「殿、黒田殿より使者が参っておりまする」


 その報告は紹運が屋山、三原と共にいよいよ島津に包囲され、今一度、将兵の配置を確認していた時に来た。


「こちらに通せ」


 あちこちに泥と傷を付けた兵が紹運の前に座した。治療を促したが、使者は島津にやられたのではなく、敵がいないような獣道を通ってきたために枝に引っかかった際の傷だと拒んだ。


「高橋様には直ちに私と共に立花山城に撤退し、豊臣の援軍を待たれよと、黒田様の言伝で御座います」


 紹運は屋山、三原と顔を見合わせる。


「生憎、私はこの城と共に死ぬと決めている。最期まで退かぬ。もし、この城と生きているのであれば、それは豊臣の兵が間に合うた時のみ」


 違和感を感じつつも努めて穏やかな口調で返す。


「されど、高橋様は既に豊臣の家臣。何故に命を捨てる必要がありましょうや」

「なっ……」


 思わずと屋山が声を漏らす。三原の睨みですぐに口を押さえたが、信じがたいと使者を見ている。


「そなたこそ申していることがおかしい。殿は殿下の配下に入った。されど、私は大友の家臣ぞ。道理に合わぬ」


 使者は紹運の言い分にかなり困惑している。話が違うとでも言いたそうだ。途端に紹運の頭にある憶測が生まれた。


「まさか、殿は私を豊臣の直臣にしようとしているのではあるまいな」


 屋山が驚いた表情で使者を見る。三原は表情を変えないように努めながら使者の表情を伺う。無言だが、言いにくそうにしているのを見るとどうやら間違いないようだ。


「……誰か。この者に水と食料を」


 紹運が使者を遠ざけると真っ先に屋山が怒りの主へ向ける。悔しさも交じっているようで、今にも泣きそうだ。


「殿を何故に売ったのだ」


 紹運を一瞥するとかなり険しい表情をしている。ここに三人しかいないためかいつもより分かりやすい。ここはなだめる方が良いだろう。


「屋山殿、それは違う」

「何が違うと申す」


 低い、威圧的な屋山の声が部屋の空気をより重くするが、三原はそんな怒りなど知らないと平然としている。


「殿が豊臣の家臣になるということはお館様の温情よ」


 わざわざ大友のために死ぬことは無い。これから豊臣のために生きて欲しいという宗麟の思いが、伝わってくる。


「殿に生き延びられよと申されているのだ」

「それは、真だろうか」


 屋山は鼻で笑う。

 こうなっては収拾がつかない。普段は感情を押さえているせいか、このような場だと言い出すと彼は止まってくれない。


「お館様のことだ。豊臣に媚びを売るために殿を売ったのやもしれぬ。それにこのところのお館様は……」

「屋山」

「されど、殿」

「黙れと言うておろう」


 さすがに宗麟を非難するような言動は聞き捨てならない。さらにまくしたてる屋山に紹運は強い口調で強引に口を押さえ込む。さすがの屋山も落ち着き、俯く。だが、分からないと言いたげだ。


「殿はかような卑屈な御方ではない」

「されど、お館様は南蛮の宗教に現を抜かすような御方。体良く……」


 顔を上げた屋山を紹運は畳を強く、平手で打ち付けることで強引に黙らせる。部屋中に火縄銃を打ったような音が屋山と三原の耳をつんざく。


「お主に何が分かる?」

「それは……」


 紹運は幾度となく宗麟に諫言をしてきた。目障りと思い、有能故にどこでも買い手が付くと豊臣に恩を売るために利用した。

 屋山の考えていることも分かる。不覚ながらも紹運も一瞬だけそう思ってしまった。おそらく、宗麟のことをよく知らない者がこのことを聞けば、屋山の同じように考え、非難するだろう。


「私が間違いないというのだ。異論はあるまいな」 


 紹運は宗麟がキリスト教に触れる前より彼に仕えてきた。人の根源は何かに興味などが移ろうとなかなか変わらない。近くで見てきた紹運だからこそ確信が持てる。そのことを知っている目の前の家臣二人も納得したように頷く。屋山は相変わらず憮然としているが、決断するのは自分である。


