エンドロールが聞こえない。第十話


 藤原あかるとぼく。ふたりで選んだ“雨宿り”、境内の物置小屋にある軒で彼女が言った「小さなことでもいいから、わたしを褒めてくれませんか?」は、ぼくをすこし困らせた。あかるを褒めるって、何を褒めればいいんだろう。きみはちんまりとしていて、制服もまだぶかぶか。おおよそ、中学生には見えないきみの幼稚園の頃から今までを浮かべ、順に重ねていく。見えてくるきみの違いと、すこしずつ変わっていくところ。


「あまり、びくびくと過ごさなくなった」

「うん、うんっ。心配させるのはよくないからがんばっているよ」

「自分で何かを変えようとしているように見える……かな」

「まひるくんを心配させるのは良くないから、がんばってるっ」


 午後の部活動の時間、雨音のなかで他の生徒に身長では埋もれながら、大きな口を開けて唄っていたあかるに、びっくりしていた。きみが“主張をする”場面で、あんなに背筋を伸ばして、しっかりと前を見て声を出していたことに驚いていた。


「はじめて……っ、はじめてっ、好きなことをしたいって言えてっ、がんばってる!毎日が楽しいの!」


「綺麗だ……と思った」

「き、き……れい?」

「うん、綺麗」


 演劇部の何十人の中から、すぐにあかるのことを見つけられたのは、背が低いからとか、誰よりも幼く見えるからとかじゃなくて、ぼくがきみのことを好きだからだと思う。背筋を伸ばして唄うきみに見惚れていたのは綺麗だったからだ。


 どうしてだろうね。つい一年前までのどきどきとは違う感情で、心臓が音を立てて跳ねているんだよ。半年前にはなかったあかるの魅力に目がいってしまう。きみは気付いているのかな。やわらかそうな身体がどんどん魅力的になっていっていて、つい見てしまうってことを知っているのかな。いつも、きみの白い肌を思い浮かべては悪いことをしているような、そんな汚らしいことをしているんだよ。ぼくは汚いから身体の内側に、どんどん濁ったものが溜まっていくから、溜めておくと酷く苦しいから。絶対に先生や教科書に書いていたことは嘘だから。我慢をするのも、後悔をするのも、酷く悲しくなるのも、気持ちよくなるのも、全部、やめられないなんて知っているのかな。


「まひるくんは身長伸びましたね」

「え?」


 ぼくの手を取り引っ張ると、それを支えに踵を浮かせ、あかるが背伸びをする。きみの左手が頭の上にやさしく置かれ「ほら、こんなに高くなってる」と笑った。


とん。


 手を握ったままあかるが、腕にもたれかかるよう額を引っ付け、熱い両手で、ぼくの手が握られる。いつも、あかるはぼくの一歩先を歩く、すこし、おとな。それなら、ぼくの歩幅に合わせようと早足になる登下校の時のきみのように、ぼくも“すこし、おとなのきみ”を追いかければいいんじゃないのか。


「あかる?ぎゅって……抱きしめてもいい?」


七月二十五日。夏休み。

 ぼくとあかるは部活動の休みと予定を合わせて会うことになっていた。今日という日の三日前、夕方に掛かってきたあかるからの電話で『わ……わたしの家で………!映画を観ませんかっ!?』と、わたわたしている姿が見える声を受話器のスピーカーが鳴らす。ごくり、と、ぼくの喉が鳴り、それがあかるに聞こえなていない事を願いながらも、頭の中は汚らしい想像が駆け回ってしまう。電話の向こうから『しゅ、宿題……っ、宿題もするんですよっ?』と裏返った声が鳴ったものだから、もう何だかなあ、と、きみの“そういう所”を自覚して欲しいとも思った。


