第9話


 通りには賑わいがあり、車を徐行させても、それほどおかしく見えないのは有難かった。

 すでに班員の半数は周辺で車を降りて徒歩での尾行に備えて展開を始めており、残りの半数も、行動分析班の支援の下、それぞれに〝網〟を完成させるのに効果的な地点ポイントに散りつつある。


 ルカ・レーリオの歩く反対側の歩道に、パウラ・ファンデルヘルスト特別捜査官の姿を確認できた。バゲットの紙袋を抱えた彼女は女学生という感じで、うまく街に溶け込んでいる。

 バンデーラは〝対象を泳がす網〟が完成しつつあることに、まず満足した。


 ――さて、いったい何が掛かってくれるか……。


 バンデーラの班は〝網〟の中でしばらくレーリオを〝泳がせ〟、監視を続けた。

 レーリオは道に不案内といったふうに、ゆっくりとした足取りで1街区ブロックを進む。

 やがて路上で男から声を掛けられ、挨拶を交わした。


 ――誰?


 バンデーラは昨日パウラとベアタに作成させたリストに目を通していたが、とりあえず男に見覚えはなかった。

 この時点で拘束すべきか、判断を迫られる。

 バンデーラは見送った。


 レーリオをこの場で拘束することに問題はない。判事には道すがらの車中から電話して〝話〟を通してある。だが、この正体不明の男については下手なことはできない。


「誰か、写真を撮って」


 バンデーラが、そう無線で指示を飛ばしているうちに、男はレーリオから離れていった。

 二つ目の判断を迫られることとなった。いま周囲に展開しているメンバーは、レーリオを尾行するための人数だ。ここで誰かを男に付ければ〝網〟に綻びが生じかねない……。


「ガルベス、男をけて」

『――了解』


 ほんのわずか迷った後、バンデーラはそう指示をしていた。

 もし相手が〝プロ〟であれば、ガルベス一人では対処しきれない。だが、何もしないよりはマシだろう。このときはそう思った。


 不運が引き金となって〝状況が動いた〟のは、その直後である。

 それは全くの不意打ちだった。

 通りの只中で、いきなりパトカーのサイレンが鳴ったのだ。

 もちろんEチームの与り知らぬ出来事で、市警の覆面パトカーが現場にいたわけでもない。(……後の調査で、現場に捨て置かれたサイレンアンプが見つかっている。)


 しかし結果として、それがレーリオの顔を跳ね上げさせ、捜査員の何人かも反射的に周囲へと視線を


 レーリオは捜査員の存在に気付くこととなり、例の旅行バッグを放って、その場から一目散に駆け出したのだった。


 こうなればもう尾行は終了である。

 あとは現場の捜査官総出での〝大捕り物〟となった挙句に、レーリオの身柄すら確保に失敗してしまったのだから目も当てられない。


 レーリオはEチームの追跡を逃れようと雑踏から路地に入り、街区を超えて1本先の通りに出たところで(……Eチームの包囲の輪が閉じる寸前だった)、何処からともなく現れた赤いフルサイズバンに押し込まれるように〝拉致〟され――そのように見えた――、その場から消え去ってしまった。


 完全にヤラレた。敵ながら鮮やかな手並みである。誰もナンバーすら確認できなかった。


 一連の騒ぎが終わったとき、レーリオには逃げられ、くだんの旅行バックも何処ともなく紛失。ガルベスに追わせた〝男〟にも振り切られ、チーム全員が屈辱に塗れることとなった。



 30分後――。

 乗り捨てられたフルサイズバンを発見したとの報告が入った。


『――…バンを見つけましたが指紋はありません』

「車体番号は?」

『……盗難車でナンバーも偽造』

「毛髪等の遺留物の採取は?」

『……ラボに送ってます』


「マニャーニからです」


 強張った表情かおで無線機越しにやり取りを交わすバンデーラが話を終えるのを待って、トゥイガーが自分の携帯を差し出した。

 バンデーラはそれを耳に当てた。


「私よ」

『いまここに誰が来たと思います?』 マニャーニは取って置きのネタを開陳するような声音で言った。『信じられませんよ』


 このマニャーニからの電話が、この〝ワンサイドゲームの展開〟に一矢を報いることになった。

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