惨事

第12話


 ジェンマ・バンデーラは、ジーン・ラッピンの移送にラフ・サンデルスとベアタ・ヌヴォラーリを同道させることにし、多目的車両SUVの後部座席にラッピンを押し込めさせると、自分は助手席へと収まった。


 二人……というよりサンデルスを指名したのは、このような政治の力が絡んで来かねない厄介な対象を扱うのに、彼の〝家の名サンデルス〟がいくらかでもになってはくれまいか、という期待からである。バンデーラとて、そのくらいの姑息さは持ち合わせていた。

 ベアタに関しては、この場合、サンデルスの対番ということで付属品おまけである。



「ねぇ、ジーン……教えてくれない――」

 サンデルスがハンドルを握った車がアールーズの街区を出ると、ようやくバンデーラはラッピンに訊いた。

「あの〝ペンキ爆弾〟は警告かしら……きっとそうなんでしょう? この街アビレーに我々の知らないテロリストの〝細胞〟が潜んでいるの?」


 ラッピンの方は、席に着いた時から(少なくとも表面上は)すっかりくつろいだふうを装っていたのだったが、バンデーラの質問には無視を決め込む腹なのか彼女にではなく、隣に居心地悪そうに座ったベアタの方に軽く顔を向けた。


「あなた、サローノの出でしょ?」


 IISOのエージェント〝スパイ〟にいきなり自分のことを問われ、ベアタは、どう応えるべきか思案するよりも先に警戒の念が胸に沸く……という経験をすることになった。


 アイブリーに暮らして9年。〝郷里の表現サローノ訛り〟には気を使っている。

 ブルネットに明るいブルーの瞳の色という容姿もメドール州旧ヨーロッパ圏に入植の起源を持つ者にはな見合わせで、サローノ入植者に限るものじゃない。キードでもアイブリーでも、どこの街中でもよく見かける色合いだ……。


 ということは…――


「わたしのファイル経歴を?」


 ベアタは警戒する面差しでラッピンを見返し、訊き返した。

 ラッピンはそれには直接答えず、〝感じのいい〟笑みでベアタの横顔を見やって言った。


「私もサローノに居たの…――ドゥガに4年よ」


 ドゥガはサローノの首都で、広大な南パルミナンド大陸のほぼ中央部に位置する。ベアタの故郷のコンパトリは大陸の西部にある小さな学園都市だった。西に広がるテラーラ海の向こうはキード準州である。

 二つの都市間の距離は優に4千㎞。正直、遠すぎて同郷という感覚は湧いてこない…――。


 それでも結局、ベアタは、このラッピンの〝呼び水〟に応じた。


「コンパトリです」

「……コンパトリ?」


 ラッピンが、聞き覚えのない地名に小首を傾げるようにして、ベアタを見返す。

 ベアタは補足した。


「アンディユから南西に8㎞ほどのところです」

「そう……」


 当人から〝ファテュ近郊の出身〟であることを告げられ、ラッピンは小さく頷いた。

 当人の方ベアタは、達観したふうの笑みをその顔に浮かべてみせた。

 ラッピンは、そんなベアタに優しい声になって言う。


「努力してるのね」


 ベアタは、その言葉と声音の変化の意味するところを正確に読み取り、小さく肩をすくめて見せた。


「たいしたことじゃありません。もう慣れました」


 〝サローノ人〟であるというだけで、アイブリーの人にとっては〝厄介者〟である。

 そして、現下のアイブリーでは、ファテュこそがサローノ――いてはフェルタ各地に広がった混乱の元凶と見做みなす人が多数派であり、世の常として〝ヘイト〟というものはどこにでも存在した。



 このときバンデーラは、バックミラーに映るラッピンの表情を観察している。


 整った顔に意外なほど表情が出ていて、怜悧さや計算高さよりも誠実さのようなものの方が先に立って見えた。

 少なくともこの表情から、〝権力を振りかざす堅物〟という人物像は浮かばない。


 もっとも、彼女は諜報特務庁IISOのエージェントだ。〝見た目〟で判断はできないだろう。

 現に、先のベアタの質問――「経歴ファイルを見たのか?」――には答えていない。



 バックミラーの中で、ラッピンと視線が合った。

 彼女は真っ直ぐにこちらを見て、その視線を逸らさなかった。


 ――どうにもやりにくいわね。



 〝二つ目の事件〟の一報を受け取ったのは、そんな車中でのことだった。

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