「黒田殿の使者をここへ。その後、私は兵の見回りに行く。屋山、共に来い」

「……はっ」


 黒田からの使者には改めて丁重に断りを入れて去ってもらった。相変わらず何か言いたげにしていたが、奉公のためと言うとご武運をと言い、去って行った。


 同じ日の午後。

 かの菅原道真を祀っている大宰府の近く、般若寺に本陣を置き、島津は包囲陣の支度を終えた。

 紹運は報告を受け、出来る限りの情報で地理的にどこから攻めてくるかを模索していた。


「島津より使者が参っておりまする」


 三原から報告を受けたのは夕刻に差し掛かっている時だった。気付けば外は茜色になっている。それにしてもいずれとは思っていたが、着陣して早々に使者を出すのは予想外だった。


「通せ。それから、酒を持ってきてくれ」


 三原が出て行ったのを確認してから紹運は拳を強く握った。島津の魂胆は分かっている。おそらく、着陣してから戦支度をしている間に奇襲をこちらにさせない為だ。これだけ勝敗が分かりきっている戦ならいくら優秀な将でも必ずどこかで緩みがあるのが普通だが、どうやら敵将はずいぶんと慎重な人物らしい。


「誰か」

「はっ」

「直ちに兵に酒を分け与えよ。水で薄めたものをな」


 命令された家臣は少し驚いた顔をしたが、紹運の有無を言わさぬ表情に頭を垂れ、去って行く。

 どのような使いが来て、どのような態度を示すのか。

 紹運はゆっくりと腰を上げる。楽しみとまではいかないが、少し変な期待をしてしまう。外は一番暑い刻限を迎え、何もせずとも汗がにじむ。この天候では島津もあまり長々と戦をしたくないだろう。

 使者の待つ評定の間には既に他の家臣が不機嫌そうな顔をして座っている。彼等の視線の先には島津が差し向けてきた使者が頭を垂れて待っていた。彼らを横目に紹運は上座に座る。


「使者殿、面を上げられよ」


 使者の表情はこちらを見下しているようだ。鎧や兜から見ても、下級の将だろう。


「某、島津図書助様と伊集院掃部助様より遣わされた者」


 敵の大将が島津一族の島津忠長と島津の筆頭家老である伊集院忠棟とは大層な軍勢を差し向けてくれたものだ。

 使者は、慇懃に振る舞っているが、傲慢さを隠せていない。おかげで家臣達の雰囲気はより険悪になっている。使者自身、承知の上だろう。命を惜しまないというところでは良き武人だと言うところだろうか。


「して、お二人は何と?」

「率直に申し上げまする。高橋様、我が方に降りなされ」


 福田が腰を浮かしかけたのを紹運は目で威圧する。大人しく従ったのを見て、紹運は屋山に例のものを持ってくるように命じる。待っている間、使者は大人しく待っていたが、目だけはせわしなく動いていた。それが止まったのは屋山が帰ってきた時だ。


「島津も遠路はるばるご苦労であろう。まずはこれでも飲まれて落ち着かれよ」


 兵は酒の入った杯に手を伸ばそうとしない。やはりか、と紹運は自ら杯に手を伸ばす。そして、躊躇なく呷った。使者は目を見開いたが、一口酒を飲んだ紹運から渡された杯を拒む理由もない。受け取ると今度は一滴も残さず、飲み干した。


