エンドロールが聞こえない。第二十七話

 始業式の日だから短縮授業で部活も無い。だから、直接、あかるのいる教室に迎えに行く事にした。開いた扉から教室を覗くと、ここもどこか、ぎこちなくって、ざわざわとした空気や、そわそわとした雰囲気でうるさい。名前を知らない女子が「藤原さん?」と声を掛けてきたから「あ、うん。そう。まだいる?」と返事をすると「藤原さーん、関口くん来てるよー!」と、何故か、その女子は、ぼくの名前を知っている。声の方向に目を向けると二年生になったあかるが半井と楽しそうにしていたのだけど、急に小動物が逃げ場を探すようにわたわたとし、ぼくを見つけると目を輝かせた。


「あっ、え、えとっ、せ、関……まひるくん!」


 恐らく、初めてじゃないだろうか。みんながいる中で、しっかりとぼくの名前が呼ばれたのは。少し散らかった机を縫って跳ねるように小動物が駆けて「わたしたち二年生ですねっ」と、目の前でぴょこんと飛ぶ。それは登校の時も話した事だ。あかるは二年生になってもあかるなんだな、と、頭を撫でようとして、止めた。二人きりの時の癖を、みんなの前でしそうになった事に驚き、それが普通として自分の身体に染み込んでいるのにも驚く。


「よお、二年」

「半井もでしょ」


 サッカー部では三年生が引退するまで、特に二年生への当たりがきつくて、一年生の時にぼくらは「おっかないね」とか話していた。もし、去年の二年生が今年、自分達にされた不条理をしてやろうなんて思っていたら、特に目立つ半井は強く当たられるはずだ。


「何の話してたの?」

「あのねっ、半井くんがねっ」

「秘密」


 興奮気味に話そうとするあかるに割って入る半井。その言葉にきみは「ううっ!」と言いたい何かを、手を上下に振って我慢している。この二人が…………あんな笑顔で話していた。それもぼくには秘密の話だ。また黒くて穢れた感情がお腹を重くしていく。ぼくの穢れた心が嫉妬とかいう黒い感情を底から湧き出させて、身体の中を汚していく。


「そう。じゃあ、ぼくは下で待っているよ」

「い、今っ、鞄を持ってきます!待ってて、ここで待っててくださいねっ?ぜったい!」


 慌てて自分の机へと小動物が跳ねる姿に半井は苦笑いで見ていた。


「藤原さんは相変わらずだ」

「そろそろ落ち着いて行動してもいいと思う」

「違うよ、関口」

「違うって?」


「相変わらず、お前の事が大好きなんだなって」


 微笑む半井が扉の枠にもたれ掛かり、彼の視線先には机から教科書やノートを慌てて鞄に入れるあかるがいた。


「関口と藤原さんは、ずっとこのままなんだと思う」

「このまま…………?」

「うん。良い意味でも悪い意味でもこのまま」


 半井らしくない、的を捉えていないような言葉。いつもならはっきりと言うのに、どうして、ぼくたちの未来は抽象的なんだよ。


「ぼくたちって、変だと思う?」

「変って、何だよ?…………まあ、六年間も片想いの末ってのは変だけど」

「いや、半井が何も思わないなら……大丈夫」


 自分の口から出た癖に“大丈夫”って言葉は何だろう?水瀬に言われた事を気にしているのだろうか。やっぱり、ぼくとあかるの間にある秘密は普通なんかじゃなくて、


「お待たせしましたっ」


 ふー、はふー、と、軽く息切れをしているあかるに「演劇部でしょ?心肺機能低過ぎない?」と笑った。するとすぐに攻撃になっていない自称・頭突きが腕にぐりぐりとされて、半井が「へえ。そうやって、藤原さんは関口に甘えるんだ」と、にやにやしたから「そう。いつもこうやって攻撃するふりをして甘えてくる」と、さっきの嫉妬をやり返したつもりだった。ぼくらの会話に真っ赤になったあかるが「二人ともっ、いじわるだっ」と頬を膨らませ、怒っているのに可愛い顔で、腕を目一杯「んんーっ」と足元に伸ばして抗議をするのだから、結局は“あかるの可愛らしさ”に笑ってしまうぼくと半井だ。二年生になっても、ぼくらは変わらないね。でも、もう一年、カレンダーをめくって、何も変わらずにいられるだろうか。半井の言った“良くも悪くも、このまま”が、喉に引っ掛かった魚の小骨みたいになっていた。


