えるよう宗茂に伝え、証を刻まん」
「御意。殿、それを如何ように宗茂様にお伝え致す?」
「案ずるな。既に手は打ってある。他の者も兵にこのことを伝えい。もし筆の立たぬ者がおれば代わりの者を使うても良い」
「分かり申した」
「萩尾、他に島津の動きが変わっておることはないか?」
厳つい顔立ちをした萩尾大学は城から戦況を見守り、時には味方を援護する櫓の守備を任されている。
「相も変わらず国衆に戦を任せており、本隊が動く様子はありませぬ」
「何としても本隊を動かさねば夜襲など出来まい。奴らを戦場に出すまでは籠城を続ける他ないか」
何も意見が出てこないため、軍議を終わらせた。
三原や福田はこちらを何か言いたげな目で見てきたが、見ていないふりをしてごまかした。
「と、いうわけだ」
廊下に出て、きちんと誰もいなくなったのを確認してから口を開く。
「人使いが荒いね」
広間に隣にある庭の木の陰から声が聞こえてきた。明らかに嫌そうな目をしている。簡単に敵の警戒網を突破してくれと言ってくる紹運への不満がよく伝わってくる。
「とはいえ、島津に託す訳にもいかないか」
「頼む」
溜め息が庭中に響く。とても草として生きる者が出すようなものではない。だが、仕方ないと諦めたのか陰から手が出てきた。
「まだ書き上がっておらぬ」
「了解したって言いたいだけだ」
島津の使者が再び訪ねてきたのは翌日だった。使者の顔は痣と右目に巻かれた包帯でよく分からない。痣もおそらく戦で出来たのだろう。青くなっていて見るのも憚られる。
「かようなお見苦しい姿で申し訳ございませぬ」
「構わぬ」
家臣たちは腫物を見るような目を使者に向けている。だが、紹運からすれば見慣れたものだ。彼を追い返すのは、身近にいる者を否定することにもつながる。
「使者殿、此度もまた、降伏の勧めか?」
「御意」
黙ったまま紹運は上座から使者の顔を見つめる。頭を下げているため、見にくい。しばらく沈黙が続いた後、紹運は姿勢を戻して口を開く。
「私の部屋に来て頂こう」
家臣たちがどよめく。使者も顔を上げて驚きの表情を露わにしている。その中で落ち着いた素振りで立ち上がると紹運は笑みを浮かべて使者を促す。
背後から刺されるのではないかと心配する家臣たちを振り切って紹運は自ら普段使っている小さな部屋へと使者を案内する。そもそも広間に通される前に使いの者がきちっと確認をしている。それでもその目をかいくぐって暗器を持ち込む手練れもいるが、紹運はとても彼がそのような輩に思えなかった。
あれだけはっきりとした口調で物事を言うのは表で生きてきた人だからこそ。案の定、紹運がいつも使っている小部屋に着くまで使者は背後から襲う気配など全く無かった。
「入るが良い」
襖を開き、使者を促す。素直に応じると彼は慎重に部屋に入る。おそらく刺客がいないか確かめているのだろう。目を移す度に顔が若干動いている。
「そう警戒するでない」
すれ違いながら声をかける訝しげながらも腰を降ろしてくれた。改めて使者を見ると、貧相な食事しか食べることのできない雑兵の体格ではない。時に豪勢なものを食し、顔つきもきちっと己を磨いている者が故に見せることができるものだ。上手く騙せるとでも思っていたのだろう。しかし、それは紹運にとって見え透いた道化のようなものにしか過ぎない。とはいえそれをわざわざはっきりと口にするほど紹運も愚かではない。
「さぁ、ここには私とお主以外誰もおらぬ」
口元を緩めて緊張感を解こうとするが、全く使者には伝わっていないようだ。
「何故にかような場に某を?」
「島津の総大将が皆の前では色々と話しづらいだろう」
沈黙が落ち、長く続くように感じられる。
使者は出された水に手を出そうとしない。紹運が酒を出そうとした配下に指示をして水にしたのだが、まだ水に困っていないと見せるためだ。
使者は何度か指で何度か太腿を叩く。
紹運も答えを急かすことはない。
のんびりと水を飲みながら待つ。
蝉のうるさい声が部屋に響く。
もしかすると聞こえていなかったのだろうかと思ったが、あり得ないだろうともう一度水に手を伸ばす。
「某は島津の使者である。つまりは、図書助様の代わり。それは某が図書助様と同等の権限を有していることで、よろしいか?」
杯を取った手を元に戻す。曲解にも程があり、冗談にしても笑えない。自ら正体を明かすような行為にしかならない。紹運もそこまで興には長けていないが、すっかり心が冷めてしまった。
「ならば、お主に申すことは何も無い。使者としての役目ご苦労」
冷めた口調で切り上げると紹運は立ち上がって使者に背を向ける。
