エンドロールが聞こえない。第三十二話

 ぼくが不意に口にした“ぼくらの時間にタイトルが付くなら何だろうね”という問いに、あかるは大きな瞳で真っ直ぐに“素敵なタイトルが付くと思います”と答えた。観ていた映画がエンディングを迎えようとしていた時に、あかるの唇が不器用に、ぼくの唇に触れる。


「い……いつもはっ、わたしがおねだりするから……っ」


 きみは、ぼくに恋をして六年、六年もかかって告白をする。それに返事をしたのは中学生になった春。もうぼくらは一年を越えて一緒にいる。それなのに、まだまだ初々しいきみの恋。ここまでを映画にするなら、ぼくらの恋はいま、何分くらい経っているんだろう。左腕に熱い額が預けられ、ほんの少し額をぐりぐりとするきみに「あかるはキスが下手だね」と雑に髪を撫でると「こ、これから!たくさんっ、練習、しますっ」なんて言って頬を膨らませる。


「ずっと、まひるくんで、れんしゅうしますっ」


 カーテンを閉まった薄暗い部屋で始めたキスの練習。何度も、何度も、何度も、熱い吐息を吐きながらやわらかい唇があたる。その唇を甘噛みすると「いっ、いまはわたしのれんしゅうじかんです……っ」と甘いマシュマロみたいな声と感触がした。だから「いやだ」と言って首に腕を、頬に手を当てて、舌を絡ませたり、また唇を甘噛みしたり、映画で観た事の真似っこをする。


「ま、まひるくんはいじわるだ」

「嫌?嫌ならやめるよ?」

「いやじゃないです……っ、知ってるくせに……っ、……いじわる」


「あかる、おいで」


 誘うぼくと、澄んだ声で答えるきみ。


 主従関係。


 ずっと後になって知る漢字四文字では無く、たくさんの言葉を使って、あかるは全身の肌色を真っ赤にして“性癖”を教えてくれた。だから、ぼくはやさしくないし、ましてや王子様なんかでもない。いじわるなわるいやつだったから、きみの期待にも応えられたでしょ?


「わっ、わたし、へんなのかなあ?」

「そういうの……あるって聞く」


 男子の間で“何だか、いいよな”みたいな話をしていた甘え方をする女の子が、ぼくの彼女だった。


 ボタンを掛けないまま羽織っただけの白いブラウスから、ちらちらと見えるやわらかく膨らんだ胸や、その桃色。腕の中できみが、ぼくの右手親指の付け根を甘く噛んで、キスをして、また甘く食む。


「何だか、どんどんあかるが魅力的になっていく」

「へふぇっ!?」


 よく分からない声を出して「ずるい」と、また甘く親指を噛むのだ。初めて見た時より膨らんだ白い肌と綺麗な桃色に喉を鳴らす。こんなにもやわらかい身体なのに、きみが求めるように強くすると壊れそうな気がして怖くなる。でも、それを望んでいるぼくもいる。


 本当にぼくらは………、ぼくは“恋の使い方”を間違えていない?


 あかるはどうして絵本やマンガに出てくる女の子みたいに、凄くおっとりしていてやさしいのだろう。どうして、見本みたいな敬語で話すのだろう。どうして、ぼくを好きなんだろう。どうして、ぼくとセックスをしたくなったのだろう。どうして、ぼくを……ぼくの精液なんかを飲みたいのだろう。どうして、こんなぼくの事を「いじわるでも、まひるくんは王子様ですよ。何も変わりません。わたしにとっては、ずっと王子様です」なんて言って頬を赤らめるんだろう。


