エンドロールが聞こえない。第十一話
その映画はイタリアが舞台の映画で、ある町の映画館と、その主人である映画技師、そして、映画技師に憧れる子どもの話。古く、くすんだ画面の中で主人公は、はしゃいでいるのだけれど、その反面で町は退廃的で大人たちの表情は暗い。この映画は第二次世界大戦の真っ只中で、ある日、お母さんはお父さんが戦死した事を知る。淡々と進む大人の世界と子どもの世界。“検閲”で切り取られていくフィルムの数々が箱の中に収められていき、映画技師のおじさんは、絶対に“秘密”を見るなと主人公の子どもに強く言った。ぼくの左隣で食い入るように画面を観る体温。すこし、口を開けたまま何かを言いたそうにしたり、時に口を一文字。あかるの癖である唇を甘く下唇を噛んで、ちいさな舌で潤したりしているのを盗み見していた。映画の主人公が成長していくなかで、ふと気付いた事、
「あかる?映画に……最初より色が着いてない?」
え?と、あかるが、ぼくの顔を見た後にテレビに視線を移し「本当……だ。最初より綺麗に、色も鮮やかになっている」と言って、ふるっとちいさく震え、すこし動いたあかるの左肩とぼくの右肩が触れた。肩をすくめ「あっ……ごめんなさい」と、ぼくを伺ったようだったから、ぼくは、きっとね“恋の使い方”を間違ってみてもいいって思い、言葉にした。
「もたれていたら?」
「う、うん。いいの?」
「じゃあ………やめておく?」
「い、いじわるだっ」
わざとぼくの左肩に、力一杯、といっても、とんっ、くらいの力でぶつけてきた後に、額をぐりぐりと擦り寄せる。そして、笑う二人。これが“恋の使い方”を間違っているのだとして、間違っていない方には……きっと、こんな笑顔は無かったはずだ。
映画の中で主人公が惹かれた女性は恋というものの美しさを描いていて、その楽しそうで幸せな光景に、ぼくらもこうなればいいと微笑んでいたと思う。だけど、その恋が不条理に終わった時、あかるの目から大きな雫がぽろぽろと落ちて、頭の赤くなった鼻を何度も鳴らした。だから、きみの指を探し、しっかりとむすぶ。ぼくたちは違うよ、なんて、何の自信も保証も無いのに、そう強く強く想って握ったのだ。
「やっぱり……まひるくんはやさしい」
「あかるが教えてくれたんだよ」
少なくとも一眞兄ちゃんは教えてくれなかったんだ。もしかして、“恋の使い方”は間違わないようにする為に目一杯使って、間違えて、痛い目に合いながら使い方を覚えていくものなんじゃないか。始めから間違うのが怖いからと、びくびくしていてはいけないんじゃないか。そうじゃなければ、ずるずると何かを少しずつ失うだけのような気がする。すこし前を行くあかるが去っていって、その先にいる誰かに追いついて…………ぼくは置いてきぼりなんて事があるんじゃないか。
とても長い映画だなと思って、時計を見ると二時間はゆうに超えていた。子どもだった主人公も随分と歳を取り、憧れだった映画技師も亡くなって故郷も寂れた。映画の仕事、憧れた世界で成功した未来。多くの椅子が並べられ、スクリーンのある部屋に主人公が一人座って、始まる、何度も強く見るなと言われた箱の中の“秘密”。
古いフィルムから紡がれていく“恋”や“愛”の形。ぼくとあかるがまだ知らない“好き”や“愛している”の表現方法。ぼくが握ったきみの指にやわらかく力を入れると、それに応えるようにきみの弱々しい力が返された。ふたりとも何も言わず、見つめあっていて、あかるの頬は赤く、やさしい目が潤んでいる。頬に触れると、くすぐったかったのか、肩をすくめた後に目を閉じて、いつものように擦り寄せてきた。
「そうするの好きだね」
「うん。安心するの」
たくさんのキスシーンがテレビに映し出される中で、生まれて初めて、そのやわらかなあかるの唇に唇で触れた。キスの仕方が分からないから鼻をぶつけてしまったけれど、ふたりともやめずに唇でふれあう。あかるが、ぴくっと反応して、すこし離れると熱い息を感じ、今度はあかるから求められる。そのまま、こてん、と、ぼくの胸に埋めたあかるの顔が物凄く熱い。長い髪からすこし出た耳の先が絵の具で塗ったみたいに真っ赤だ。ぼくも、きっとそうなっている。
「……ひるくんと……スしちゃった…………」
ちいさく聞こえたそれ。また胸に額をぐりぐりし始める。
「……安心、したいのかな?」
そう聞いても何も答えず、こく、こく、と頷くあかる。
あかるは、ぼくとこうなりたいって、いつ頃から想っていたんだろう。
幼稚園から?キスの存在を知ってから?ぼくと付き合ってから?この映画をふたりで観たから?
