エンドロールが聞こえない。第十七話
小さな頃から頭の上にある大きなお椀のような空は、ぼくをここから出られないようにしていて、目が回る速さで変わっていく周りに焦るぼくを閉じ込めている。そんな、ぼくの姿を見て、誰かが笑っているんだと思っていたのかもしれない。
松葉杖を使っていても膝を庇い歩くから身体の重心がずれて、別の筋肉に負担がかかり一日が終われば、脚どころか身体が疲れてくる。だから、邪魔で仕方がない松葉杖に感謝をするもどかしさ。放課後も、朝のように半井が荷物を持ってくれて一階までの階段を降りていく。あかるはというと「まひるくん、ゆっくりですよっ」と、真剣に応援してくれる。
「なあ…………関口?部活見に来てさ、辛くねえの?」
「なんで?」
「いや…………うん、なんとなく」
「な、半井くん!まひるくんは、サッカーを見るのも好きですからっ!」
「藤原さん!いきなり後ろからおっきな声はびっくりするよっ!?」
うぅ、ごめんなさい、と、縮こまるあかるに微笑み、階段の途中で立ち止まって、その段差でようやく同じ目線になるきみの頭を二回撫でた。
「あかるはやさしいね」
「ま、ままっ、まひるくんっ!こんな所でっ……困……り………ます…」
「その割に避けたりしないね?」
「やっぱり、まひるくんはいじわるだっ」
相変わらずのやりとりに、半井は「はいはい、ご馳走様〜」と笑いながらも「意地悪なのに、藤原さんは何だか嬉しそうだね?」と言えるくらい、二人の距離が近付いていた。
「な、半井くんもいじわるだっ!」
こんな会話の中に三人の人生や恋が乗っかっている。あかるは半井がきみの事を好きだなんて知らないんだろうね。半井は、ぼくが半井に少し焼きもちを妬いているだなんて知らないと思う。あかるは、ぼくの事を想っていてくれているはずだ。
みんな、それぞれの“恋の使い方”をしているんだろう。
グラウンドの隅に置かれたベンチから見る練習試合で気付いた点をノートに書き込むのが、ぼくなりの部活動となっていた。一ヶ月という短期間、離れていただけで知らない動きがたくさん加わっている。ひとり、ひとりのパフォーマンスや動きも変わっていた。ピッチの上で自分ならどう動くだろうと考え、ノートに書き込む事が増えていく。みんなの動きを見ていて、ふと手が止まった。脚が完治して練習や試合に参加できたとしても、この動きに着いていけるんだろうか。そう考え出すと、心が折れそうになる。そもそも前のように走れるかも分からない。テーピングで固めた膝を見て、また心が折れそうになる。あの時、脚が妙な着き方をしたと分かっていたのに、前へ進む為の推進力を加えた。怪我をするって分かっていて、誰よりも前に進もうとしたんだ。
自分が悪い。全部、ぼくが悪い。
心が折れそうになれば、こういう風に考えて、なるべく遠回りして誤魔化しながら考えてるのが癖になり始めている。何度考えても、答えは分かっているのに。
『サッカーしてる所、見たこと無い!』
あかる……?
半井ならぼくより巧い姿で見せる事が出来るよ。
「……こんな。ぼくの嫉妬にやきもきする為に見学しているんじゃないのに」
最近、自分でも変だって思うくらいに苛立っていて、何かに八つ当たりをしそうになるくらい胸の内に鉛のようなものを溜め込んでいる。その事を解決する事も出来ず、上手く立ち回る事も出来ない。それが情けなく思えてきて、凄く落ち込んだりもする。
「格好悪いな……ぼく」
部活が終わり散り散りになる生徒達の中、あかるを待った。女子の中でも一際ちんまい身体で、小学生に間違われると言って怒っていたくらいの幼さを残す雰囲気。つい半年前までおどおどとしていて弱気だった彼女が、中学校では演劇部に所属して大きな声で演じる頑張り屋。下駄箱から何センチか想像も出来ないくらい小さなスニーカーに履き替えられる、きみの足。ぼくに気が付き、ぱあっと顔が明るくなる。
「まひるくんっ。待っていてくれたんですかっ?」
「いつもそうしているでしょ」
「違うよう。毎日、まひるくんが待っていてくれることは、いつもだからで済ませられることじゃないのだから」
たまに不思議な事を言うのは、夢見る乙女だからなのかな。そもそも幼稚園の時にした一目惚れで六年間って、本当にずっとぼくだけだったんだろうか。一度も他の奴を好きになった事が無いって、本当なのかな。一緒に帰るようになって合ってきた二人の歩幅が、怪我によって、またリズムを合わせ直さなきゃいけなくなっていた。
「まひるくん。今日、階段で頭を撫でてくれたの……本当は嬉しかったんです」
