第30話


「11月に選挙を控えて〝下手な判断〟はできないな」

 〈予算局長〉のこの言は、会議室内に軽薄に響くこととなった。彼としては機知ウィットを利かせたつもりだったのだろうが〝空回り気味〟なものとなったことは否めない。


「個人的な問題にすり替えないでください」

 〈首席補佐官〉はたしなめると、会議の出席者メンバー全員を改めて見渡し、口調を強く言った。

「準州代表はあと1時間ほどで戻ってこられます。それまでにコンセンサスを」


 誰のものとも知れぬ溜息が会議室内に漏れ聞こえるのを押して〈副代表〉は強い口調で言い切った。

「頭のイカレた猛犬を動物愛護協会の流儀で鎮めることは不可能だ。より強い犬をけしかけるしかない」

 それで〈首席補佐官〉は、〝より強い犬〟を体現する人物を見遣った。


「大佐」

 〈首席補佐官〉に水を向けられたオーレリアン・デュフィ上級大佐は、衆目が集まるのを待って、はじめて口を開いた。

「軍は剣でメスではありません。州内での軍の出動には疑問です、州副代表」

 〈首席補佐官〉は重ねて訊いた。

「仮に出動するとして展開に要する時間は?」


「州代表の命令があるまでは動けないことになっています」

 デュフィ大佐はそう言って見返したが、〈首席補佐官〉はさらに踏み込んで質す。

「そんなことは解っている。だから、もし準州代表の命令が出たとしてだよ」


「命令受領後、12時間で中部都市圏管区の各部隊は出動できます」

 大佐は表情を改めて答えた。「――第一陣は歩行戦機AMFを中心とした機動編成旅団戦闘団、総員約3,900名。緊急展開部隊が主力となります。

 アビレーの繁華街ピカデリーAMFエゥムェフが並び、乗り付けた装甲車から小銃を構えた兵士が飛び出してくることになる。……その音や威圧感は、皆さんの想像を超えるでしょう。この40年来、アイブリーの市民は、そういったものを見ていない」


 会議室内の大半の出席者メンバーは、情景――AMFエゥムェフ(全高3mの人型ロボット兵器)がアビレーの街中に立って通勤する市民を見下ろす光景――を思い描いてみたようだったが、誰一人として正確にが出来る人物はいないだろうと、おそらくが出来るこの場で唯一人の人物であるデュフィは思った。

 半世紀前の『フェルタ紛争』を生きた世代――…〈副代表〉や〈司法長官〉――ならいざ知らず、いまこの場を囲う大半は戦時の景色など知りはしない。デュフィは、紛争地と化したファテュでそういう景色の渦中に居た。


 彼の上司たる〈幕僚本部議長〉が補足した。

「ただ今のデュフィ上級大佐の発言は、あくまで彼個人の見解です。軍による警察活動はサローノ・ファテュ郡で実証済みです」


「誤解なきように」 デュフィは〈幕僚本部長〉の如才のない言い様に頷くと、会議室内の面々に視線を向けて彼の言葉を引き取った。

「我々軍は〝敵を追い、敵を見つけ出し、敵を破壊します〟。そのようなことがここアイブリーで起こらないことを、私は人権擁護団体の誰よりも望んでいる」


 デュフィはここでいったん言葉を切り、〈副代表〉を見、それから〈司法長官〉、〈首席補佐官〉へと視線を向けて頷いた。

「だからこそ皆さんには敢えてお願いしたい。軍の出動は慎重に、と」


 誰もが彼に〝軍人としての節度〟を感じた瞬間だったろう。〈首席補佐官〉は慎重に頷いて返した。

「準州代表はきっとこう仰るだろう。だから(こそ)――…」

 と、その〈首席補佐官〉の声に若い女性の声が重なり、後の言葉を継いだ。


「――…だからこそ、指揮官にはあなたしかいないのです、大佐」



 快活な女声が会議室を巡ると室内の全員が発言を止めて席を立った。

 そうして居並んだ最高意思決定機関の面々メンバーの前を臆することなく進んで議長席に着いた女性は、第9代アイブリー準州代表エヴェリーナ・ノヴォトナーである。まるで登場の時機タイミングを計っていたかのような、外連に満ちた登場であった。


 そして準州代表に着席を促され腰を下ろした一同の中のジェンマ・バンデーラは、準州代表と共に入室してきて隣の席に腰を下ろした人物――こちらも女性だった――に眉根を寄せることになる。

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