 今日は“さよならの神社”で歩みをゆるめる事無く、また鳥居をくぐる事もない。あかるは学校帰りに、ぼくの家に寄ることになっていた。最初はお弁当を持ってくると言っていたけれど、母さんが「よければ、あかるさんのお食事も用意するわよ」という提案に甘える事にしたのだ。鳥居の前までにこにこと話していたきみが、何かに気付き、ぴくりと眉をひそめ、徐々に会話がぎこちなく、声が小さくなっていく。制服のお腹の辺りをきゅっと握り「ま、まひるくんのお家で、ご飯を頂くの……はじめてだ」と不安を口にした。


 心配するのは、そこ?と思えるのも、相変わらず。


「それを言えば、家族で食べるのもだけど……」

「ひゔっ」


 ふいに出た言葉が追い打ちをかけ、きみが不安そうな目で「ま、まひるくんっ、すごく!き、緊張っ、してきましたっ!……どうしようっ!?」と“ハの字”の眉が、どんどん傾いていく。どうしようも何も………。


「あっ、あと……っ。今日は制服………………よ、汚せませんっ」

「それは、どっちの意味で?」


 きみが首を傾げ、しばらくしてから顔を真っ赤にして「ば、ばかあ」と、ぽかぽかと攻撃になっていない手で叩いてくる。笑うぼくに、真剣な顔で「そ、そういう……のはっ、クリーニングの前の日とか……っ!ちゃんと、お伝えします…………から…………」と耳を真っ赤な耳にして俯いてしまった。揶揄ったつもりだったのだけど、あかるの答えは“そういうのもしたい”って事だ。


「わ、わたしだって……まひるくんとの、そんな想像……します…よ………」


 頬を膨らませ、色っぽく口を尖らせるきみに意地悪をしたつもりのぼくがやられてしまう。


 門を潜る前に玄関戸が少し開いているのが見えていて、飛び石をひとつ、ひとつ、と、踏むたびに玄関先で母さんとばあちゃんが慌ただしくする影が見えてくる。残りの戸を開けて「ただいま」と言ったそこには、出掛ける支度がされていた。


「眞昼、ちょうど良かった……あかるさん、こんにちは。入ってきて」


 ぼくの後ろで、ぴょこぴょこと挨拶をするタイミングを伺っていたあかるが「お、お母様っ、お婆様っ、こっ、こんにひわっ……じゃなくて!こんにちはっ」と、またも惜しいところで噛まれた挨拶。きみの一所懸命に険しい表情をしていた母さんとばあちゃんがほころぶ。


「眞昼、おじいちゃんが大きな病院に移る事になったのよ」

「えっ……いや、今の病院も大きい…………」

「もう少し大きな病院へ行くの」


 じいちゃんが入院した夜に思った“ああ、やっぱり”が、どんどん積み重なっていく。積まれたそれらが目に見えるものとして出来上がって、高くなっていく。毎週のようにお見舞いに行く母さんと、三日に一度、お見舞いに行くばあちゃんから聞く“少しずつ、快くなっているよ”。それは“ああ、やっぱり”が鋭利な形になっていて、喉元に突き付けられる感じがしていた。


「あ、あのっ?まひるくんも病院に行かれますか?」


 あかるの声が響き、あかると過ごすはずだった午後が未来から無くなっていく。


「どうする眞昼?お母さんたちに着いてくる?」


 ぼくは“恋の使い方”を間違えて、何かを不幸せにして庭の桜の木の栄養に…………、あの桜の木の下に屍体を埋めて…………春に綺麗な花を咲かせる栄養を……。


「…………………………ぼくは」

「も、もし!お母様たちが宜しければ、わたしもご一緒してはいけませんかっ!!?」


 振り返ると見た事のない、しっかりとした表情で訴える大人のあかるがいた。


「ご迷惑になる事と我儘なのは分かっています。だけど、わたしは、お爺様に良くして頂いたから……っ」

「あかるさん、会えなくてもいい?眞昼も、もしかしたら会えないかもしれないけれど……それでもいい?」


「わたしは待合室で待ちます。それが駄目なら病院の外でもいい」


「ぼくも、あかるにはそうして欲しい……………じいちゃんもあかるには近くにいて欲しいはずだから」




「いいですか?お義母さん?」


 ぼくらの会話にばあちゃんは、終始微笑んでいて「ええ、もちろん。その方があの人も喜ぶ」と板間に手を突き、あかるに深々と頭を下げて「ありがとう、あかるさん」と言ったのだ。


