第32話


 室内の気配が剣呑なものとなった。

 古い世代――『フェルタ紛争』を戦った世代――である〈副代表〉などは広い肩を怒らせて〝シャノン・モーズリー〟を睨みつけている。息を深く吸い、今にも怒声を発しそうな表情に見えた。

 だが、そうなる前に、エヴェリーナ・ノヴォトナーの凛とした声が響いたのだった。


「そうはさせません」

 抑えた声音だったが、それは自らの閣僚らの暴発――言葉通りに暴発してもおかしくない雰囲気となっていた――を押し止めるに十分だった。この場にいた誰もが、彼女の声の内に、自らの心の内と同じ〝怒り〟を感じたからだろうか。


「アイブリーの件はアイブリーで解決します」

 準州代表はきっぱり言い切って、そうして準州の主たる軍事顧問を向いた。

「幕僚本部長、中部都市圏に非常事態を宣言のうえ、必要であればアビレーを戒厳令下に置きます。部隊に準備を」


 参加者メンバーの多くが、最初、息を呑んだ。それから会議室内は動揺し騒然となりかける。


 〈幕僚本部長〉は〈司法長官〉と〈副代表〉の顔を見、それから再び、唯一の上官である準州代表を向いて質すこととなった。

「よろしいのですか」

 エヴェリーナ・ノヴォトナーは、硬い表情で返した。

「止むを得ぬ事態だと判断しました。まずは早急に状況を打開せねばなりません」


 準州代表の表情で、そうすることが〝地球の干渉をしりぞけるための唯一の方便〟であったことが〈幕僚本部長〉には解る。彼は肯いた。

「わかりました。戒厳部隊の指揮官をオーレリアン・デュフィ上級大佐とし、直ちに部隊を展開します」

 エヴェリーナ・ノヴォトナーはデュフィ大佐を見遣ってから〈幕僚本部長〉を向いた。

「お願いします」


 〈首席補佐官〉はすぐに腰を上げた。

「法務長官、直ちに法的手続きに入ってくれ――」

 周囲を見遣り各担当のスタッフらを集めて〝矢継ぎ早〟に指示を始める。

「関係部局とアビレー市長に連絡を。部局にはそれぞれ選任の連絡官を立てさせろ。それから上下じょうか両院の議長と院内幹事を呼んでくれ」

 一通り指示を終えると、あらためて代表を向いて言った。


「……そののち、2時間後に会見を」

 準州代表は頷いて返した。


 そうしてにわかに〈全州安全保障会議〉が動き出すと〈副代表〉が席を立ち、代表の側にまで赴いて言った。

「代表……この判断には完璧に同意します」

 だが、その表情には何ら高揚のようなものは見て取れない。

 エヴェリーナ・ノヴォトナー準州代表もまた、全く同じ表情で、ただ肯いて返すだけであった。





 翌未明、中部都市圏の各基地より3つの諸兵科連合大隊――それぞれが歩行戦機AMF(人型ロボット兵器)の2個中隊を基幹とする――と、偵察大隊が進発、アビレー市に入る。

 先に緊急の会見を開き、準州代表自ら戒厳令の発出を前提に中部都市圏軍管区の諸隊に『戦時警備』を下令した旨を伝え、併せて翌朝10時まで無用の外出を控えるよう市民に呼びかけたことで、アビレーの市街に目に見えた混乱は見られなかった。


 その間、上院では準州代表の発令した戒厳令の是非について深夜に及ぶ緊急会議が行われ、その結果、本事案は準州代表令による騒乱鎮圧を目的とした措置として『行政戒厳』の体裁を採り、その範囲をアビレー市全域ではなくアールーズ特別区とその近傍に限定することで是認されることとなった。




 そうして夜が明け…――


 早朝の、普段と違う〝通勤渋滞ラッシュ〟のない朝のレーク通りを、現在いまは仮の支部オフィスの入る市警庁舎へと向かって歩くベアタは、視界の端の車道に装甲車とAMF運搬車キャリアの車列を見止めた。

 それは、彼女に既視感を呼び覚ます。


 ――故郷サローノの日常が決定的に壊れていく、変わりゆく日々の光景……。


 サローノの準州政府がファテュ郡の自治権を停止し、治安維持を名目に武装部隊を進駐させてからの日常の光景……。


 父も母も、わたしも……、誰ひとり、それ以前の世界と、それ以降の世界が、少しずつ違うものとなっていって、最後には決して元に戻らなくなってしまうなんて思わなかった。


 いったい、どこまで〝この光景〟はつき纏ってくるのだろうか。

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