「あかる……さ、その……………もうすこし自覚した方がいいよっ」

『えっ?えっ?えっ?』

「んんーと……………っ。言い……にくい。ごめん。でも、他の人には、そんな話し方とか声は聞かさないで欲しい……かな。ごめん」


『……っ!しないしないしない!しないよおっ…………ば、ばかあ』


 馬鹿って……。あかる?その一所懸命さもまた、ぼくには…………いや、ぼくは馬鹿かもしれない。恐らく、電話の向こうにいるあかるは顔が真っ赤になっていて、お湯が沸かせるくらいに熱くなっているんだろう。今のぼくみたいに。


『わ、わたしの一所懸命とか……まひるくん以外知らなくていいっ』


 本当にそうだと良い。そう強く願っていた。


「三丁目の二十……って、この辺りだよなー」


 あかるに教えてもらった住所。それを書いたメモを握りしめて歩いているのだけれど、待ち合わせの公園が見つからない。この辺りには、あまり来たことが無いなと考えていると、白く小さな“向日葵”みたいな帽子を見つけた。去年の夏休みのように、真っ白なワンピースを着て、大きな麦わら帽子を被った“可憐”という言葉の女の子。


「お待たせ。ごめん、少し迷った」

「うん、うん!大丈夫ですっ!わたしもさっき来ましたからねっ?」


 夏の光が眩し過ぎるから?今年は蝉がたくさんいて、わんわんとうるさいから?それとも今日が暑いから?この町にいるのは、ぼくたち二人だけみたいな感じがして、不思議な感覚がする。いつもの二人の世界なのに、広くて足がすくむ。


「え……っと、まひるくん?行きますか?」


 どうして、きみはすこし先の大人を進めるのだろう。いつも、あかるの背中を見て気付かされる。まだまだ、ぼくは子どもだ、と。隣を歩くきみを見下ろすと麦わら帽子の影ですっぽりと隠れるくらいなのに、そのどこにそんな力や勇気があるのだろう。


「お、おじゃまします」

「はいっ、よくいらっしゃいましたっ」


 靴を脱ぐ為に紐を解いている隣で薄ら汗をかいて、すこし頬の赤いあかるがはにかんでいた。そんな近くで見つめられると、紐を解くはずの指が絡まる。眉をひそめ「あかる……そんなに見られていたたら紐が解きにくい」と苦情を伝えると、目をまん丸にして、両手を頬に当て俯いてしまった。


「いや……、怒っているんじゃないよ」

「ち、ちがう。違うの………む、無意識……だった。恥ず…………かしい」


 そうやって、ずっと幼稚園からぼくの事を追いかけていたのかな。ハンカチを貸したくらいの出来事で、どうして、そこまで好きになれんだろうか。


 改めて、おじゃまします、と言って踏む廊下。静かだと思い、あかるが一人っ子だった事を思い出した。とっ、とっ、とっ……、小さな一歩で進んでいくきみに着いていく。その真っ白なワンピースの背中に「お母さんとかお父さんは?」と尋ねた。振り向きざまに汗で湿った髪が踊り「いつも、お仕事でいないんですよ」と、どうしてそんな普通の事を聞くの?みたいに自然に答えられた。え……っと、それって、今、家に二人きりって事だ。二人ぼっちだと思うえるくらい広い世界にある家の中で、本当に二人だけになっている。そう考えがたどり着くと、胸とみぞおち、お腹の底が、ぎゅうううっと締め付けられて苦しいのに、きみが「麦茶とりんごジュース、どちらがいいですか?」と笑っているのだから、ぼくは情けないなあ、と苦笑いをしてしまった。


 二階にあるあかるの部屋は、ぼくの一眞兄ちゃんの部屋より、ずっと暑く感じる。小走りにリモコンを取って「涼しくしますねっ」と、白いワンピースの胸元を掴み、ぱたぱたとするのだから目のやり場に困り、視線を外す。それくらいで見えてしまうくらい胸元の開いた服じゃないけれど、すこしだけ肌色が多く見えてしまうから部屋の観察をしておこう。気にしてないって、顔でいよう。


