第8話


 ベアタの運転は、たとえ尾行の最中であっても、常に交通法規ルールに則って安定している。

 助手席に座り支部との電話で応援配置やらの遣り取りを交わしているサンデルスにとって、それは大いに助かっていた。


 いつもはサンデルスがハンドルを握り、まあ、周囲に合わせて乱暴になる運転に小柄なベアタがシートの上で振り回されることとなって、その都度ドア上部に据え付けのアシストグリップを掴まなければならない彼女の上げる抗議の声を聞き流していたのだ。

 立場が入れ替わったいま、支部との〝細かな〟遣り取りの最中に〝しょうもない抗議の声〟を上げなくて済んでいることに、彼は〝感謝しなければいけないな〟と思ってはいる。



 ルカ・レーリオの乗ったタクシーは市街には入らず、環状線を湾岸方面に向かっていた。

 アビレー市の大動脈である外環状線は、常に空くということのない道路だったが、いまはラッシュの時間帯ではなく、まだ応援の到着していない、サンデルスら1台での尾行でも、見失うということはなかった。


 やがてタクシーはウィンカーを灯すと、ランプウェイに通じる右車線へと切れていった。


「アールーズに下ります」

「〝対象〟はアールーズ――」


 同じようにウィンカーを出して車線変更をしながら、ベアタが、状況を声を出して喚起する。サンデルスはそれを、無線でバンデーラへと伝えた。


 すでに応援のために車に分乗して急行してきているバンデーラらエコーチームの面々は、サンデルスの手引きで周辺に展開している。アールーズのランプであれば1分で接触できた。


『――こちらフランセン、〝対象〟を視認した。追跡を引き継ぐ……』


 ランプウェイを降りきらないうちに、無線がそう伝えてきた。



 出先でサンデルスからの報告を受けたバンデーラはレーリオを〝泳がす〟と決めると、支部に残るトゥイガーに手隙の班員を率いて応援に出させ、自らも車を飛ばしてグランド・サウス駅の方へと向かった。


 駅を出てタクシーに乗り込んだレーリオを、先ずはサンデルスとベアタに追わせて状況を逐次報告させ、それを基に支部の行動分析班と現場に急行しているトゥイガーらと連携して〝対象〟の行く手に網を張る。



『――〝対象〟はアールーズ……』


 支部を経由して伝えられたサンデルスの報告に、バンデーラは頷いた。


 ――やはりアールーズか……。


 アールーズ区は人口密度の高い雑多な街である。


 地球圏からの入植者が最初に降り立ち、その多くが生活の基盤を置く地となるアビレー市には、経済的に立ち行かなくなった者が自然と寄り集まったコミュニティーがある。

 てて加えて、過熱するフェルタの分離独立運動や数年のサローノ・ファテュの政情不安などが重なり、市中に流入してきた貧困市民の多くが、そんなコミュニティーに紛れ込んでいた。


 貧しく、行き場を失った、社会的弱者の住まうところ。

 アールーズは、そんなコミュニティーを抱える最も大きな街だ。



『――こちらフランセン、〝対象〟を視認した。追跡を引き継ぐ……』


 ハンズフリーの送話器越しに無線を聴いた。

 応援に到着したメンバーのうちのフランセンが、レーリオの乗ったタクシーの後ろに付いたのだ。これでサンデルスたちは〝対象〟の視界からいったん外れることになる。気取られるリスクを軽減する欺騙トリックだ。



 タクシーはアールーズの中心に入る前に停車した。

 そこは低所得層の商業地区で、支部の行動分析班が割り出した停車候補の中の一つだった。先乗りしたバンデーラ本人が車を停めた場所から、ほんの二、三十メートル先だ。


 タクシーを降りたレーリオが、タクシーを見送るていで車道へと向けた視線を、ぐるりとこちらへ向けた。その視線の先には、タクシーを尾行してきたフランセンの車が徐行している。……いまバンデーラの車の横を過ぎた。


「マズいわ、フランセン。そのまま通り過ぎて」


 フランセンは、そのまま徐行してレーリオの脇を通り過ぎ、最初の交差点で右折する。

 レーリオが通りを歩き始めたのを待って、バンデーラは車を出した。

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