「お待ち下され!」
上段にあった襖へと手をかけた途端に声がかけられた。振り向くと使者はずっと下げていた顔を上げている。不敬だが、使者はそのようなこと気にせず口を開いた。
「何故にかようなまでに岩屋を守る!? そなたの忠誠は天にも轟く程のもの。ならば生きて大友に尽くすべきであろう!」
「その忠誠故よ」
紹運は襖を勢い良く開けた。壁とぶつかる大きな音で家臣なら皆怯み、追ってこないだろう。しかし、相手は島津の特別な使者である。使者は紹運の下にまで駆け寄り、袖を掴んでくる。
無礼者と手打ちにすることもできたが、これまで使者をもてなしてきた以上、体裁が良くない。ましてや相手が相手だ。首にして送り返せば、島津の怒りは烈火のごとくだろう。
紹運はゆっくりと相手の手を取る。そして若干乱れた袖をはたきながら相手に睨みを利かせる。紹運を怖がっているのか冷や汗が顎を伝い、垂れそうになっている。しかし、態度を軟化させることはない。
「全てを語る程、貴殿は愚かではあるまい」
紹運は声を上げて遠くで控えていた配下に使者を送り届けるよう伝える。
「使者殿、こたびはよう参られた。また戦場でまみえることを楽しみにしておるぞ」
「……どうせ死ぬというのに、愚かなことよ」
向こうもわざと聞こえるように言ったのだろう。紹運の気勢を削ぐつもりだろうが、戦場で罵倒雑言など常だ。
配下が来ると使者は形式通り頭を垂れて部屋から出て行った。
紹運は最後まで使者を見届けた後、緊張を解こうと長く息を吐く。だが、背後の気配に表情を引き締めた。
「最初からいたのか?」
「お前がここには私とお主以外誰もいないって言ったところからだ」
「それを最初からと言うのだ」
「最初はこの部屋に二人が足を踏み入れてからでは?」
紹運はわざとらしく舌打ちをすると頭巾を取って頭をかく。伸びた爪で引っかいた所が若干赤くなる。
「で、何をしにきた?」
「護衛だ」
「いらぬと言った」
「知らないね」
「では、どこで私が島津の大将と邂逅すると聞いた?」
「どこだろう?」
「……もう良い」
いつまでも喋ってるときりが無いし、体力も奪われる。疲れた体に無理をさせるのは良くない。向こうの表情は相変わらず見えないが、いつも通り勝ち誇った笑みを浮かべているだろう。
「島津はどうしている?」
歯痒いと思いながらも紹運は本題に入る。
「島津は総攻撃の支度を済ませ、明日にでも全兵力を用いて城攻めを行うと兵たちは言っていたぞ」
「刻は?」
「分からぬが、先程の問答を聞いていると朝からだな」
もう少し穏便な返事や嘘でも降伏すると言えば時を稼げた。
そう言いたげな物言いだが、紹運は否定した。籠城における情報は城を囲む軍の方がすでに優位に立っている。
城主がどうしたかの報せなど、三日と経たずに関係する者たちに知れ渡る。岩屋は大友の島津に対する筑前の最後の砦であり、ここを落とされるのは大友の急所の一部に刃を立てたようなもの。
ましてや高橋という大友きっての勇将が敵に降伏しての落城など、大友の今後の士気に大きく影響する。いくら偽りのものでも切迫した状況に大友の将兵ははたして冷静な判断などできようか。
「自惚れているな」
「角隈殿や吉岡殿がご存命なら考えた。されど、今の大友の者のほとんどが凡庸。かようなことも策と考えられぬ者ばかりぞ」
「ほとんどってことはお前の倅なら分かるってことか?」
紹運は首を横に振った。
「じゃあ、誰なんだい?」
驚いたように向こうは声を弾ませる。
「そうだな……この戦が終わったら教えよう」
「なら、どさくさに紛れて無謀な突撃をしないように見張らないとな」
向こうの気配が消えた。本気で言っているつもりはないことを分かってくれたようだ。そもそも紹運は本気で行う阿呆などではない。
「さて……忠長自ら使者として来るということは島津も危ういと見たか」
まさか敵大将自ら乗り込むとは思ってもなく、紹運も確信を持った時には驚いた。忠長の容姿を聞いていなければいつものように皆の前で追い返していただろう。
「豊臣の援軍が近く……よもやこのような城に構っている場合ではないと焦ったか」
伊集院の策か、忠長自らの隠密行動かは分からないが、これで紹運も次に取るべき動きと策が決まった。
「誰かいるか?」
廊下に出て声を上げる。すぐに配下の者がやって来た。
「今一度皆を集めよ」
蝉の声が急にけたたましくなる。厳しい暑さがより強く感じさせられる。水の無くなるまま過ごせるのはいつになるだろうか。
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