「……意外だ、あかるってマンガ読むんだね」

「うん。そのマンガはね、小さな頃から読んでるの」


 確かに本棚に並べられたマンガは、これ以外に数冊しかない。あかるの熱を左隣に感じて、目をやるとそこに立つ、きみ。ぼくは、いつの間にか、きみの体温すら覚えてしまっている。ぼくが気にしたマンガは演劇の話なのだと言った。ひとつの役を巡り様々な困難があり、乗り越えて、演じるまでの話。


「すごいな、あかるは」

「え?」

「あ……いや。多分………だけど、このマンガの主人公みたいに叶えようとしているんでしょ」


 ぼくの目を見て、すこし首を傾げ、微笑み、目を細めて水分を溜めていく。いつかみたいに「うん、うんっ」と小さな声で返事をしたから、彼女の頭を「すごいね、あかる」と撫でた。どうして、こんなにも頑張るきみの事を、きみのお父さんお母さんは誉めないのだろう。こんなにも気の小さなあかるが入部希望欄に『演劇部以外は入りたくありません』とまで書いて、毎日頑張っているのに……。


「まひるくん……っ。まだ……体の熱が取れていないけれど、その…………この間みたいにっ、ぎゅってして……くれま……せん…か?」


 初めて、ぼくの家に来た夏。十分だけの約束で、すこし指を繋いだ真っ白なワンピース姿のきみは、一年経った今日はぼくの腕の中にいた。夏の陽に照らされたから熱いのか、恥ずかしくて熱いのか分からない体温が、あの日と同じ真っ白なワンピース姿で、ぼくに絆されている。ぼくは家族にたくさん褒められて、毎晩のように一眞兄ちゃんと話し、褒められ、相談にも乗ってもらえて、勇気づけられてきた。でも、あかるはこの部屋の、このベッドで、ずっと一人きりだったんでしょ。褒められたり、頭を撫でられたり、話をしながら眠ったり……ぼくにとっての当たり前と、あかるにとっての憧れを出来てなかったんでしょ。ぼくら“恋の使い方”を間違ってもいいから、こうやって、きみの足りない何かを埋める事をしたい。そう思った。


 エアコンの冷えた空気が部屋を快適にし始め、あかるは照れ笑いながら「自分でお願いしながら、恥ずかし……ぃ」と言って離れた。それなのに、ぼくの左の袖は離していなくて、反対側の手は握って口元を隠すようにして「ううう。本当に恥ずかしい……」と上目遣いに見る。だから、そういうの。本当に自覚した方がいいよ。“意識”させちゃうからって、ふいっと顔を背けても、動揺した気持ちが上手に焦点を合わせてくれないかった。だから「……映画。観るんでしょ」とぶっきらぼうに言う。ぼくも恥ずかしくて、顔が熱くなっていた。


「借りてきました!」


 そう目の前に出されたレンタルビデオ店の濃紺のバッグ。先日の電話で『あかるが観たい映画でいいよ』と言ったから、何を借りてきたのかは知らない。パリパリっと剥がしにくいマジックテープを開けて、そこから顔を出したのは『ニュー・シネマ・パラダイス』と表記された映画。確か、兄ちゃんが好きだって言っていた映画のひとつだ。


 ぽんっと口の前で両手を合わせて「観てみたかったの」と微笑むあかると、すこし苦い表情をしてしまうぼく。


「………字幕かあ」


 ぼくは字幕が苦手だから、あまり兄ちゃんとも映画が観れない。だって、映画と字のどちらを見ていればいいのか分からないんだ。


「五回くらい観れば慣れてきますよっ!」

「ご、五回?終わるの何時になる?」

「ち、違うっ。別の映画も一緒に…………五回とかじゃなくて……」


 ………これからも、いっぱい一緒に観ていきたい。


 あかるの言葉に、何故か、ふと、あの人気者の四人組が作った『Hello,Goodbye』の歌詞が浮かぶ。ぼくらは、いっぱい映画を観るうちに、あの四人のように、あの歌のようになってなければいいなんて思った。


…………………………


エンドロールが聞こえない。

第十話、おわり。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る