「ま、まひるくん?胸に触って?後ろからぎゅっとして……、それから、あ、あの…」


 わたしの“下の方”に指を入れてください。

 あなたの好きなようにかき混ぜてください。


 多分、ぼくらの関係をみんなは薄々勘付いているだろう。ぼくらがセックスをしているって思っている。みんなはぼくの事を生真面目で、不器用なんていうから、みんなはあかるの事を“性”の事なんか知らなさそう、夢見る女の子だというから、みんなの想像で行われる、ぼくらのセックスは、さぞかし素敵なんだろうね。でも、現実は違うよ。ぼくとあかるは異常なくらいに互いを求めて、疲れ果てるまでするのが好き。互いの身体をたどってキスをしていくのが好き。一生懸命になってぼくを求めて、口の中に出される時も逃さないよう手を握るくらいに、ぼくの事が好き。必ず「まひるくんを飲んじゃいました」と従っちゃうくらいに好き。そんな、あかるの頭を撫でて褒めるとすごく喜ぶし、ぼくも少しだけ命令口調で言って、少しだけ酷くするのが好き。

 これくらい二人とも生臭いまでにいやらしい。でも、きっと、みんな、こんな事をしていると知ったら、嫌悪や軽蔑を抱くんでしょ?或いは笑って噂話になんかするんでしょ?


 でも、実際はね……、


「あっ、次は……………………」


 何も着けないでほしいの。直接、わたしに入ってきてほしいです。


 こんな事がハンカチを貸した時のきみが、未来で言うなんて誰が想像できる?足元に転がってきたサッカーボールを取ろうと、前屈みになった時に落ちる教科書やノートに頭を打つような、のんびりとしたきみが未来で使う言葉だなんて、誰が知っていた?ぼくらの思春期と、どこまでが正解か分からない性行為に対する知識と興味と求愛。全部がせめぎ合っていて、最後に判断させる答えが、本当のぼく、だと思いたい。


「駄目だよ、あかる。こういうのはしっかりしなきゃ」

「で……もっ。なっ、なかに出し、出しても大丈夫な日だからっ」


 駄目だよ。間違っちゃいけないんだ。


「直接っ、まひるくんを感じたいっ。誰にもっ、渡したく……ないっ」

「だめ」


 ……は、その子を妊娠させたんだ。“恋の使い方”を間違えるなって教えてくれたのに、大人なのに、コンドームをせずにセックスをしたから、誰かを傷付けたんでしょ?


「だめ」






「…………………はい。ごめんなさい」


 あかるの頭を撫でながら額にキスをする。何故か、あかるが少しだけ鼻をすすって泣くんだ。どうしたの?と聞いても、ごめんなさいとしか返ってこない。何か悪い事を言ってしまった?と聞いても、まひるくんはやさしいです、わたしが悪いの、としか言わない。最近、あかるが口癖のように言う“誰にも渡したくない”ってなんだろう。あかるの小さな入り口から繋がる時に、コンドームを着けているのと着けていない、たったコンマ数ミリの隔たりだけで前を歩くあかるに追いつけるのだろうか。ぼくらの世界がぼくらの為に変わってくれるのだろうか。きみの細い指が、ぼくの頬を包んで引き寄せると、きみの涙で鼻先が濡れ、不器用なキスの練習がされる。

 答えは、あかるが見ていた“ラブホ街”に行けば、落ちているのだろうか。どうして、ぼくらの年齢でセックスをしていると、変な目で見られるんだろう。膝にちくっとした感覚がしたけど、それがコンドームの袋だって分かっていたから、あかるの小さな入り口から入り奥や手前に何度も、ぼくの身体を擦り続けた。


 ベッドの上でシーツに包まり壁にもたれて、ぼくの脚の間にあかるがちんまりと収まって過ごしていた。両脚の間にすっぽり入るくらいに小さな身体。二人の呼吸が聞こえる、互いの汗や体液で身体が濡れている。ゆっくりキスをしたり、ゆっくり話をしたり、きみが「今日もたくさんしちゃいましたね」とか「いくら誘ってもまひるくんは、直接してくれません。ざんねんです」と言って不機嫌に頬を膨らましたり……。


