アールーズのサローノ人

第6話


 『連絡船ペンキ爆弾事件』の発生翌日――。

 ベアタ・ヌヴォラーリPSI特別捜査官は、オフィスに出勤するや、大先輩のトゥイガーにデスク越しに手招きされ、二日続けてルーティーン(パーコレータでコーヒーを煎れること)をし損なうこととなった。


 班長のバンデーラが不在の時には、彼女の右腕であるトゥイガーが班を取り纏めることになっている。今朝はバンデーラの姿がなかった。

 ベアタは紙コップをディスペンサーに戻し、一足早くデスクの前に立ったラファエルラフ・サンデルスの隣に並んだ。


 トゥイガーは受話器を小さく振って〝ちょっと待て〟とジェスチャーをしてみせる。どうやら、何か〝最後の確認〟をしているところらしかった。

 少しして、受話器を置いたトゥイガーは、ふたりに切り出した。


「鉄道警察局からの連絡だ……グランド・サウス駅でサローノからの越境者が手荷物検査チェックに掛かった」


 チラ、と、トゥイガーの目が自分を顔を窺ったのがわかったので、ベアタはその明るいブルーの瞳に、敢えて不快な表情いろを浮かべて見せた。


 人類の統治政体が〈地球連邦〉に統合されて299年を経た西暦2696年――。

 国家というものが単一のものとなった現代社会において、(少なくとも理屈上は)旅券パスポートによる出入国管理などというものは創作物フィクションの中でしか存在しないことになっている。

 それは、地球から224光年を隔てたルーリェラス星系の第5惑星フェルタに拓かれた3つの州――〈アイブリー〉〈キード〉〈サローノ〉――であろうとも同様のはずであった。



 だが人類という生物は、〝生まれついた〟、あるいは〝住みついた〟地域という『枠』で個人を〝色分け(差別)〟するという性分さがから、やはり逃れられないようである。

 国籍は『出生州』(あるいは『帰化州』)へ、旅券は『身分証ID』へとそれぞれ姿を変え、国境に代わって州境が〝越境者管理〟の対象となった。各種の査証ビザといった手続きも管理主体が一元化されて軽便なものとなっているとはいえ、本質的にほぼそのままの形で残っている。


 地球連邦からの分離独立運動がこうじ内戦状態に陥っているサローノからの越境者は、まっ先にテロリストか避難民だろうと疑われ、手荷物を検査チェックされた。


 そういったことの後ろめたさからトゥイガーはベアタを顔を見、ベアタは不快な表情を返したのだった。

 ベアタは、サローノからの〝避難民〟だった。



 テロ事件とみればサローノからの越境者を先ず疑うというのは、アイブリーでの〝お決まり〟の進め方である。

 市内のテロ警戒レベルが引き上げられたものの捜査の方向性が定まらないので――事件発生から〝昨日の今日〟だ、致し方なかったが…――とりあえず〝出来る事〟から手を付けてゆく、ということか。


 ベアタは〝同胞〟に内心でだけ密かに同情して、トゥイガーを見た。


 トゥイガー自身が〝サローノから帰化した同僚〟を疎んじるようなことはなかったが、こうやって気を使われることに、ベアタは正直、辟易としている。

 彼女は自分の出自を理解していたし、これまでの半生の中で差別も経験していたが、決してを恥じてなどなかった。


 トゥイガーの表情にバツの悪いものが浮いたようでもあったが、すぐに彼は特別捜査官の顔に戻ると、ふたりに、グランド・サウス駅まで出向いていってチェックに掛かったサローノ人の取り調べに立ち会うよう指示をした。





 シティプラザビルを出て通りの反対側に停めた多目的車両SUVの車中に納まると、サンデルスは助手席に座った自分の対番後輩相方にぼそりと言った。


「あんまり〝可愛げのない〟表情かおを上司に向けるなよ。損だぞ」

「…………」


 始め、ベアタは口を引き結んでその対番先輩相方の言葉に無視を決め込もうと試みたが、結局、ミディアムマッシュウルフのブルネットを揺らし、運転席のサンデルスを向いて口を開いた。


「ご忠告、ありがとうございます。――それって処世術?」


 サンデルスは、そういう〝自分の感情を真っ直ぐ相手に向けてくる〟ベアタのことを嫌いじゃない。

 彼にとって彼女は、なんというか、手を焼かされる妹のような存在だった。

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