第16話 ドーナッツには穴はある?

 猪口が案内したのは、森の中にある洋風の屋敷だった。


 車が二台置ける車庫には秋水のナディアもあった。


 子供たちと秋水の笑い声が聞こえる。


――秋水さんの悪癖が子供たちにうつってしまえばファッションセンスは最悪になるだろうし、思想面でも心配だ。


 本来ならいるであろう屋敷の主に挨拶を飛ばして、チャイムを鳴らさず、鉄格子のような、しかし、植物の細工の施された鉄扉を開け、中に入る。


 屋敷の周りは柔らかい芝生が覆っている。


 しかし、妙に青臭い。


 まるで、何年も手入れをせず、つい最近刈ったようだ。


 石動はだんだん、もやもやしてきた。


 そんな石動を無視するように、まず、猪口が裏庭に顔を出した。


 少し遅れて石動も到着する。


 幼い兄弟二人と秋水はバスケットボールの取り合いをしていた。


 ボールを持っているのは秋水だ。


 それを二人の兄弟が取り合っているが、秋水は余裕で躱し、時に兄弟にボールを渡すこともする(すぐ取るが)。


「秋水さんって面白い人ね。子供たちとすぐに仲良くなって……子供同じ目線で話して……」


『いや、秋水さんは基本、中身は子供だぞ』


 石動と猪口はその言葉を飲み込んだ。


 ナターシャの座っている椅子の前にはガーデニングテーブルが置いてあり三人分(大人一人含む)の缶ジュースと紅茶が用意されていた。


 そして、中央には楕円形の白い粉をまぶしたお菓子があった。


「長距離運転で疲れたでしょう? まずはお座りになって」


「それでは、遠慮なく……石動君?」


 石動肇はパソコン用語でいうフリーズ状態になっていた。


 子供の笑い声。


 夕日。


 いつもいてくれた三人の大人。


 それらのイメージ画像が見えない糸でまとまろうとしていた。


 とりあえず、座る。


「食べていいか?」


 石動がナターシャを見る。


「え? ええ」


 ナターシャと反対側で猪口も石動の変化を認め、そして、内心ガッツポーズを取った。


 楕円形のお菓子を口に含んだ瞬間、ある出来事が思い出された。


 

 今から二十年以上前の話。


 場所は、まさに、この屋敷の裏庭だった。


 夕焼けを見ながら石動少年は、そわそわしていた。


 小学校からの帰りに、年上の子供が何かを虐めていた。


「やめろ!」


 結果、大喧嘩になりながらもお腹の大きい猫を守り、家に運んだ。


 紅茶を楽しんでいた親は事情を知ると、街の動物病院へ車を走らせた。


 それでも、石動少年は不安だった。


――死んじゃったらどうしよう?


 何度もこみ上げる涙を土まみれの袖で拭った。


「お坊ちゃん」


 その時、家族同然の家政婦がこっそり台所に呼び、穴のないドーナッツを作ってくれた。


 中に生クリームが入っていて甘くてふわふわして美味しかった。


 夜になり、ようやく両親が帰宅した。


 包帯を巻いた猫が母の腕の中で寝ていた。


 その日から『シロ』と呼ぶ石動家の新しい家族に初対面した。



 その時のお菓子はハワイのドーナッツだと知ったのは、大学生の修学旅行先でのことだ。


 この時、すでに両親は交通事故で亡くなり、家政婦は体調を崩し猫を引き取り休職、事実上解雇した。


 一人になった石動肇は、父の遺言と遺産を守るため星ノ宮大学に進学した。


 そこで大野太と出会い学生企業を起こした。



 ここは自分の家だったことをようやく、石動肇は思い出し、確信した。

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