「あ、やっ、そ!そのっ!頭を上げてください!わ、わたしは、我儘をっ、お、お爺様にも……!」


 きみの言葉の大混雑に少し笑い、ばあちゃんの細くなった両手と丸くなっていく背中に苦しくなって、ぼくは気持ちを誤魔化す為にじいちゃんがあかるの事を気に入っていて、ぼくを会話に入れてくれないくらいに独り占めしていた事と、にこにことあかると話していた秘密をばらしてしまった。


 病院に向かうバスの中、窓から入ってくる春の陽射しは小学校を卒業した“偽物の春”とは程遠いものだと感じる。肌にじんわりと柔らかく刺さる本物の春。隣に座る、きみの表情がバス停をひとつ過ぎる度に不安に犯されていく。だから、きみの両膝に揃えられた手の上に手を重ね「あかる、ありがとう。本当にありがとう」と何度も繰り返した。


「わたしは……お爺様によくして頂いた。まひるくんをよろしくって頼まれた。わたしを認めてくれた」

「うん。きっと、じいちゃんはあかるが会いに来ているの喜ぶよ」




 このバスは、さよならのバスだ。




 午前中の受診がまだ終わり切らない午後の病院は、待合室だけではなくロビーや通路にも人が溢れていた。入院棟のエレベーターも面会をする人で定員になり、ぼくは壁に手を突いて、人に埋もれてしまう小さなあかるを守る。独特な生活の匂い、薬の匂い、不思議な香りの昼食の後、胸騒ぎ、救急車の音。騒がしい廊下の奥の奥へと進んでいくと、少し灯りが落とされ、妙に静まり返った廊下の奥にじいちゃんがいると言われた。


「あかるさんは……この休憩室で待っていてくれる?」

「はい」

「母さん、ぼく……ひとりで行ってくるから、あかるをお願い」


「眞昼……、一人で大丈夫?」


 ──── うん。


 看護師さんに付き添われ奥へ進み、数字しか書いていない真っ白な扉を開けると、等間隔で鳴る電子音と薬のきつい臭いで満たされた部屋にじいちゃんが寝ていた。ベッドの横にパイプ椅子を持ってきて座り、掛け布団から点滴の管を挿すために出されていた知らない誰かの痩せた左手を握る。


「じいちゃん……眞昼だよ。あかるも来てる」


 いつも綺麗にひげを剃って、必ず服も乱さずに着るじいちゃんの顔に、真っ白なひげが生えていて病衣が少し乱れていた。そんな変なマスクを口元に付けていたら息苦しくない?身体一杯に管を繋がれていたら何も出来ないでしょ?


 ………ねえ、あかるが来てるよ、じいちゃん。

 じいちゃんの好きなあかるが来てくれたんだよ。




 ああ、やっぱり。

 少しずつ、少しずつ、形になって、




 出来上がった時に、崩れる。


「じいちゃん…………………………、一眞兄ちゃんと仲直りしてっ」


 看護師さんに面会時間の二十分を過ぎたと促された。振り返ると真っ白な灯りの下で眠る真っ白なじいちゃんとぼくの何かが、扉を閉められるのと一緒に切れたように感じたのだ。


 休憩室に戻ると母さんが強く左腕を掴んできて「おじいちゃんに会えた?」と聞くから、こくっと一度だけ頷き、たくさん話もしたよ、と、伝える。母さんの目が赤くなっていて「そう……………………良かった」と、ほんの少し涙を浮かべたのだ。


 積み重ねられてきた“ああ、やっぱり”は、もうすぐ形が出来上がって、崩れるのだ。




 さよならにむけて。


…………………………


エンドロールが聞こえない。

第二十七話、終わり。

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