「いや……だって、それは…………まだ……」

「分かっています。わたしはまひるくんに我儘だ。でも……でもね、本心だからすごくお願いしちゃいます」

「それでも着けずにするのは駄目だよ、あかる」

「やっぱり、まひるくんはやさしい」


 カーテンの隙間、外がオレンジ色から赤、白んで紺になっていこうとしていた。帰らないといけない時間が迫ると会話が静かになっていって、きみの呼吸が聞こえてくる。独りになる準備をする、呼吸。きみもぼくの呼吸を聞いたり、体温を覚えるのに集中しているみたいだった。


 玄関でスニーカーに脚を通して振り返り、廊下の奥を眺める。この白い家はあかるが過ごす場所以外は暗く、寒い。ほんのりと桜色の頬でいて、また唇を柔らかく少し噛んで下唇を小さな舌で潤す、きみ。ぼくらには互いの汗や体液がこびりついていて、あかるの口から入ったぼくの精液は、まだきみの中に残っているんだろう。きみはコンドームを着けずにするセックスを、求めた。でも、ぼくらはまだ……………、一眞兄ちゃんのように家族と喧嘩をしたり、家を飛び出す勇気なんて無いから。ぼくらは、まだまだ子どもで、もし、あかるにぼくとの…………そんな事が起きても、何も出来ないから。深いため息を吐いて、じゃあ、帰るね、と、ドアノブに手を掛けた。


「あ、あのっ、まひるくんっ!」


 あかるが裸足のまま廊下、式台から土間に降りて、自分の靴を蹴散らかして、ぼくのシャツの裾を強く引っ張る。






「どうしたの?あか……」

「水瀬さんとって、嘘ですよねっ?」


 ぼくと水瀬は校舎の人目の付かない場所や教室で、キスをしたりセックスをしたりしている。そんな事を見た事があるとか、それを目当てに見に行く三年生や同級生がいるとか、まるで目撃者がいるかのような“噂”が、あかるの耳に入っていた。


「うそ………ですよねっ?」

「くだらない」


 すぐに言葉を間違えたと分かる。今、ちゃんと言葉にしないといけないのは、あかるの不安に“それは嘘だよ”って目を見て言う事だろ。ぼくに降り掛かったつまらない噂話への感情なんかは、後でいいのに……。あかるの目からぽろぽろと雫が溢れていくのに気付き「あ、いやっ、くだらないっていうのは噂話の事だよ」と、また自分の事だけを守ろうとして、きみの想いを傷付ける。あかるが聞いたのは全部、嘘だから、単なる噂話で、作り話だからと言うだけなのに、どうして、こんなに後ろめたい気持ちになるんだろう。内緒でしていた悪い事がばれたみたいに、お腹や足元が心許ない感覚に襲われるんだろう。水瀬とは何も無いじゃないか、


 ──── 私は君となら“噂”になっても“噂”が現実になってもいいって言っているのよ。


 水瀬の健康的に少し焼けた肌と細く背が高いバネのある身体。

 あかるとはまた違う“魅力的な姿”が頭の中に浮かぶ。

 あかるとセックスをした時に見た姿が想像の水瀬の裸体と重なる。


 ぼくは心の底から穢れている。


「水瀬とは何も無いよ。クラスが一緒で、同じ時期に怪我をして部活を辞めたから、たまたまよく話してるだけだ」

「し、信じますよっ」


 こんな時だけ、すらすらと言葉が出てくる自分に腹が立つ。疑われているのに慌てず、躓かずに言葉が紡がれた事に腹が立つ。きみが言った“信じますよ”は、ぼくがきみを裏切った時に罪悪感や呪いとなって覚えるような言葉を選んでいるのだと感じた。今までなら“信じています”や“大丈夫ですよ”だったのに……。


 ぼくらの“恋の使い方”が生臭く、複雑になっていく。


…………………………


エンドロールが聞こえない。

第三十二話。終わり。

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