「かような状況故、安い酒しか用意出来ぬが、口に合えば何より」

「どんでも御座いませぬ。ありがたく頂戴致した」


 使者は杯を置くと再び紹運に向き合う。酒を飲む前より、表情は緩んでいるような感じがする。


「我らは島津には降らぬ」


 使者の表情が固まった。


「島津の御大将によく伝えてくれ」


 そう紹運が念を押すと、本気だと悟ったのか、口を結んだまま頭を下げて出て行った。 


「さ……やはり、島津はこちらに使者を差し向けたが、如何思う? 私はここで退くべきか?」

「いえ。もはや殿だけが退くのは下策でしょう」


 三原は出家しているが故のような冷静さを保ち、場の雰囲気を静寂にした。


「殿が今、城を出れば兵達は混乱するのが一つ。そして、もう一つはたとえ島津が殿の撤退要求に応じたとしても、真にそれを受け入れるとは思えませぬ」

「城を出たところを襲い、私を殺すのか?」

「御意」


 驚きと憤りの声が上がる。武人として暗殺というのはあまり快く思われない。だが、戦略的に筑前の代表的な将である紹運を労せず葬るのは最も合理的な判断だ。

 敵には島津きっての智将、伊集院忠棟がいる。

 裏があるのは明白だ。大友家の中で紹運の忠誠心は飛び抜けている。公言せずとも自負していたし、誰もが知っている。わざわざ降伏の使者を出しても無駄骨になるのは分かっている。


おそらくこちらの様子を探ると共に既に包囲されているのだから何かしようとも無駄だという思いを自分に植え付けようとしているのだ。だが、向こうがこちらの動きを封じようとしているなら、島津が大軍である隙を突けば良い。少数と多数の戦では必ずどこかに緩みがある。かつての耳川のように。


「屋山、お主らは半数に分かれ、酒を飲むが良い。今宵飲まなかった者は明日飲むのだ」

「殿はよろしいので?」

「私はこれよりやらねばならぬことがある。福田、しばらく頼む。三原は私と共に来てくれ」


 紹運は三原と共に自室に向かうと紙と筆を取り出し、急ぎ書状を認めた。


「これを黒田殿に、で御座いますか?」

「左様」

「御意。夜陰に紛らわせる他御座らぬ故、夜まで待つことになりましょう」


 構わないと言って紹運は腰を上げる。既に日の本は豊臣によってほとんどの地が支配されている。最近では東の目の上のたんこぶだった徳川を降伏させ、いよいよ西へと目を向け始めた。配下の黒田官兵衛は豊臣の軍師であり、西で異変があった際の監視役で、豊臣に救援要請を送るには一番通すべき人物だ。 


「よろしく頼む」

「されど殿、我がかようなことをせずとも様が既に使者を送っているのでは?」


 紹運は足を止め、目を細める。考えてみれば統虎がこちらに援軍を差し向けている以上、岩屋城を救わんとさらなる援軍を求める可能性は高い。大友にそのような余裕が無い今、頼れるのは豊臣だけだ。

 しかし、紹運は頭を振って三原に言われた通りにするよう指示した。統虎を信用していない訳ではない。


「なに、直接伝えた方が良かろう」

「使者に選ばれた者は死ぬやもしれませぬぞ?」

「構わぬ。三原、これは致さねばならぬことなのだ。私が外に出れば殺されるようにな」


 少しだけ目を見開いた三原を無視して紹運は立ち上がり、厠へ行くと言って去ろうとする。


「今宵、殿は飲まないのでございますか?」

「一人で飲む。今宵ぐらいは皆に遠慮なく飲んでもらいたい。さ、お主もこの役目を見事果たせる者を見つけたら今宵は飲むが良い」

「……はっ」


 未だに紹運だけは逃したいと思っているのだろう。しかし、そう簡単に家臣たちの思うがままにはならない。おそらくこの後、屋山と密談を行い、駄目だったことを伝えて善後策を練る。

 だが、島津は豊臣との決戦に備えて早く大友を滅ぼしたいと思っている。紹運が降伏に応じないと分かればすぐに攻城を開始するだろう。そうなれば紹運を逃がす余裕などなくなる。

 紹運は笑みを浮かべる。稚拙とはいえ家臣たちの謀を看破した。常に裏切りと敵勢力との駆け引きに振り回されてきた中でようやく優位に立つことが出来たのだから。


「さて……死地へ参ろうか」

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