真っ赤になった耳と髪の間から見える紅い“うなじ”と、ワンピースの隙間から見える背中のすこしと………すこし、膨らんだ…………胸の為のそれ。顔を埋めた胸元のそこから見上げられて、溶けそうな笑顔の涙目で「うれしい」と言われる。
この先に起こる事は、この時に“恋の使い方”を間違ったからなのか、すこし先を進むあかるに追いつこうと、ぼくが無茶な走り方をしてしまったからなのか分からず、今も……ずっと胸を締め付けたままだ。
ぼくの胸の中から見上げ、ぼくを見つめるあかるの顔。多分、十秒くらい……いや、一分とか二分だったかもしれない。あかるは、こんな事をして、喉が乾いて焼けそうになったり、心臓が壊れて部品が喉につっかえそうになったりしないのだろうか。ぼくの胸に両手置いて、ゆっくりと身体を起こし、うつむいたままのあかると気まずくて頬を掻くぼく。その頬を掻いていた手を、彼女の熱い両手が追いかけてきて、強く握られ、
幼稚園の時や小学校の時より膨らんだ、あかるの左胸に当て、離れないように、ぎゅっと手を抱きしめられた。
「あ……」
あかる?って言おうとした。どうしたの?こういうのはまだ早いんじゃないかな?って言おうとした。熱くて、ふくよかで、やわらかなそれに身体全ての感覚が集まる。
「ご……んなさい。ごめん……な…さぃ」
ぼくの腕に、あかるの手に大粒の涙がぽたぽたと落ちて跳ね、濡らしていく。あかるは、すこし先を歩いているんじゃない、ずっと先を歩こうと頑張っているんだ。ぼくとこうなりたいと強く願った幼稚園の時から、ずっと前を歩いて、歩いて、ぼくといなかった時間をも埋めてしまおうとしている。
ぽんぽん。あかるのお湯が沸かせそうな熱さの頭をやさしく撫でた。
「嫌いに……っ、ならないでねっ!?」
「ならないっ……よ。……あかるの胸、やわらかくて、温かくて、丸っこくて、どきどきする」
あかるは自分の事なのに分からないの、と泣く。学校で習ったそれだとは知っているけれど、怖い、どうしたらいいのか分からない、と泣く。ただ、ただ、ぼくに身体を触れて欲しいと想いだけが走り回って、強く願い、身体が熱くなっておかしくなると泣く。そんなの……ぼくも。まだ“恋の使い方”を知らないぼくらを笑うように、テレビからは映画のエンドロールと綺麗な音楽が流れているみたいだけど、それが今のぼくには聞こえない。“お前”は知っているかもしれないけれど、ぼくらはまだ知らないんだ。
人の恋を笑うな。
「……ま、ひるくんは……わたしと…………その……いやら……しぃ、こと…………」
「したいと思ってるよ。ずっとエッチな事もしたいと思ってきたよ」
大きく目を開いて勢いよく顔を上げたから、大粒の涙と涙になる予定だった水分が花火みたいにパッと散って光った。
「でもね、あかる?ぼくらはまだ子どもで……」
「うん、うんっ」
「きっと、何かあったらぼくらだけじゃなくて、みんなが大変なんだ」
「うんっ!」
「あと………まだ、ぼくも…………よく分からなくて、怖い。あかるの身体に触れたい、裸も見たい、裸でぎゅっとしてみたい。でも、怖いんだ」
だから、ゆっくりと進めていかない?あかる?
ぼくと一緒にしっかりと知っていかない?あかる?
少しずつ互いに怖いのをなくしていかない?あかる?
ふたりの事を、ふたりで守っていかない?あかる?
「うんっ、うん!まひるくん、ありがとお」
その“ありがとう”の言い方は幼稚園の頃から変わらないね。でも、それが好きだよ。あかるの声で鳴る“ありがとう”が大好きだよ。
「ゆっくりキスをして、ゆっくり……すこしだけ、胸に触れていてもいい?」
「うんっ、うん!嬉しい、嬉しいっ。ぎゅってするのもして……欲し…」
ぼくらは不器用?
上手く“恋の使い方”が出来ていないの?
一眞兄ちゃん、ぼくらは間違っているの?
誰か、誰か、誰か……正解を教えて。
それから空がオレンジ色になるまで、あかるのちいさな身体をぎゅっとしたり、キスをしたり、お喋りをして笑って、またキスをして、胸に触れて、ぼくの身体にもあかるが触れたりして、ふたりで間違いでも正解でも無い事をしていた。
「あかる?勉強、するんじゃなかったの?」
「い、いじわる……だっ」
また熱くなった顔をぼくの胸元に隠れるように埋めて、額をぐりぐりとするから、笑って、頭を撫でると顔を上げた、そのやわらかくて、ちいさな唇にキスをする。もっと、もっと、ぎこちなくなく、上手に出来るまで、たくさんしたいと思いながら、する。
きりん、きりりん、きりん。
…………………………
エンドロールが聞こえない。
第十一話、おわり。
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