「うん?ああ、うん……そう」
少し苛立ち、考えていたあかるの事で、つい返事に戸惑い間が空いてしまった。だから、きみは何かを察して「いじわるって言って、ごめんなさい」と、関係の無い心配をさせて謝らせてしまう。咄嗟に「いや、違うよ!……今日の部活、練習試合で見付けた事を考えていて」とそれらしい嘘を吐いて誤魔化そうとした。あかるも一眞兄ちゃんのように、すぐに嘘だと分かって悲しそうな顔をするのに、ぼくはその表情に気付かないふりをする。どうして、ぼくばかり一眞兄ちゃんの事と、あかるの事を考えなければいけないんだろう。ぼくは自分の事でいっぱい一杯なのに、それ以外の事は意地悪をするようにのしかかってくるように思えてならない。
後、少しすれば“さよならの神社”に近付いた時、何も言わずにあかるがぼくのシャツを引っ張った。
「どうしたの?」
「……今度、お家に映画を観に来ませんか?」
あれ以来、あかるの家には行っていない。少し伏せた目、水分と光を溜め込む瞳に神妙な表情は“映画を観ない事をしよう”と誘っている。何となく、あかるから視線を空の雲にやって頬を二度掻いた。鞄をごそごそとするあかるに視線が落ちて、真っ赤になっているきみを見る。
「手を出して下さいっ。両手っ!」
「ん?あ、はい」
珍しく終始、あかるのペースに敬語を使ってしまう、ぼく。ぽん、と、ちいさな両手がぼくの両手に重なり、何かが手のひらの皮膚に貼り付く感覚がした。ぼくの手の中にきみが置いた………、
コンドームの入る袋。
母さんに“その時”が来てもいいように、ちゃんと準備をしていなさいと言われたまま何もしなかった“それ”を、あかるが持っていた。
「は、恥ずかしかったから隣の町までいって買ってきましたっ」
「あ、……うん。その、ご、ごめん。こういうのって、ぼくが……」
きみは耳まで真っ赤にして、ふるふるふる、と首を振る。その大きな瞳でぼくの目を見つめると、息をひと吸いして綺麗な声で美しく伝えてくる一番最初で一番最後の想い。
わたしは、まひるくんが最初のひとでいてほしいと願いました。
あなたとのことをたくさん考えて、そう答えを出したの。
まひるくんもわたしを選んでくれるなら教えてください。
そうひと息で綴った言葉の後で照れ、真っ赤な顔で笑う。どうして、いつもおどおどしているあかるは、こういう時にしっかりと芯を持った言葉を選べるの?いつもは言葉を選んで、選んで、選び過ぎて、自分の事すら伝えるのが下手なのに、初めては“ぼくらふたり”がいいだなんて上手く伝える事が出来るの?
最初は、一番初めの一度が最後。
一度切りを失うと、もう二度と最初には戻れない。
不器用にも少しずつ自分で布団が敷けるようになってきたのに、母さんが心配そうに部屋にいる。大丈夫だと言っても「一応、ね?」と小さく笑うのだ。母さんが「おやすみ、眞昼」と部屋から出て行き、しばらくしてから一眞兄ちゃんの布団を敷く。夕方、あかるがぼくの手に置いたコンドームの袋に触れた瞬間から世界が変わったみたいになっていた。痛いくらいに打つ鼓動は治まらずに、手に残る初めて知った感覚がこびり付いて取れない。あかるの体温と身体のかたち、やわらかさを思い出して手を握ったり開いたりしてみた。こんなどきどきして、いやらしい気分のまま眠られる訳がないよ、と呟く。兄ちゃんがいれば、たくさん話して、兄ちゃんの話も聞いて、いつの間にか寝てしまっていた夜の過ぎ方をまだやっていたのかな。今は、何度も、何度も、想像のあかるにいやらしい気持ちをもってぶつけて、そんな感情にだけ支配されて良いのだろうかと怖くなる。そして、今日、きみはそれを“きみ自身の身体”にしていいと告げてくれた。
今夜、あかるはどうしているのだろう。前、“映画を観れなかった”時に、触れたあかるの身体に、まだ、ぼくの手の感触が残っていて、それを追ったりしているのかな。ぼくと同じように、いやらしい気持ちになっていてくれているのかな。
ふっと“孤悲”という言葉が頭をよぎる。
これがもし“悲しく独りで寂しい夜”だったなら、ぼくは何を思うだろう。きっと、そんな夜は耐えられないから“恋の使い方”を間違ってなければ、いい。これから進む恋というものの道が間違っていなければ、いい。
それだけを強く願う。
…………………………
エンドロールが聞こえない。
第十七話、おわり。
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