第34話


「…――すごいな。それじゃ、秋からはギムレーのジュニア3年生なのか」


 アメデオがそういって目を丸くすると、ベアタは頬を上気させて頷いてみせた。

 そんなベアタのことをアメデオは眩しそうに見ている。

 二人はもう半ば廃墟となりつつあるバスターミナル(だった)建屋の前で、まだ機能は提供し続けているベンチに並んで腰かけ、近況を交換していた。


「ええ。ロースクール法科大学院も考えてる」

シニア4年次を待たずに?」

「夜学でね」


 再会して20分ばかりで、もうベアタは、アイブリーでの〝5年間のこと〟を語ってしまっていた。彼は〝聞き上手〟なままだった。


 そんなアメデオが、つと目線を落とした。

「そうか……がんばってるんだね」


 ようやくベアタは、ほとんど自分ばかりが話していることに気が付いた。自分に苦笑してみせ、それから水を向ける。

「あなたは?」


 アメデオは少し躊躇うように間を置いて、自分の煤けた消防服を指して笑ってみせた。

 そうして彼女の目を見ながら、きっぱりと言った。

「大学はあきらめた」


 その笑みは〝爽やかでやわらかい〟記憶の中の彼の表情ものだったが、やはりどこかに〝自嘲〟の色合いが滲んでいたかもしれない。


 ちょうどそのとき建屋ごと地面が振動で震えた。ロータリーの向こう、州道8号線を、準州政府の治安部隊の戦車が、黒い煙を吐き散らしながら連なって移動していくのが見えた。


「――…そう」

 ベアタは自分を恥じながら言葉を探して、結局、そう頷いて返すしかなかった。




 夕刻――。

 空調の利いたホテルのベッドに倒れ込むようにうつ伏せるベアタは、アメデオへの自分の無神経さに悶々としていた。

 別れ際の、言葉少なげとなったアメデオの表情かお……。それでも彼は、ベアタが気に病まないよう笑顔を絶やさなかったように思える。


 少し気を回せば容易たやすく類推できたことだった。避けるべき話題だった。……それなのに、異邦アイブリーでの自分を彼に伝えたいばかりに、配慮をせず、ただただ自分のことだけを語っていた。そんな自分に自己嫌悪を覚える。


 ホテル据え付けの端末が鳴った。

 フロントのスタッフからの来訪者の取り次ぎの確認だった。



 小さなホテルの小さなロビーに下りると、煤けた消防服から私服に着替え小ざっぱりとした出で立ちのアメデオが、安っぽい応接セットに腰かけて待っていた。


「ハイ……」

「…――ハイ」


 挨拶を交わすとテーブルに着くように促される。

 ベアタは、昼間のことを謝るのにどう切り出そうかと思案しながら、彼の正面に座った。


「よくこのホテルが判ったわね」

「もうここらじゃ、まともなホテルはココしかないから――」


 ああ、とベアタが頷いて〝やはり素直に謝ろう〟と彼の顔を覗き込んだとき、彼と目と目が合った。

 しばらくの間、彼と見つめ合うことになった、

 その目の不思議な色合いに言葉を出せずにいると、アメデオは一つ頷き、意を決したように口を開いた。


「君に持っていて欲しいものがあるんだ」

「わたしに?」

「うん」


 そういうと傍らのバックパックを引き寄せ、中から何かを引っ張り出した。

「――もう僕には要らなくなった。……けど、君に持っていて欲しいと思ったんだ」

 年季の入ったハードカバーのノートが数冊、差し出された。


「なに?」

 受け取ったベアタがさっそく開こうとすると、アメデオはそっとそれを押し止めた。


「…――開くのは、アビレーに戻ってからにして」

 そう言って頷いた彼の微笑に、ベアタは頷いて返した。


「わかった。でも、どうして?」

 少し不安が過ぎったのを払うように笑って。


「だって恥ずかしいだろ?」 アメデオも笑って応えた。「〝若気の至り〟を君に託すんだぜ。君が笑い転げるのは、僕の目の届かないところでお願いしたいのさ」



 そうしてアメデオは、明日も早いからとホテルのロビーを後にした。

 部屋に戻ったベアタは、あらためて彼のあの表情に胸騒ぎめいたものを感じ、ノートの中身を確かめたい衝動に駆られたが、その同じ表情に約束は破ってはいけないと、ノートを開くことを止めた。


 明日、もう一度彼に会おう。

 そう決めて、ベアタはベッドに入った。

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